ラックという名の毛玉
リリーが寮へ帰ると、館は一気に静かになった。
今日のように月曜の朝に出る日、馬車が戻るまでどこへも行けないエドモンドは、この館で過ごすことになる。
「なんだ、これは」
声と共にロバートに向けて勢いよく白い物が飛んできた。
振り返りざまに手で受けられたのは、ほぼ偶然の賜物であるが、投げたエドモンドはそれが気に入らない様子で「ほう」と片眉を上げた。
リリーお嬢さんと次に会えるのは四日後。その不満をぶつけるのはお止めください。ご自身でも不機嫌になっているとお気付きではないのかもしれませんが、などと。
本音を語るのは賢明な者のすることではないと知るロバートは、問われた事にのみ答えた。
「こちらは、リリーお嬢さんの作品で『子羊のラック』でございます」
「作品?」
薄い笑みが張り付く。リリーの前では絶対にしない類のものだ。
「寄越せ」という仕草に、持って行こうとすると、エドモンドは投げ返せと要求する。ロバートは一瞬ためらったものの、山なりに投げた。
手元に戻った白い玉をしげしげと眺めるエドモンド。
「家政部のご友人に誘われて作ったフェルト細工というものだそうでございます」
羊毛を固く巻き付けてボール状にし、専用の針を繰り返し突き刺すことで毛の感じを調整して、目鼻を付ける。
「可愛くできたから、坊ちゃまにあげる」とキラキラとした瞳で、寝椅子の自分が座る位置にこっそりと置いて行った。
じっと見つめ、ニギニギとするうちにエドモンドの顔にあった険しさが消えていく。どうやら異能持ち同士で伝わる何かが付加してあったらしい。
「毛玉に目を付けただけで、羊とわかれとは無理にも程がある。そこまでの高度な理解力は、あいにく私にも持ち合わせがない」
ロバートもそこは否定しかねた。見せられた時には、これが何であるのかが分からず「ゴースト」かと思ったのだ。
リリー自ら「羊」と教えてくれたから事なきを得たが、「何だと思う?」と聴かれなくて本当に良かったと、胸をなでおろした。
そこもエドモンドには言わずにおく。
「またラックとは。これは毛玉という名でいいだろう」
断定するエドモンド。
「アレの知識には偏りがある。この毛玉には羊の特徴がまるでない。本物の羊を見せる必要があろう。ロバート、急ぎ牧場をみつくろえ」
タイアン殿下と違い、若き主は牧場を持たない。その「見繕う」は「見学先を探せ」であるのか「購入に適した物件を探せ」なのか。ロバートは街中に隠れ家を探した日を思い起こした。
「良かったな、ロバート」
エドモンドが丁寧な手つきで、ベッドの上に白い毛玉を置く。
「『坊ちゃまとおじ様と一緒に羊と遊びたい』そうだ」
毛玉を二本の指で突付く。どうやらラックと言う名の毛玉はメッセージを伝えたらしい。
購入も視野に入れて見学できる牧場を探そう。ロバートが瞬時に決めた決意は、既に主に伝わったようだった。
「毛刈りは春だ」
できるな? と言外に滲ませる。ロバートは頷いた。
「御前失礼いたします」
扉から出るところで一礼する為に振り返ると、羊はふたたびエドモンドの両手におさまっていた。
その手は祈りにも似た形をしていた。窓からさし込む朝の光が、エドモンドを照らす。色の薄い髪はまるで光を集めたよう。
ロバートはなにか高貴なものでも目にした心持ちで、静かに扉を閉めた。




