表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花園地獄  作者: 九藤 朋
16/26

十六、

 瑠偉は各務を避けるようになった。

 それまでは主人にまとわりつく子犬のように、機会があれば各務と一緒にいた。けれど、伝った紅を舐められて、瑠偉は各務を恐ろしいと感じるようになった。それはほんの契機に過ぎなかったのかもしれない。その一件の前にも、各務は瑠偉に対して、妹に接するには相応しくない態度を示していた。真実、恐ろしいのは、そんな各務を容認して受け容れつつある自分の心だった。信じられないと感じた。少女の潔癖は、危険から遠ざかることを選んだ。

 あんなに好きだった各務を、このように思う日が来るとは想像もしていなかった。

 各務は瑠偉にとって優しい陽だまりであり川のせせらぎだった。それらが幻のように霞み、消えゆくことを瑠偉は許し難いと思った。


 そんな瑠偉の、瑠偉たちの変化を敏感に感じ取り、にやにや笑うのは鮮だ。

 今日の夕食は帆立ご飯が供され、それは瑠偉の好物であるのに、咽喉を通らない。各務は、自分を避けて逃げ回る妹を、悲し気な視線で見つめるばかりだ。


「今日、あたしの部屋に来る? 各務兄様」

「何をしに?」

「〝なに〟をしに」


 鮮の挑発的で、且つ扇情的な声色に、瑠偉はどきりとする。煩い。心臓が煩い。各務が鮮とどうなろうが、妹の自分が口を出すべき事柄ではない。そう思うのに、気づけば瑠偉の唇は勝手に動いていた。


「今夜は宿題を見てくださるお約束よね、各務お兄様?」

「ああ、そうだったね」


 瑠偉の咄嗟のでまかせに、各務は対応してくれた。鮮が忌々し気な顔をする。食卓でなければ舌打ちの一つもしたかもしれない。瑠偉は内心、震える息を吐いていた。各務がまだ自分に優しいことが嬉しかった。晩餐はその後、粛々と進められた。何だかお葬式みたいだわと瑠偉はぼんやり思う。それでは弔われているのは、一体ここにいる誰なのだろう。瑠偉にはそれが自分自身に他ならない気がした。


 瑠偉は長方形に切り取られた紺青の夜空とそこに散る星、引っ掻いたような月を眺めていた。悲しみを訴える心を持て余す。各務が遠くに行ってしまった。違う、本当は違う。近くに来られ過ぎて、怯えて突き放しているのは瑠偉のほうだ。

 コ、コン、と戸がノックされ、振り返ると各務が立っていた。今日の夜空より静かな表情だった。欲情の欠片も見出されない。


「瑠偉。済まない」


 各務は部屋に一歩だけ踏み入った場所からそう告げた。紺地の単衣を着ている。瑠偉は各務にはその着物が一番似合うと思っていた。


「何を謝るの、各務お兄様」


 各務は泣き笑いのような顔をした。


「瑠偉を好きになったおぞましい兄であることを」


 瑠偉の心は恐怖した。瑠偉の心は恐怖した。最も欲しかったものを得た気がするのに、その重みに打ち震える。


「各務お兄様。私もごめんなさい」

「何が?」

「いつも、ずっと各務お兄様のことを考えているの。気づけばお兄様の姿を捜すの。触れられると怖いのに、もっとって、欲しがっているの。私、浅ましい」


 二人は数歩ずつ近づき合った。示し合わせた訳ではない、自然のリズムだ。

 空を引っ搔いた月が自分も引っ掻けば良いと瑠偉は思う。

 各務が瑠偉を掻き抱いた。瑠偉は花束になった気がした。それぐらい、荒々しくも優しい抱擁だったからだ。


「堕ちて、瑠偉。僕のもとまで堕天しておいで、僕の姫君。けれど僕はそう願うのと同じくらいそうなることが恐ろしい。瑠偉。……僕は瑠偉を愛しているんだよ」


 妹ではなく一人の女性として、という熱を帯びた甘い声が瑠偉の耳に忍び込んだ。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ