婚約者に手を出す不届きな格下令嬢を虐めていたら、突然「私転生者なんです!好きですロゼたゃ!最推しです!」などと意味不明なことを言われました。
「ではエリーさん、39ページから読んでください」
「ふぇっ。はっはい。えっと」
子爵令嬢のエリーは、やんごとなき身分の令息令嬢が集うこのクラスでは浮いた存在である。
田舎者で貧乏。だが性格は素直で、田舎出身者ゆえの人懐こさがあった。
ピンクがかった女の子らしい髪と低身長、常に潤んだ大きな瞳に長い睫毛、守ってあげたくなるような自信無げなロリボイスは男子生徒を魅了するのにそう時間はかからなかった。
そして女子生徒の反感を買うのにもそう時間はかからなかった。
「あの……読む、んですか?」
「はい、読んでください」
エリーはめちゃくちゃ可愛いのである。
たまたま隣国の王太子就任パーティーの帰りに見かけたエリーに、我が国の王太子が一目惚れをする程に。さらにあれこれと手を回してエリーを王立学校に入学させ、自分と同級生にしてしまう程に。
王太子には生まれた時から婚約者が決まっているというのに。
「……読めません」
エリーはしゅんと俯いた。
大半の男子生徒はその姿に心を持って行かれたが、女子生徒はイラっとした。
授業のあと、どんな言葉を掛けて慰めてやろうと下心をフル回転させる男たちと、どんな言葉をかけて罵ってやろうと冷たい目を向ける女たち。姿勢よく椅子に座る令息令嬢の中、ロズリーヌ=エコットが立ち上がった。
「マダムニーナ。エリー様はお読みになれないそうですわ」
高い鼻にふっくらとした唇。長いブロンドの髪に海のように青く深みのある目。ロズリーヌは典型的な美人である。彫刻の女神のように美しく成績も優秀。それは婚約者である王太子を気後れさせてしまう程だった。
王太子は完璧でとっつきにくいロズリーヌよりも、「可愛い系女子代表、守ってあげたくなる部門第1位!」のエリーに横恋慕したのだ。
「くすくす。田舎者って学がないのね。字も読めないなんて」
「あら、学だけじゃなくってよ。教養も品もないわ」
ロズリーヌの取り巻きたちが小さな声で侮蔑の言葉を向ける。
「エリー様を指名するなど時間の無駄ですわ。私が読んでもよろしくって? マダムニーナ」
「えぇえぇ、もちろんですよ」
ロズリーヌは凛とした声で『魔道具の歴史』39頁を読み上げた。
「ふぇ」っとしたロリボイスとは正反対の、澄んだ威厳のある声だった。
終業の鐘が鳴り、教室を出ようとするエリーの前にロズリーヌが立ちはだかった。
「エリー様? ちょっと来てくださる?」
「ふぇっ」
場所は変えたが昼休み時の中庭。
渡り廊下にはぎっしりと野次馬がいた。
だが王太子の婚約者である公爵令嬢ロズリーヌと、王太子のお気に入りである貧乏田舎娘エリーの間に入ろうとする者はいない。
「エリー様? 貴女、読めない教科書など持っていて意味があるのかしら?」
「あ、あの」
「出しなさい」
「ふぇっ」
エリーが目を泳がせながら胸に抱えた教科書の中から一冊を取り出した。
それをちらりと見たロズリーヌがパチンと指を鳴らすと、教科書から火が上がった。
「ひゃっ! 熱っ!」
教科書はボウッと火に包まれ地面に落ちた。そしてあっという間に灰になった。
「何をしているんだ!」
勇ましい声とともに颯爽と現れたのは王太子ニコルだった。
ロズリーヌは婚約者を前に流れるようなカーテシーをした。
「ニコル殿下、ごきげんよう」
「エリーに何をした」
「殿下。婚約者である私に挨拶もせず睨みつけるだなんて、あんまりではございませんか? 皆見ておりますよ?」
「うるさい、答えろ」
ニコルはぐっとエリーの腰を抱き寄せた。
これではどちらが婚約者なのかわからない。
「不要なものを処分して差し上げただけですわ」
「不要だと? 教科書がなければ勉強出来ぬではないか! 先程だって皆の前でエリーに恥をかかせていたな!」
ロズリーヌは薔薇のような艶やかな唇からふぅっと溜息を吐くと、自身の教科書をエリーの目の前に突き付けた。
「あら、必要でしたの。でしたらこちらをどうぞ」
「何?」
「私、この教科書は一度目を通しましたので、全て記憶いたしました。もういりませんので差し上げますわ。教科書は高価ですから、エリー様に新しいものを用意するのは難しいでしょう?」
「エリーを馬鹿にするのも大概に――」
「ロゼたゃ?」
聞き慣れぬ言葉にロズリーヌは無詠唱で結界魔法を展開した。自身と、婚約者である王太子に。
魔法の素質の欠片もないエリーが、何だかわからない音を発した。ロズリーヌはそれを未知の詠唱魔法だと勘違いしたのだ。
「うっそ! ロゼたゃ? え、本当に? やば、吐血」
エリーは口を押さえて鼻息を荒くした。
「エリー大丈夫か!? ロズリーヌに虐められたのが余程辛かったんだな?」
「ちょっと待って、同期中です」
「は……?」
エリーは肩で息をしながらしばらくじっとしていた。
並々ならぬ雰囲気に一国の王子もロズリーヌも何も言えずにエリーを見つめていた。
しばらくしてエリーは口を押さえていた手を下ろすと、丸く大きな瞳を爛々と輝かせてロズリーヌに一歩近寄った。
「ロゼたゃ!!」
(この子一体、何……?)
それはどうやって発音しているのだろうか。結界は作動していないから今現在攻撃されているというわけではない。ということは遅延性の魔法か何か? エリーの領地にだけ伝わる特別な……。
「私転生者なんです! 好きですロゼたゃ! 最推しです!」
エリーから発せられる言葉の何一つ理解できなかった。
「ごめんなさい、意味がわからない」
エリーのキラキラとした眼差しを受け止めながら、ロズリーヌはどうしたものかと考えていた。
虐めていたのだから怯えるなり泣くなりしてくれればいいものを、エリーはロズリーヌの周りを獲物を狙う肉食獣のように移動しては舐めるように視線を動かしていた。
これではロズリーヌの方が獲物である。
(ここで怯んでは全てが水の泡だわ。気を強く持って――そう、平常心、平常心)
ロズリーヌはバクバク鳴る心臓を精神力で抑え込み、偉そうに見えるように少し顎を上げて言った。
「あら、やはり田舎者は節操がありませんわね。そのように人をじろじろと見るなど、それも目上の人間を見るなど、礼儀も何もあったものではございませんわ」
黙っていてもキツい人だという印象を与えるキレ長の目で、ロズリーヌはエリーを睨みつけた。
「ひゃん!」
(ひゃん? え、何で犬の鳴き真似?)
「こ、これはっ、見下しスチルっ!」
(どうしてこの子、喜んで……いえ、悦んでいるのかしら)
「エリー様は私を侮辱していらっしゃるのかしら!?」
「と、と、とんでもないっ! ロゼたゃの立ち絵って正面からしか見たことなかったんで、横顔も後ろ姿も全て目に焼き付けたかった所存っ」
「……」
(「ロゼなんちゃら」って、もしかして私のことなのかしら……)
ロズリーヌは愛称で呼ばれたことがない。
公爵家の例に漏れず厳格な家庭で育てられたことはもちろん、婚約者のニコルもロズリーヌと親しくしようとは微塵も思わなかったため、愛称で呼ばれる機会がなかった。
まぁ、あったとしても普通は「ローズ」であって、「ロゼたゃ」など呼ばれることは絶対にないのであるが。
「エリー様、その、ロゼなんとかというのは、私のことですの?」
「あ、はい!」
(もしかしてもしかするのね!)
「Roseをローマ字読みして、『ロゼたゃ』ですっ」
(ローマ字読みって何? 知らない学問がまだあっただなんて、部屋に戻ったらすぐに言語学の本を調べなくては。方言か古典か何かかしら。発音も不思議だわ。特に後半部分が!)
そんなことを考えていると、蚊帳の外だった王太子ニコルがようやく口を開いた。
「ロ、ロズリーヌ! お前は口を開けばエリーを貶める言葉ばかり、しかし今日という今日は許さぬ! 教科書を灰にするなど捨て置けぬっ。王太子妃としてあるまじき行為だ!」
その言葉にロズリーヌもハッと意識を戻した。
「でしたら婚約破棄でもなさいますか? 私が王太子妃に相応しくないことはここにいらっしゃる皆様が証明してくださるでしょうから。もっとも、エリー様が王太子妃に相応しいとは露ほども思いませんけれど」
高慢なもの言いでニコルを撥ねつける。そしてずらりと並んだ観衆に、挑むように視線を走らせた。その威圧感に誰も声を出せなかった。
そしてその視線がゆるふわガールを捉えた時――
「飛ぶぞ」
(!? エリー様は浮遊魔法は使えないはずっ!)
「あ、精神的な意味です」
「あ、あなた、さっきから一体何ですの!?」
さすがのロズリーヌも困惑の色が隠せなくなってきた。
そうなるとエリーのターンである。
「ニコル王子!」
「な、なんだエリー」
「婚約破棄してくれます?」
「エリー!! 君の口からそんな言葉を……すまない、俺が不甲斐ないばかりに。もちろんだ、君が望むなら俺はっ!」
ニコルは恋焦がれていたエリーの手を取った。
いつもと様子は違う気もするが、大きな潤んだ目も小さくて華奢な手も、可愛らしくて仕方がない。
「望みます」
「エリー、君も俺のことを!」
感極まったニコルは自身の婚約者に向き直り、勇ましく告げた。
「ロズリーヌ! お前は王太子妃に相応しくない! 婚約破棄を言い渡す!」
ロズリーヌは衆人環視の中、これまでで一番美しい礼をして見せた。泣くことも抗議することもない、これが公爵令嬢としての誇りだとでもいうように。
「では失礼いたします」
ロズリーヌは澄んだ声で言うと、微笑んで二人に背を向けた。
直後に鈍い衝撃が背中にぶつかった。
「ロゼたゃ! 私はロゼたゃのこと、わかってますから!」
腰に回された細腕はエリーのものだった。
「無礼者っ、離しなさい!」
ぴしゃりと手を払うと、エリーは愛おしそうに叩かれた手に頬ずりした。
(え……気持ち悪い……)
そうロズリーヌが思ったのも束の間、エリーは畳みかけるように弾丸トークを飛ばし始めた。
「私が年度の違う、古い教科書を使ってたの知ってたんですよねっ!? 先生に言われたページ、魔方陣しか書いてなくって読めなくて、困ってたところを助けてくれたんですよね!?」
(な、なぜそれを!)
「どういうことだエリー」
「私、貧乏で教科書が買えなくて、学園の倉庫にあった古い本を漁って使ってたんです。これは『悪役令嬢スチル2』を拡大してよ~く見るとわかるんですが、私だけ持っている本の表紙の柄が微妙に違うんです!」
えっへん、とでも言いたげに胸を張るエリー。
「さ、さぁ、何のことか存じませんわ」
「それが先生に知られると、私が建造物侵入と占有離脱物横領に問われるとわかって、虐めに見せかけて教科書を読まないように仕向けたり、こうして燃やしてくださったりしたんですよね!?」
(バレてるっ!)
「それに、ニコル王子が私に気があるのを知って、わざと嫌われ役を演じたんですよね。婚約破棄も当然と皆に思わせて、私を新しい婚約者に担ぎ上げるつもりだったんですよね?」
(どうして知っているの!? 私の振る舞いは完璧だったはずなのに!)
人前で汗などかかないロズリーヌの背中に、一筋の汗が伝った。
ロズリーヌはニコルの気持ちを知っていた。ニコルのエリーを見つめる瞳が恋をするそれだとわかったから。
だが順当にいけば、公爵令嬢を差し置いて田舎の子爵令嬢が正妃になるなどありえない。よくて側妃か、愛妾がいいところだろう。
自分との窮屈な結婚生活を強いるより、愛する人がいるならその人と結ばれるべきだとロズリーヌは思ったのだ。
だから「婚約破棄されて当然」の悪役令嬢を演じた。虐められながらも一心に愛を貫いた子爵令嬢エリーが幸せを掴むというドラマティックな筋書きが必要だった。それは民衆に受け入れられる純愛ストーリーであり、本人たちにとっても逆境の中育まれた強い愛情になるはずだった。
なのに――。
「それは、まことか?」
ニコルは揺れる目でエリーとロズリーヌを見た。
「はいっ! 考察サイトでそうだって気付いた人がいて、実際転生してみたらその通りで、もう鳥肌ものです!」
「コーサツサイト?」
「あれが伸びまくって、ロゼたゃの人気爆上がりで! 私もロゼたゃ沼にハマってしまいました! それを一切匂わせないシナリオも激アツだったなぁ~」
「沼……シナリオ……ゲキアツ……」
ニコルは反復してみたが、その言葉の意味をかみ砕くことは出来なかった。
「つまり、ロズリーヌに悪意はなかったということか? まさか、脅されてそう言わされているのか?」
「悪意どころか善意の塊ですよっ! ねっ!?」
そこにいた全員がロズリーヌを見た。
ロズリーヌは唐突に暴かれた真実と、エリーのよくわからない熱量に気圧されて目を見開くことしか出来なかった。
それが悪かった。
ロズリーヌは身を引くつもりだったのに、人々の目は「なんて健気なんだ」「聡明なロズリーヌ様が虐めなどするはずがなかった」「この人こそ国母に相応しい」と急にロズリーヌ寄りになってしまった。
そしてそのあとに「でも、さっき婚約破棄って言ったよな?」というやっちまった感が一帯を埋め尽くした。
その空気を悟ったエリーは、空気を読めない爆弾発言を落とした。
「ロゼたゃ! 私と結婚してくださいっ!」
どよめきは空まで反響した。
「エリー、何を言っているのだ。お前は女だろう」
「こちとらジェンダーフリーの時代からやってきたんです! 全く問題ありません!」
「お前は俺と結婚したくてロズリーヌとの婚約破棄を望んだのではないのか!?」
「違います。私はロゼたゃと結婚したくて、元婚約者の貴方が邪魔だっただけです」
「じゃ、邪魔!?」
エリーは可憐な笑顔で「はい!」と言った。
「さすがに王太子殿下の婚約者を奪うとか手を出すとか逮捕案件じゃないですかー。でも婚約破棄したんだから、もういいですよね?」
エリーは天使のような微笑みをロズリーヌに向けると、すっとその胸に顔を埋めた。
小さくて華奢なエリーは、高身長でスタイルの良いロズリーヌの胸にぴったりおさまった。
(手を出す!? 手を出すって一体何をするつもりですの!?)
「あぁ、いいにおい~。やわらか~い」
「エ、エリー様っ!?」
「もうロゼたゃしか勝たん」
「何を言って――ひゃ! どこを、んっ、触ってるのっ!」
「公式にルートないし、何ならワンナイトでもいいかなーと思ったけど。決めた、絶対ロゼたゃルート進む。なければ私が切り開く」
「は、離れなさい」
「離れたら結婚してくれます?」
「しません!」
「じゃあ恋人になってくれます?」
「なりません!」
エリーは潤んだ瞳でじっとロズリーヌを見上げた。天使の上目遣いである。
「友達なら、いいですか?」
いじらしく作ったロリボイスに、ロズリーヌは思わずきゅんときてしまった。
実を言うと、小動物のようなピンクのふわふわのエリーの髪を一度撫でてみたいと思っていたのである。
「お友達なら、構いませんわ」
ほんのりと頬を染めたロズリーヌがふいと顔を背けた。
「あぁ、推しが尊い」
エリーが転生生活を楽しむのはまた別のお話。
がんばれエリー!
君の戦い(ロゼたゃ攻略)は始まったばかり!
(終)