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花園地獄  作者: 九藤 朋
15/26

十五、

 各務の言葉はいつも瑠偉にとって魔法の言葉だった。


〝僕だけの姫君〟


 魔法は宝石となり、瑠偉は有頂天になってそれを心の宝石箱に仕舞い込んだ。

 調理室にあるテーブルの椅子に座り、彼女は琥珀色の硝子コップを眺めていた。中にはレモネードが入っている。硝子コップは分厚く、凸凹して気泡が多い。以前、各務がもっと洗練された物を使えば良いのにと笑ったのを思い出す。けれど瑠偉は、この武骨な美しさを持つ硝子コップが好きだった。これは両親が骨董屋で買い求めた物だと聴いた。両親は美品や古い道具が好きで、休みには色んな店を見て回った。昨晩のメインディッシュが乗っていたのも、そのようにして求められた古い琉球硝子の大皿だった。

 柏木が後ろで作業している。きっと夜の仕込みだろう。瑠偉を邪魔にしない。彼はいつも温厚で、瑠偉たちを思い遣ってくれる。だから瑠偉もつい、それに甘えてしまうのだ。


「ねえ、柏木」

「何でしょう、瑠偉様」

「柏木は恋したことある?」


 柏木の手が止まり、一瞬の空白が生まれる。


「ごさいますよ」


 答える声は柔らかな笑みを含んでいた。


「お相手はどんな方?」

「美しくて、気立ての優しい方でした。瑠偉様に、少し似ていたかもしれません」

「柏木は独身よね。その方と結婚しなかったの?」

「……彼女が病気で亡くなったので」

「――――ごめんなさい」

「いいえ。過ぎたことです」


 しかしそれならば柏木は、その女性を想って未だ独身でいることになる。

 瑠偉はレモネードをこくりと嚥下した。

 相手の女性もきっと柏木を好いていたに違いない。想い合っていても結ばれない関係はある。


「……」


 矢も楯もたまらず、瑠偉は硝子コップを置いて、調理室を飛び出した。その背中を柏木が遠い昔を思い出すように見る。瑠偉と各務が惹かれ合っているのは解る。だからこそ遣る瀬無くもなるのだ。


 柏木と相愛だった女性は、彼の姉だった。



「各務お兄様!」


 息せき切ってノックもせず部屋に飛び込んで来た妹に、各務は軽く目を瞠った。


「どうしたんだい、瑠偉。着物の裾が乱れているよ」

「あ……」

「座ってごらん。直してあげる」


 瑠偉が大人しく各務のベッドに座ると、各務は蹲り、裾を直し始めた。


「柏木の恋の話、ご存じ?」

「ああ。さあ、直ったよ」


 実際、各務は瑠偉よりも詳しく柏木から話を聴いていた。柏木は、各務へ戒めの意味も籠めて打ち明けていたのだ。

 各務はまだ蹲ったままで、悲しみと恋慕の情に共鳴したのであろう瑠偉の顔を見る。同時に、柏木に対して嫉妬の心が湧いた。花模様が散らされた、瑠偉の着物の裾をそっと割る。


「あ…………」


 偶然にもそこには、瑠偉の月のものの今月初めての紅が伝い落ちて来ていた。瑠偉のそれはいつも不安定だった。恥じて隠そうとするのを、各務は許さなかった。裾を一定の高さまでめくりあげ、その、少女の儚い涙にも似た紅を舐め取った。



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