音楽祭のレイチェル・1
「社交」にはシーズンというものがある。八月で一区切りとし秋は自領で過ごす貴族も多い。
夏は屋外屋内を問わず音楽祭が多く開かれる。
今日はここ学院でも、有志による音楽祭が開かれていた。
「カミラ、楽器は?」
「全然。うちには音楽教師がつくほどの余裕はないから、入試対策に少し習っただけ」
聞いたリリーに「アイアは?」と尋ね返さないのは、カミラの思いやりだろう。
入試に楽器演奏はないけれど、教養の範囲で出題される可能性はある。対策としてリリーも音楽史など多少は詰め込んだので、カミラも似たようなものだと察した。
「級友の演奏は出来るだけ聴きに行くように」という教師の命により、リリーはカミラとスコットと並んで階段教室での演奏会を聴きに来ていた。
周囲には大人の姿も多い。出演者の父兄だ。
出演者は制服ではなく昼間の正装やドレス姿も可とされている。理由は「演奏者の力量に容姿の良さも含まれるから」だ。
素晴らしい技量の持ち主でも見目が悪ければ、高い評価は得にくいらしい。リリーには理不尽に思えるが、音楽家を雇うのはお金持ちだ。身近に置き人前に出すのなら美しい方が良い。
見目も実力のうち、そういう事だろう。
今、ピアノ演奏を披露しているのは伯爵令嬢レイチェル・マクドウェル。
いつものように横髪を高い位置でまとめゆるく巻いた髪を背中に垂らしているが、背中と胸元のくりの深いドレスは男子生徒の目を奪うようで、皆食い入るように見つめている。
リリーからしてみれば「お金持ちの子ならお母さんとかお姉さんで見慣れているんじゃ?」といったところだけれど。
比較的長い曲を弾ききったレイチェル・マクドウェルは笑みを見せて拍手に答えると、ピアノに手を添え美しい声を響かせた。
「ありがとうございます、皆さん。ここまでは私達ばかりが披露しておりますけれど、参加者の偏りは平民も共に学ぶ場所としてはいかがなものかと存じます」
皆「ふむ」とした顔で聞いているなかで、リリーは嫌な気配を察知した。
これは今すぐ隠れるか逃げるかすべきだと感じる。が、通路側に座れば良かったのに、スコット、カミラ、リリーときて一番内側になってしまっている。出るに出られない。
「慎み深い平民の生徒は、私達を前にして、その才能を遠慮で隠してしまいがちです。ですので、私からお誘いします」
――来た。
「アイアゲートさん、こちらへどうぞ」
ここにいると知っているだろうに、笑顔のまま端からずいっと階段席を見渡す。
レイチェルの視線を追って聴衆も「アイアゲートさん」の姿を探す。こうなれば逃げようもない。何て事をしてくれるのだろう。
もはや顔から血の気が引くのか、逆に頭に血が上りそうなのかもリリーにはわからなかった。
「アイア、まさかとは思うけれど、ピアノ弾ける?」
横目で恐る恐るカミラが尋ねるのに、リリーはきっぱりと答えた。
「そんなはず、あるわけないわ」
弾けるのは耳で覚えた子供用の練習曲がいくつか。人前で披露するようなものではないと、リリーでも分かる。
あとは「ひよこのワルツ」
それより何より、家を焼け出された日以来、一度も鍵盤に触れていない。アイアゲート家にピアノはなかった。
覚えているのと指が動くのは別の話だ。これまたリリーでも分かる事だった。
「アイアゲートさん、どうぞこちらへ」
今見つけたと言わんばかりに、親しげな表情でレイチェルはこちらへと腕を差しのべた。




