親方日の丸の研究職に就いたつもりが、鬼神のお供え物にされてしまた
住民の唯一の末裔として、無人となった廃村を相続する事になった主人公は、新たに建設される国立研究所の用地として貸し出す事を承諾した。
自身も博士号を持つ事から副所長として起用されたが、施設は完成しても研究の準備は進まず開店休業状態の毎日。
そんな中、廃村で行われていた八十八年に一度の祭礼が、今年にあたる事が解った。主人公は神職の資格を持つ女性秘書に、取りしきりを依頼する。
儀式が行われると、なんと村で祀られていたという鬼神が現れた。これの研究こそが国の目的であり、主人公は人身御供だったのだ。
喰われる事は免れた物の、主人公は鬼神に糧となる血を与え続け、また愛玩物として仕える事を強いられる。
国にとって主人公は、研究対象に与える餌に過ぎなかった。だが、鬼神の積極的な協力がなければ研究が進まない以上、その寵愛を受ける主人公の発言力は増大し……
僕の職場は、人里離れた山奥にある研究施設だ。運営は内閣府の所轄する独立行政法人である。
活動内容は老化防止物質の開発で、少子高齢化対策の一環という事だ。要は、老人を元気に働かせ、納税させる為の薬を造りたいのである。
僻地にあるのは生命工学を扱う関係上、万が一のバイオハザード事故を考えてだという。
また研究所において、僕は特殊な立場に立たされる事になった。それというのも、ここの敷地は僕の所有なのである。
研究所の設立に当たり、廃村になって久しいこの地が候補に挙がったのだが、登記されている地権者は全員死亡していた。
地権者の血縁を辿っていく内に、僕が唯一の相続人である事が判明。研究所の運営母体となる独立行政法人は、僕に事情を説明した上で、借地契約をして欲しいと持ちかけてきた。
そして僕は偶然にも、博士課程の大学院生として生命工学を専攻していた。そこで僕は、自分を研究員として採用する事を、応じる条件とした。
日本では研究職のポストを得るのが大変なのだ。降って湧いた幸運を活用しない手はない。
契約は成立し、僕は卒業後の採用が内定したが、少々大袈裟な事になった。地主を粗略に扱う訳に行かなかった様で、僕は副所長という事にされたのだ。
博士号を取り立ての、若干二十七歳の若造に対して凄まじい厚遇だ。しかし赴任してみると、実態が全く伴っていなかった。
研究所の舎屋は完成したばかりで、未だ稼働はしていない。僕の上司となる所長も、まだ未定の状態だ。
肝心の研究内容は国家機密に属するという事で、副所長たる僕にすら、まだ詳細は伝えられていない。所長以下のメインの研究スタッフが赴任するまで、僕は全く蚊帳の外である。
現在は、先行して研究所設立準備にあたっている、若干の事務スタッフのみが働いている状態だ。僕の仕事は、決裁書に目を通して判を押すだけである。
国家機密プロジェクトにしては、ずいぶんとお粗末に思えるのだが……
ただ、僕に対する待遇だけは妙にいい。給与と地代を合わせれば、それだけでもかなりの収入になるし、専用車も用意された。何と防弾仕様のセンチュリーである。
さらに、僕の住まいとして、専用の官舎まで建てられた。誰の趣味なのだろうか、時代がかった純和風の、昔話に出て来る田舎の長者屋敷の様だった。
*
僕の赴任から一ヶ月ほど経ったある日。研究所から五㎞ほど離れた集落にある、村役場へ出かけた帰りの事。
車中で、運転席の秘書が声を掛けてきた。阿部さんという、小柄で丸眼鏡をかけた、三十路の女性だ。ちなみにバツイチらしい。
「副所長。研究所の池のほとりに、朽ち果てた祠がありますよね?」
研究所の敷地内には大きな池がある。廃村になる前は、農業用のため池だったらしい。
その隅には、廃屋と化した祠があった。氏神か何かだったのだろうが、今まで気にも留めていなかった。
「うん。草むした廃墟の様だけど、それが?」
「気になって、村の図書館にある郷土資料で調べたんですけど。今年が、八十八年に一度のお祀りにあたる様なんですよ」
「神主の資格持ちとしては、気になるかな?」
「はい。こういう事は一応、きちんとした方がいいと思って」
阿部さんは三重にある神道系の大学出身という、変わった前歴の持ち主だ。研究所建設の際の地鎮祭も、彼女が担当したという。
「まあ、ちょっとした事をやってもいいかな。手順とかあるだろうし、勤務扱いにするから、もう少し詳しく調べてみてよ」
「ありがとうございます!」
この土地は僕にとって、ふって湧いた遺産に過ぎない。だが最後の末裔として、この地に暮らしていた祖先を偲び、敬意を表すべきではないか。僕はこの時、その程度に考えていた。
*
三日後。
「例の祠の件、どうだった?」
「副所長、それなんですが……」
僕が調査結果を尋ねると、阿部さんは言いにくそうに口ごもった。
「何があったの?」
「お祀り、とんでもない因習があったそうです……」
「因習? どんなの?」
「池に住む主に、人身御供を捧げていたとかで」
「人身御供ねえ。前の祀りは八十八年前だから、流石にその頃には、そんな事はやってないと思うけど」
江戸時代までなら、そういう因習もあったかも知れない。だが、新政府になった後も続けていたら、立派な犯罪になるだろう。
「それが…… 前回のお祀りの時に、行方不明になった住民が出たそうです」
「偶然でしょ? 例えば、田舎が嫌で出奔したとか」
「そうかも知れませんが。人身御供にされたといって、警察に密告があったとかで。証拠不十分という事になりましたけど、それが原因で、住民は村を捨てた様です」
「なるほどねえ」
嫌がらせで、ある事ない事を密告するというのはよくある話だ。昔の事だから、人身御供の因習が続いていたという話も真実味があったのだろう。
「唯一の子孫としては、全くやりきれないなあ。まあ、亡くなった人達の供養も兼ねて、神事はお願いするよ」
「わかりました。誠心誠意、お勤めさせて頂きます!」
僕の依頼に、阿部さんは妙に張り切った返事をした。
*
祀りの当日。金曜の夜という事もあって、暇な職員達が集まって来た。
彼等の目当ては恐らく、供えられている樽酒だ。奉納の名義は何と、内閣総理大臣である。総理個人のポケットマネーとは思うが、政教分離は大丈夫なのだろうか。
狩衣に烏帽子という神主装束の阿部さんが祝詞をあげる中、僕は人身御供役として、褌一丁で祭壇に鎮座させられている。本来は全裸らしいのだが、流石にそれは勘弁してもらった。
祝詞をあげ終わった阿部さんが、樽から酒をひしゃくで汲んで池の水面に振りまく。
すると程なく、奇怪な現象が起こった。
朽ち果てた祠が突然崩れ落ち、中から奇妙な人物が現れたのだ。
筋肉質で腹筋の割れた、一八〇cm程の長身で全裸の若い女性だ。だがその肌は青く、長いくせ毛の金髪からは二本の角、そして厚めの唇からは鋭く長い牙が覗いていた。
顔立ちは日本人のそれではなく、僕の知識内で言えば、中近東のアラブ系に近い。精悍で眼光が鋭く、猛獣を思わせる。
以上の特徴をまとめて言えば、外国人の悪役女子プロレスラー風だ。
ドッキリ企画にしては手がこみすぎている様に思うのだが……
僕は声を出そうとしたが、全く話せない。体も、いつの間にか指一本動かせなくなっていた。いわゆる金縛りだろうか。
周囲の職員達は、全く動じた様子がない。
「本部へ。対象との接触開始」
「了解。ヘリで待機要員を派遣する。不測の事態に備えつつ、状況を観察・記録せよ」
職員の一人がハンディトーキーで通話している。ビデオカメラをこちらに向けている職員もいた。
女性は対岸のこちらまで、池の水面をつかつかと歩み寄ってきた。
あり得ない。池の水深は十m以上ある。
まさか…… 本当に超常的な存在なのか? そして、国はそれを知っていた?
「女の宮司とは珍しいの。それに、地の者でもない様じゃ…… いや、汝だけではない。贄の他は皆、余所者じゃな。格好も見慣れぬ洋装の者ばかり。何があったのじゃ?」
「村は廃され、今や贄の一族は、これが唯一でございます」
女性は不思議そうに首を傾げて問い、阿部さんは重々しい口調で答えた。
「なれば喰ろうては、贄の血が絶えてしまうのう」
女性は僕を喰うつもりだった様だが、村の生き残りが僕一人という事で困惑を見せた。人間なら誰でもいいという訳ではないらしい。特殊な遺伝体質でもあるのだろうか。
「それにつき、ご相談したき事がございます」
「ほう?」
「魔界に戻らず、この地にお住まい頂きたく存じます。月に一合、この者の生血を献じましょう」
「生かして血を絞り続けるとは知恵者じゃ。して、我をこの地に留め、何を求める?」
「鬼神殿の御身を色々と調べとうございます。特に、何百年も老いぬ若さの秘訣など」
二人のやりとりを聞き、僕は状況を理解した。
この女性…… 〝鬼神〟こそ、国が欲しがっていた物だ。老化防止物質の研究に使えると期待しているのだろう。
恐らく阿部さんは、僕の様な飾り物ではない、計画の重要な立場を担っている。
そして僕は、鬼神の人身御供となり得る最後の生き残りとして、計画に不可欠な存在だった。あまりに気前が良い待遇にも納得が行く。
「鬼神の長寿を羨むだけでなく、その手に掴まんと欲するか。はたして人ごときに解き明かせるかの?」
「必ずや」
「人界で我が身を保つには、月に一合の血だけでは足りぬ。その分は、この贄に夜伽をさせて精気を吸わねばの」
「仰せのままに」
阿部さんは勝手に話を進めていき、僕はこの女性…… 鬼神に血液を定期提供し、さらに同衾する事が決められてしまった。
「早速じゃが、我の寝所は支度してあろうな?」
「あちらに御座所を建立致しました」
阿部さんは僕の官舎を指さした。あれは僕ではなく、鬼神の為だったのか。
「副所長、人類の為に頑張って下さいね」
満足げに僕へ微笑んで来た阿部さんに、僕は何とも言えぬ憤りを感じたが、金縛りが解けない状態では為す術もない。
指一本動かせない状態で、僕は鬼神の右肩に担がれてしまった。
「では贄よ。勤めを果たし続ける限り、汝を喰うのは待ってやろうぞ」
鬼神は僕の耳元にささやきかけた。つまり、貧血か不能になった時が僕の最期らしい……