紅薔薇の貴公子・3
そろそろ終わりか。今、寮内を見て回っているのは、先ほどの一団だけのようだった。
見学者がちょうど切れたのではなく、あの方々と重ならないように学校側が配慮したのかもしれないと、リリーは思いついた。
雰囲気作りに焚べた香りの良い木片は、ほぼ灰になっている。継ぎ足すまでもない。
予定より少し時間は早いけれど片付けに入ろうかと動き出した時、扉を叩く小気味良い音がした。
ピタリと手が止まった。
出るのは止めておけ、と頭のなかで誰かが忠告する。すぐに理性が反論する。ここにいるのは知られているのに、出ないで済ませるなんて出来っこない。
しかも相手は待たせるべきではない方々だ、きっと。
瞬時に結論を出したリリーは細く扉を開けた。
目の高さはちょうど相手の胸の位置で、胸ポケットのまだ固い薔薇の蕾からは気高く上品な香りがした。
花の色は違っても香りは同じらしい。かつてリリーが慣れ親しんだものだ。
薔薇からタイ、顎と目だけで追っていくと、どこか懐かしさを覚える顔立ちの男性が、好奇心を色濃く出した瞳でリリーを見おろしていた。
髪はミルクティー色、瞳は金茶。お年は坊ちゃまに近い。この組み合わせの男には近づくな、と坊ちゃまエドモンドに厳命されていたのに。
「私の暮らしのどこでそんな人と会うと思うの」と本気で思っていたのに。
その時坊ちゃまは何と言ったのだったか。
そうだ「私とお前も会うはずのない者が出会っている。一度あった事が二度無いとどうして言える」だ。
香りが記憶を呼び覚ます。
「どこで会っていたかな。失礼ながらすぐには思い出せないようだ」
紅薔薇の貴公子の言葉に、後ろに立つ方々が戸惑いを隠さない。
リリーでさえ「なんだか小説の中の遊び人のセリフみたい」と思ったのだから、なおさら「学生相手に何を」と思ったのだろう。
「いえ、お目にかかるのは初めてです」
緊張して声が低くなり、話し方もいつものリリーより遅くなった。
「そう? どこか親しみを感じるのは、君のお人柄かな」
坊ちゃまエドモンドがそうだから、この方も身体系と精神系の異能を併せて持っているはず。それも計り知れないほどの実力者だ。
リリーの背中が粟立つようにゾクゾクするのは緊張のせい。顔に出ているのは緊張感だと思うのに、この方には親しみに見えるらしい。
ノックに応じるまでに「持てる能力を簡単には分からせない術」を自分に効かせた。「精神系の使い手と他者に悟らせない術」も行使したけれど、この方ほどの能力者には意味がないと肌で感じる。
能力を低く見積もってくれたらいい程度の気休めだ。
坊ちゃまエドモンドによく似た髪と瞳で。顔立ちも似ているように感じるのは、オーツ先生流に言えば「骨格が似ている」のだろう。
坊ちゃまは表情に気分が反映されることはまず無かったけれど、この方は「書いてある」と言いたくなるくらい気持ちが分かりやすい。
それが本心なのか、人に見せたるためのものなのかは、判断がつかないけれど。
きっと人あたりが良く、性別を問わず人気があるだろう。高貴な方で親しみやすい雰囲気なんて稀少だとリリーは思った。




