公子からのお誘い・2
さほど大きな声でもなかったのに、皆聞いていたらしい。カミラが驚いているが、もちろんリリーも驚いた。
「私?」
繰り返す。
「そう、君を」
聞き違いじゃない。どうして、とは尋ねにくい。意を汲んだ感じでイグレシアスが説明する。
「モリーナとカサスは三年生男子のエスコートを受けるから、僕も『どなたか』となるんだけどね。一年生は一部しか参加しないと聞いたから――」
曖昧な語尾の後は、想像がついた。「級友から選んでは不公平感が出るし、相手に今後を期待させるのも避けたい」と続くのだろう。リリーなら公子との将来を考えるほど夢見がちでもない、と知られる程度のお付き合いはしている。
「私、平民ですが」
「僕が階級意識にとらわれていない、と知ってもらう良い切っ掛けになる。国に戻ればそうはいかないだろうけど」
そこが問題ないのなら、他に確かめておく事は。思案するリリーの肩をカミラが軽く叩いた。
「アイア、余計な口出しをするようだけど……マナー上お断りはあり得ないわ」
遠慮がちに口にする。
「ジャスパー君と一緒だろうと思ったら、彼はマクドウェルさんと約束していると聞いたから」
二年生なのでエスコート役は必須ではないけれど、マナーまで持ち出されては「はい」と言うしかない。
「私でよければ」
「良かった」
ニコリとしたイグレシアスが小声で言う。
「先に君の保護者の許可は得ている」
手回しのよいことでと思うが、そういうものなのかもしれない。なら先に言ってくれればいいのに。
リリーの不満は顔に現れたらしい。「ごめん」とイグレシアスが赤毛の頭をポンポンとする。
慣れたリリーは「もうっ、止めてくださいよ」プンプンなんてしたりしない。「はいはい」くらいだが。
「きゃあっ」とかわいらしい悲鳴が所々であがる。見慣れないとそうかもしれないけど、私のことは猫だとでも思って見逃して欲しい。
周囲の反応に無関心を通すリリーに、イグレシアスが「また近々」と声を掛ける。
「では、僕は失礼しようかな。邪魔をしたね」
公子が部屋を見渡す間に、カミラがさり気なく苺ジャムとクリームの小瓶を振る。意図を察してリリーはまだ使っていない赤白格子柄の布巾を広げた。急ぎ焼き上がったばかりのスコーンを直に四・五個のせ、受け取った瓶と共に包む。
「公子。味見もまだですが、スコーンは基本失敗しないものなので、食べられると思います。お腹の空いた時に食べてください」
包みを押しつけるリリーに「お腹が空いた時?」と、指定されたことをイグレシアスが不思議そうにする。
「お腹が空いていたら、たいていの物はおいしいから」
「ありがとう」
イグレシアスが破顔した。青天のような突き抜けた明るさを感じさせる笑顔だ。そのまま去っていく。
「どうしたの? 名残惜しい?」
いぶかしげに問うカミラに、リリーは後悔を告げた。
「蜂蜜も渡せば良かったと思って。蜂蜜があれば何でも美味しさが増すから」
坊ちゃまには「お前は甘ければ何でも美味しいのだろう」と馬鹿にされるけれど、蜂蜜は最強に近いと思う。
リリーは見えなくなるまでイグレシアスの背中を見送った。中まで火が通っていますようにと念じつつ。




