林檎と黒の王子・1
晴れていて暑くも寒くもない放課後を、リリーはカミラと外庭で過ごしていた。
校舎に沿って並んでいる木製の簡素なテーブルで向かい合わせに座り、カミラは編み物をしリリーは初物のリンゴの皮をむいていた。
「本当に意外よね。まさかアイアがこんなに不器用だなんて」
編み棒を動かす手を止めずに、カミラが笑う。
「だってリンゴなんてむいたことがなかったから」
林檎を見つめすぎてリリーの目は寄り気味になっている。
「うちと同じで、むいてくれる女中がいるほどのお嬢様じゃないでしょうに」
カミラの家もアイアゲート家と同じ準爵家。長く国に仕えた報奨として一代貴族扱いだが、多少名誉があるだけの実際のところは庶民だ。
メイドがいるわけでも大きなお屋敷があるわけでもないごく一般的な家庭の娘、それがカミラだ。
「違うわ。皮をむいて食べるなんて知らなかったのよ。リンゴは皮ごと食べるものだと思ってたから」
リリーは、真剣にリンゴと向き合っていた。
テーブルに広げたナプキンの上にある皮はかなり厚く、ナイフから離れるたびにボタッと落ちる音が聞こえるようだ。
手つきも危なっかしくて、見ていられないのだろう。先ほどからカミラがヒヤヒヤとしているのを感じる。
代わりましょうか、と言わせない様に表情だけは平然と見えるようつくろって、リンゴをむく。はた目には「削っている」が、正しいかもしれない。
「なるほど、そういう事ね。たしかにパイとかお菓子には皮ごと使うものね。皮をむかないおうちもあるわね」
カミラの解釈は外れている。本当のところは、果物を買うような余裕がなく、捨ててあるリンゴの傷んだところだけ落として食べていたから、だ。
そしてアイアゲート家で暮らしている時は、受験に必要な勉強以外では裁縫を優先したので、料理まで習う時間がなかった。だから編み物も刺繍も全くできない。
どれも声高に言うことではないので黙っておくけれど、まさか「家政科」などという課外授業が女子に必須だとは。リリーは仕方なく試験に向けてリンゴの皮むきの練習をしているところだった。
リンゴの皮むきが下手な理由に納得したカミラが急に背筋を伸ばしたかと思うと、軽く頭を下げた。
「黒の王子のお通りよ」
「ジャスパー様?」
カミラの顔の向く方を見れば、乗馬服姿で鞭を手にしたジャスパーが校舎へと戻って来るところだった。
広い歩幅で、みるみるうちに姿が大きくなる。
「黒の王子って……恥ずかしくない? 女の子はみんな陰でそう呼んでるの?」
乗馬の後でも一筋たりとも乱れのない黒髪は、どうしたら維持できるのだろうと思いながら、カミラに尋ねる。
頷いたカミラが「本人もそう呼ばれているのはご存知って、スコットから聞いたわ」と答えた。
「何をしているのですか」
話す間にもすぐそこまで来たジャスパーが、カミラへの目礼もそこそこに、リリーの手元に目を止めた。
「見ての通り、リンゴをむいているのよ」
見てわからないかと憤然とするリリーをよそに、ジャスパーの視線はナプキンにのる「皮のついたリンゴの実」とリリーの手元にある「大きいリンゴの芯」を行き来した。




