薔薇の名残・1
扉が閉まってしばらく動く気にもならなくて、リリーは机に突っ伏した。
自分でも珍しく感じるほどに感情が揺さぶられたのは、極度の緊張もあってのことだと分析する。
机に伏せたせいで、薔薇の香りをより濃く感じることとなった。
この薔薇を手放してしまいたい。捨てる事が叶わず眼の前から無くならないなら、いっそ食べてしまいたいような。香りから予想するに甘い味はしない、きっと美味しくない。そう考えて気をそらす。
萎れるのはかわいそう。結局、自室のコップに水を入れて挿した。
坊ちゃまエドモンドのお部屋の白薔薇はいつも同じくらい綺麗だった。
あれはずっと同じ花だったわけではなく、いつでも盛りのものをこまめにおじ様が差し替えていたのだと、花を扱っていたリリーにはわかる。
この花はどれくらい保つのだろう。開くには固すぎるように感じる蕾は、咲くだろうか。
期待と少し重い気持ちを抱えたままリリーはお化粧を落とし、借りた物の返却と報告にオーツ先生の部屋へと向かった。
寮の共有部でおしゃべりをしていたカミラは、リリーを待っていたのだろう。そしてジャスパーとイリヤはそれにつき合っているというところか。
ジャスパーは昨日も今日も、二年生であるにもかかわらず在校生代表のような役を任されていた。
イリヤは馬術部の紹介をしていたはずだ。
「みんな、ここにいたの」
リリーは声をかけながら手近な椅子を引き寄せて、話の輪に加わった。
表情が変化したのはカミラとジャスパーだ。
「寮までお越しでしたか」
ジャスパーが誰の事を言っているのかリリーには分からないのに、カミラにはこれで通じたらしい。補足する。
「五・六人で回っていらした男性ばかりの御一行のことよ」
それなら紅薔薇の貴公子だ。
「僕のところでは見かけなかったよ」
イリヤが先に返す。
「ええ、いらしたわ」
「お話ししたの? アイア。ご案内とか」
リリーのあの珍妙な格好をカミラも朝見たのに、忘れてしまったらしい。さすがにあれでご案内はない。
詳しく尋ねるのは、カミラもやっぱり女の子でセレスト家の御兄弟に興味があるのか。
隠すことでもない。リリーは頷きつつ否定した。
「私は『占い部屋』にいたから、ご案内はしてないわ。ちょうど見学者が途切れたところに、たくさんの足音がして気になって、窓から覗いてたの。そしたら見つかっちゃって」
正直な告白にカミラが絶句している。もちろんリリーだって聞かれなければ言いたくなかった。聞いておいて呆れるのは止めてほしい。
「見学を済ませてから、お立ち寄りになったの。『占ってもらおうかな』って。気さくでお話し上手で驚いた」
黙るカミラにかわってジャスパーが話す。
「私も数度ご挨拶をさせて頂いた程度ですが、あなたと同じ印象を持ちました」
本格的に社交にのり出すのは、男子は十七・八歳から。ジャスパーでも接点は少ないらしい。
誰のことか分からないだろうに問いもしないイリヤは、大人の会話や貴族とのお付き合いに慣れていると、リリーに感じさせる。
でもどうしてジャスパーは、紅薔薇の貴公子がここまでいらした、と分かったのだろう。




