リリー・アイアゲート
アイアゲート夫妻は温厚な初老に差し掛かるご夫妻で、成人した息子がひとりいるという。
将来的には息子と一緒に暮らし財産を相続させるつもりでいるけれど、その子が学院に合格できず三代続かなかった事だけが心残りなのだという。
三代続けての話はエリックの教えてくれた通りだった。そしてリリーが入学することで三代続けば、今もらっている恩給が増額されるので是非とも頑張って欲しいと、冗談めかして言われた。
一方的にご迷惑をおかけするだけでないのなら、責任重大でも、ある意味気は楽だ。
周囲の強い勧めと励ましもあり、花売り娘リリーはリリー・アイアゲートとなり、学院入学を目指すことになった。
「エリック、ここでお夕食を食べていくでしょう?」
「うん、そのつもりで来たけど」
歳の離れた「兄」が、かつて使っていた部屋がリリーの部屋となった。勉強は「お父さん」とエリックにみてもらい、「お母さん」からは裁縫を習う。
勉強を始めてみて、知識にムラがあると分かった。驚かれるほど出来る教科もあれば、まるで分からない教科もある。
エリックはどこか察した様子だったけれど「お父さん」は心底不思議がっていた。
地方の小麦の収穫量やら港の漁獲高など、いつ覚えたのかリリーにもまるで記憶にない。
「これを覚えるなら、こっちを先に覚えるべきだよね」
思わずという風にエリックが呟けば、頷いたのはリリーではなくアイアゲートの父だった。
「お夕食はエリックの好きなミートローフよ」
リリーが教えるのに合わせて、エリックが鼻をくんとさせた。匂いもないのにどうして、という顔をしてから尋ねる。
「リリー、ひょっとして異能で?」
はっきりとは答えず、うふふと笑うにとどめる。「これが食べたい。あれが食べたい」とは、お世話になる身では言いづらい。
だからアイアゲートの母が「明日はエリック君が来るわね。何にしようかしら」と思案する時に、こっそりと誘導する。
遊びのようにたくさん練習したから、リリーにとってはお手のものだ。
「異能の無駄遣い……」
エリックが呆れ顔になった。
アイアゲートの父からは「精神系の使い手」と相手に悟らせない術や、能力の種類を簡単には分からせない術を学んでいる。
「若いのに手慣れた扱いをするものだ」と感心されて誇らしい。
ある時、ふと父は「実の父」に心当たりがあるんじゃないかと感じた。だからこれほど親切にしてくれるのではないかと。
そう思ったのもアイアゲートの父が「読み取らせた」からだろう。聞けば教えてくれる気配があったが、リリーは聞かなかった。
母さんは一言も言わなかったし、もういない。今さら知って何になるだろう、と思ったから。
あの雪の日から、ちょうど一年がたった頃。
リリーの頼まれたお使いに付き合うエリックが、さりげなく提案した。
「リリー、前にお世話になった救護院へ顔を出したかったら、今日は時間もあるし行けるよ」
すぐにわかった。救護院は口実で「教会の共同墓にお参りがしたいなら」と言っているのだと。
「いい」
返事が短すぎたせいか、どう取ればいいのか迷ったらしいエリックが立ち止まった。
「ごめんなさい、言葉たらずだった。私、自分に『異能』を使うみたいにしてるの」
合わせて足を止めたリリーの言葉に、今度はエリックの表情が堅くなった。
「誰にも言わないでね。母さんの事を考えると息が苦しくなってどこもかしこも強張っちゃうの。だから、蓋をしちゃった」
「それって……」
本当はよくないらしい。きちんと現実を受け止めないと、後で歪みが大きくなるという。
でもそんな事をしていたら、勉強などはかどらない。
「自分で抑え込んでみたの。今のところ上手くいってる。でもちょっとした事で『解除』しちゃうといけないから――」
あの教会へは行けないと告げる。私なら大丈夫だと安心させようと笑ってみせたのに、エリックは泣きそうな顔になった。
「そんな顔をしないで、エリック」
「それを言いたいのは僕のほうだよ」
顔をゆがめるエリックは本当に優しい。
「ありがとう、エリック」
伝えるとエリックはリリーの手を取り、先に立って歩きだした。手から「心配でたまらない」と読み取れる。
リリーは気がつかないふりをした。




