二十二、
その夜は眠れないかと思っていた。けれど夜中、朦朧とした意識の中、各務の胸に顔を寄せている自分を何となく知覚して、その時、瑠偉の胸は春色がさっと染め上げた。その、幸福な春色を抱いて、瑠偉は再び眠りの淵に沈んだ。
どこかで鳥の羽音が響いた気がして、目を開けると、もう日は高く昇っていた。隣を見ると各務の姿は既にない。瑠偉は自分でも驚くほどに落胆して、オレンジピンクの、ノースリーブのワンピースに着替えると洗面所に向かった。洗面所では偶然、鮮が化粧しているところだった。瑠偉の視線がしつこかったのか、アイラインがくっきり引かれた目でじろりと瑠偉を見る。
「何よ。あんた、視線が煩いのよ」
「ごめんなさい……」
「どうせ、自分は化粧する必要もないって考えてるんでしょうけど、全然違うから、それ」
「そんなことない、けど」
「今はオレンジが基本のアイシャドウ使ってるのよ。あんたは素質に胡坐を掻いて、そのへんの勉強なんか疎かにしてるんでしょう」
「……」
素質に胡坐を掻いている訳ではないが、化粧の勉強が疎かなのは確かなので、口ごもる。簡単な洗顔だけ済ませると、見張るようにそれを眺めていた鮮が、瑠偉にわざとドン、とぶつかり、あらごめん、と言って洗面所を出て行った。蛇口からはポタリポタリと、まだ雫が垂れている。
食堂に行くと、既に各務は朝食を摂っていて、柏木がサーブしていた。鮮が各務の隣の席に着くと、各務には思い切り愛想の良い笑顔で挨拶をした。各務も品よく応じる。それから、瑠偉はここにおいでと、鮮とは逆の席を示してくれた。鮮の細い眉が吊り上がる。柄が象牙で銀のカトラリーは、両親が海外で特注した物だと聴いている。昔、貴人は毒の有無を計る為に銀食器を用いたとか。
瑠偉に毒を盛る人間などいない。
鮮は攻撃的だがそんなことまではしない。
温かいクロワッサンを頬張り、スクランブルエッグを食べながら、毒は自分かもしれない、と瑠偉は突飛なことを思いつく。だって、各務の心にある瑠偉は、きっと各務には毒なのだ。反対に、瑠偉の心に各務を住まわせておくことも、各務には毒なのだ。
ふと、頭に優しい手を感じた。
各務が微笑して瑠偉の頭を撫でている。
「僕のお姫様は何やら悩み事かな」
ガタン、と激しい音を立てて鮮が立ち上がる。彼女には許容出来ない各務の言動だ。瑠偉はそちらをちらちら気にしつつ、首を横に振る。そして心の中だけで各務に謝った。毒だとしても。好きだという想いに歯止めの利かない、罪深い自分の存在を。