アイネ・クライネ・ナハトムジーク・セレナーデ
ヒリヒリと肌を刺激する緊張感と、胸が高鳴る高揚感。
戦争で嫌というほど感じた圧力が、千年ぶりに背中にのしかかってくる。
……目の前にいるのは、我輩と同じ耳をもつ性格の悪そうな魔術の使い手。
特徴である尖った耳がピクピク動いているところを見ると、どうやら偽物では無いらしい。
これはエルフ特有の動きで、警戒などによる神経を張り詰めている状態だ。
偽物を警戒するのには理由がある。
魂の狩猟の時、同族に変化し指揮系統の混乱や仲間割れを画策する行為があったからだ。 これはかなり有効な作戦で、多くの妖精族が命を落とした。
……我輩にとって苦虫を噛み潰したような思い出なのだ。今回もその可能性を考慮して警戒していたが、違ったようでホッと胸を撫でおろす。
相手もこちらの耳がピクピク動いているのを見たのだろう。 クスクスと鼻を鳴らして笑っている。
だが、そうなると別の疑問が浮かび上がる。
それは本物のエルフが襲ってきたという事実だ。 我輩の名を知っていることから、狙いが二つ名の英雄なのは間違いない。
ということは此奴が妖精女王の言っていた英雄殺しなのだろうか?
世界樹の内部や情勢に詳しく、誰にも見られることなく暗殺任務をこなすには、妖精族を使うのが最適解だ。
だが、エルフが世界樹を裏切る? 絶縁した闇の妖精族ならまだしも、目の前にいるのはどう見ても純粋種のエルフ、我輩にはとても信じられなかった。
世界樹が定めたしきたりに従って生きてきた妖精族は、他種族に対して秘匿主義を貫く思想を持っている者が多い。 他種族が妖精族をよく思わない理由が大概これだ。
しかし、同族には礼節を重んじ家族のように接する気高い誇りと優しい一面を持っている。
特殊な生まれである我輩も、妖精女王や仲間たちからそう接してもらうことで、同じ誇りをこの胸に宿すことが出来た。
だから、このエルフから放たれる蔑むような冷たい視線が信じられなかった。
変身ではなく操られているのか? もしくはそう見えるよう幻術をかけられた? あらゆる可能性を探ってはいるが、納得できる答えに辿り着かない。
気持ちがうまく割り切れない状態で、この状況を乗り越えることができるのだろうか。 そんな不安に襲われた我輩の脳裏に、あの言葉がよみがえる。
「では、後のことはよろしくお願いします」
ラスの言葉だ。
……フッ、あのバカ執事。 肝心な時に傍におらず主人に全部押し付けよって。
任された以上、主人としてかっこ悪い姿を見せるワケにもいかんしな。 この程度の問題などササッと解決してやるわ!
目覚めたら、サボってた分こき使ってやるから覚悟しておけよ。
そのためにはまず、この生意気なエルフに格の違いを教えてやらねば。
鬱屈した気分から解放された我輩は、このあと戦うことになるであろうエルフの分析を始める。
先ほど味わった火球の威力から、相手の力量はある程度予測できる。 自分の残された魔力残量と使用出来る能力を比較すると、少々分が悪いかも知れない。 ……勝率は三割程度か。
勝利出来なければ妖精女王との約束も果たせぬまま、我輩の旅は早々に終わりを迎えることになる。
もちろん、そんなことはお断りだ。
勝率が低い程度で諦める我輩では無い。 こんな状況など、魂の狩猟で何度も乗り越えてきた。 いくらでもやり様はある。
頭の中で少しでも勝率が上がるように、様々な策を考える時間稼ぎと奴等の目的を探るため、いまも冷たい視線を投げかけてくるエルフに話しかける。
「貴様は何者だ? なぜ我輩たちを狙った?」
「たち? ワタクシが狙ったのは貴方ひとり。 あの可愛いボーヤもおバカな執事も、近くにいたから巻き添えになっただけでしょ?」
「ふん、そもそもどうやって入国したのだ? 我輩のような特例以外で、妖精族が帝国に入ることは許されていないはずだが……」
「あらやだ、ほんとに千年間隠居していたのアナタ? いまや帝国は世界最大の先進国よ。 竜王国の戦闘技術、連合の海産物の輸入や造船業、西方諸国の畜産業に教環国の鉱業や建造業など、あらゆる文明や価値ある技術を取り込んで……いえ、取り込みすぎて最近では他の国から反感買うぐらいよ」
どういうことだ? あの人間至上主義の帝国が他種族の文明を取り込んでいるだと……。
帝国の思いもよらない変化に嫌な予感がしたが、いま優先すべきことではない。 すぐに気持ちを切り替える。
「なら、世界樹はどうなっている。 帝国と同じように貴様がしきたりを破るほど変わってしまったのか?」
「言っておくけど、あの国はなにも変わってないわよ……。 相変わらず他種族を拒み、殻に閉じこもってる哀れな国。 国力は年々衰退し恩恵の力も弱くなってる。 いつかどこかの国に滅ぼされるでしょうね。 そんな国に仕える気はないわ」
「貴様に妖精族としての誇りはないのか? 」
「フン、そんなものはとっくの昔に捨てた。 けど……世界樹が嫌いなわけじゃないのよ? アソコにいる妖精族が嫌いなだけ。 だから邪魔な貴方たちを消して、国が滅んだら褒美に頂くの。 きっとあの方も喜んでくれるわ」
エルフの口調が途中で変化する。 自分の世界に入り込んだかのように、誰もいない宙に向かって呟き始めた。 目はとろんとして意識がどこかへ言ってしまったように見える。
罠の可能性もある。 エルフの挙動に警戒しながら、話を続けた。
「一連の英雄殺しを企んだのは誰だ? どう考えても貴様ひとりの犯行ではない。 素直に情報を渡せば、我輩が上に掛け合い命だけは助けてもらえるよう進言する。 貴様にも大切な人がひとりやふたりはいるだろう? その人を悲しませるな。 いまならまだ間に合う」
説得を試みたが応じないどころか、火に油を注いでしまったようだ。
エルフは我輩の言葉を聞いた瞬間ビクッとして、壊れたブリキの人形が動いてるような、耳を劈く甲高い金切り音を発する。
「ハ? ナニ、イッテンノ? ……純粋種でもなければ、烙印を刻まれた穢れた身体のクセに、ワタクシを憐れむなんて……クソがクソがクソがァーーッ! 存在自体罪なアンタがぁ! ど、ど、ど、どうして生き延びてぇ……なぜワタクシの、ワタクシの……」
興奮し吐き捨てるような言葉の羅列から、我輩に対する強い憎しみを感じる。
悔しさを滲ませ消え入りそうな声で項垂れるエルフ。 それに比例して、異常な殺気が膨れ上がるのを感じた。
……そろそろ潮時か。
時間は稼いだ。 作戦も決まった。 あとはこの壊れかけた人形のようなエルフに勝利するだけだ。
だが、戦いを始める前にどうしても聞かねばならないことがある。
知らねばならない。 我輩が直接手をかける、このエルフの名を。
「貴様の名は?」
項垂れていたエルフの身体が反応し、ゆっくりと顔を上げた。
そこには先ほどの壊れかけたエルフはいない。 目から強い意志を放ち、落ち着いた声でエルフは名を明かす。
「ワタクシの名はアイネ。 アイネ・クライネ・ナハトムジーク。 女王後継者であり、栄光の百合ヴィオラ・セレナータ・ノットゥルナの双子の妹。 アナタのせいでたったひとりの家族、ヴィオラは死んだ。 ワタクシの仇、ワタクシの全て、他の奴には絶対渡さない。 いまここで、アナタを討つ」
こうして我輩とアイネの、最初の死闘が始まった。