その夜のアイアゲート・3
「さすがね、ジャスパー。オーツ先生と少し遊んだの」
あっさりと打ち明けられた。
「先生が『授業でしないようなおアソビをしましょうよ。他のコにはナイショよ』って」
今言っちゃってるんだけどと、丸い目をくりっとさせる。
「オーツ先生が『退行』を掛けてくるのを、教えてもらって『遮断』しようとしたのだけど、遮断の感覚が上手く掴めなくて。それなら『進行』を私がかけたら打ち消せるんじゃないかって考えたの」
精神系の使い手は身体系のように訓練を積むことにより身体能力を伸ばすのではなく、言葉にはしづらい感覚で能力を磨くとジャスパーも知ってはいる。
ただ、今聞いて分かったのは「退行」がおそらく「幼児化」だろうと言うことくらいだ。
「でオーツ先生の『退行』を反転させて『進行』を返したの。そうしたら先生の術は防げたんだけど、私に『進行』が跳ね返っちゃって」
わかるような分からないような。返答に困るジャスパーに。
「つまり、今の私は気分的にすごくお姉さんなの」
それは理解できたと思うジャスパーの前で、アイアゲートが交差していた脚の上下を組みかえた。
衣服の下で素肌は見えないが、多少透けてはいる。細い足首まですんなりと形のよい脚だとわかる。
「この術の欠点は」
「よい質問ね、ジャスパー」
お姉さんぶったアイアゲートが誉める。
「退行と同じで進行も『術が効いている間の記憶は残らない』。でも退行と違って進行は術にかかっている自覚があるから、その気があれば書き置く事は可能よね。飲んで面倒になっちゃってる私はしないけど」
アイアゲートがグラスに口をつけ、うっとりと目を細める。よほど甘いのだろう。
「私も体験してみたいものです」
「無理ね。退行を掛けられたから反転したけれど、そもそも私は退行が使えないの」
簡単に退け言葉を続ける。
「それにしてもジャスパー、ディナージャケットが驚くほどお似合いね。記憶に残らないのが惜しいくらい。とても十五には見えない。昼間は真面目でお堅いばかりなのに、夜になるとぐっと大人っぽいってどういうことかしら」
それを言うなら。ジャスパーには、薄物一枚で甘い酒を手にする同級生が、艶めいて目の毒だとすら感じる。つい手を伸ばしてふわふわと広がる髪の手触りを確かめたいほどに。
記憶に残らないというのならば。
ジャスパーの口角があがった。
「あなたは私の理性に心から賛辞をおくるべきでしょうね。そんな身体の線のわかる夜着で濡れた唇をして。今の私は『あなたの唇を舐めたらさぞ甘いだろう』などと考えているのですから」
目を丸くしたアイアゲートがぽってりとした唇で「うふふ」と笑う。その様すらジャスパーの刺激になるとも知らずに。
「あなたでもそんな事が言えるのね。でもこんなお行儀の悪い私にお世辞は不要よ」
行儀が悪いという自覚はあるらしい。そしてこの程度は社交界に出る年齢の男なら誰しも普通に口にする、とは知らないらしい。
いつもどこか緊張している同級生のくつろぐ姿は。
「そのお行儀の悪さすらとても魅力的で、心ひかれると言ったら?」
喉をならすようにして楽しそうに笑うアイアゲートを見て思い出す。
――心をゆるすと信じられないくらい懐き、一度可愛いと思ったら目が離せない。
これ以上は駄目だ。ジャスパーは踏みとどまる事を選んだ。
「ところで、どうしてこんな所で飲んでいるのですか」
最大の疑問はそれ。
「部屋ではロビンが見張ってるみたいで、悪いことはしづらいの」
ひとり部屋に誰かいるとも思えない、ロビンとは。これは別の機会に尋ねるべきだろうと、聞き流すことにする。
グラスに残るのはあと一口二口。この同級生を残してひとり四階へ上がる気などないジャスパーは、残りの酒を手早く片付けるには自分が飲む方がいいだろうと判断して、グラスに手を伸ばした。




