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花園地獄  作者: 九藤 朋
23/26

二十三、

 猛暑の候、とても出歩く気分になれず、瑠偉は今日も別荘に引き籠っていた。広い別荘内は、幼子の域をとうに脱した瑠偉であっても探険するに叶う恰好の場所だった。何しろ地下一階から二階まであるこの建物は部屋数が多い。その内にはまだ見ぬ部屋もあるのではないかと瑠偉は密かに思っていた。柏木に部屋の鍵束を貸してもらい、一部屋一部屋を見て回る瑠偉は、貴婦人の秘密のヴェールを剥いで素顔を暴き立てる行為をしている心持ちになった。

「青の部屋はとびきりでございますよ」

 そう思わせぶりに言って片目を瞑って見せた柏木の言葉は、瑠偉の心を浮き立たせるに十分で、瑠偉は部屋を見て回りながらとりわけ青の部屋とやらに注意を払っていた。

 何でも瑠偉の父が幼少期を過ごした部屋らしい。粋を好む父の感性を育んだ部屋というだけで、瑠偉は強く心惹かれた。この別荘自体が宝箱のような建物なのだ。きっと青の部屋は、その中核を成すものに違いないと瑠偉は考えていた。

 このように、部屋から部屋へと渡り歩く少女の姿は、花から花へと飛び回る蝶の姿にも似ている。その日、瑠偉が着ていたのは白いワンピースだったので、その印象はより際立った。見る者とてない密やかな探険だが、彼女の動向を知ればそこから目を離せなくなる人間は多いだろう。

 鍵束を渡す時、柏木は少しだけ顔を傾げた。

「お召し物が、汚れないと良いのですが」

 白い衣服は汚れやすく、また汚れが目立つ。だが瑠偉は平気よと笑って鍵束を受け取った。

 その言葉を裏付けるように、瑠偉は上手く立ち回り、真っ白なワンピースは未だ何の汚れもない。

 瑠偉が長居した部屋は書庫で、一歩、足を踏み入れると、部屋全体に籠る本特有の匂いが鼻腔を攻めた。瑠偉はそれをかぐわしいと感じ、並ぶ本の背表紙を撫でて回った。本の日焼けを防ぐ為であろう、その書庫は北側に面し、薄暗い。電気を点けると暖色の控えめな光がシャンデリアを煌めかせた。背表紙を撫でる瑠偉の手がふと止まる。

 一冊の本の背表紙は、下のほうに蝶の形をした刻印があった。手に取って中を見ると、このあたりの土地にまつわる伝承が書かれていて興味深い。中に目を通す瑠偉は、集中していたので各務に声をかけられるまでまるで気づかなかった。

「瑠偉」

 びくりとして、思わず本を取り落とす。

「各務お兄様」

「柏木に瑠偉が別荘内を探険してると聴いてね」

 瑠偉は読んでいた本を拾って元に戻し、各務に正面から向き直って、それから兄の顔を直視し辛くもじもじとした。


「青の部屋を探しているの」

「青の部屋?」

「柏木が言っていたわ。とびきりだって」

「父さんが過ごした部屋だね」

「はい」

「じゃあ、僕も共に探すことをお許しいただけますか、女王陛下」

「許す」


 その後、二人は顔を見合わせて笑み崩れた。良かった、こうしてほぐれる時間がある、と瑠偉は安堵する。ともすれば各務との間には、緊張した空気が生じるので、それが彼女の心臓を忙しなくさせるのだ。


 青の部屋は二階の東端、突き当りにあった。

 銘打たれている訳でもないのに、そうと判るのは、その部屋の内装が青一色だったからである。小さな木馬は精巧な細工と彩色が施され、静かに鎮座している。壁の飾り時計には小人たち。時間になると鳥が飛び出すのだろうか。床に敷かれた絨毯も真っ青で、無造作に転がるクッションは縁こそ銀色に光るが、生地はやはり深い青だ。天蓋つきのベッドも青い。他愛なさが呆気なく可愛らしい玩具も青系統の色で統一され、ベッドの近くに置かれている。

 柏木がとびきりと言った理由が解る気がした。

 そこは研ぎ澄まされた美意識と柔らかな慈愛が調和した優しい空間だった。突出した仕掛けがある訳でもない、言ってしまえばただの子供部屋だが、そこに流れる空気の温和に、瑠偉は安らいだ。

「良い部屋だ」

 言葉少なに褒めた各務に、瑠偉も頷く。切羽詰まった恋情を抱え続ける負担を、青の部屋は和らげた。二人共、どこか安堵していた。今この瞬間だけは、幼児に帰ることが出来る。それが許される。

 肩の力が抜けたようで、その為に瑠偉も各務も、蝶の刻印がしてある本の内容の重要性に気づくことはなかった。もしも気づいたなら、或いはこの先に二人を待ち受ける運命も変わったかもしれない。


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