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花園地獄  作者: 九藤 朋
13/26

十三、

 はっと瑠偉が我に帰ると、鮮が足取りも荒く食堂から出て行くところだった。瑠偉は慌ててその後を追う。鮮の中傷は何の根拠もないことだが、(やま)しいことが僅かもないとはとても言い切れない。そうした思いが瑠偉に鮮を追わせた。各務はそれを止めることなく、妹の小さな足音を耳に、楽でも聴くような顔で、笑んでいた。


「待って、鮮!」

「離しなさいよ、この女狐。子供の顔してとんでもない女だわ。ねえ、あんた、もう女なんでしょう? それも、各務兄様の」

「そんな事実はないわ。それにしてもさっきのお兄様の態度はあんまりだった。ごめんなさい」


 その瞬間、ドッと瑠偉の腹部を鮮が蹴った。帯に守られているとは言え、容赦のない一撃に瑠偉の口から胃液が飛ぶ。蹲らざるを得ない。


「あたしを哀れんだって訳? それはそれは。とんだ聖女様もあったことね。この、薄汚い売女(ばいた)が! 犬畜生にも劣る」


 酷い侮蔑の罵詈雑言を、鮮は瑠偉に浴びせるだけ浴びせると、踵を返した。

 瑠偉は呆然と鮮の赤く輝くような後ろ姿を見ていた。鮮は、激しく、怒れば怒る程に美しい。その過激さを、羨んでいることを瑠偉は自覚した。足蹴にされた屈辱や悲しみは色濃いが、鮮のどうしようもなく持て余している孤独や悲哀が共感覚の優れた瑠偉には伝わってくるだけに、彼女に対して強い恨みは抱かなかった。長い廊下の赤い絨毯に手をつき、よろめきながら立ち上がる。まだ腹部への衝撃は強く残り、このまま部屋まで戻ることは困難に思えた。

 だが、その困難を、瑠偉は成し遂げようとしていた。いつまでも各務の助けを待っているような脆弱な子供ではいけない。そんなだから鮮にもあらぬ疑いを掛けられる。瑠偉は草履を一歩一歩踏みしめ、部屋までの帰路を辿った。

 部屋まで辿り着いた時には汗を掻いていた。渾身の力を振り絞って帯を解き、着物を脱ぎ肌襦袢だけになる。ようやく人心地つく。部屋つきの浴槽に湯を溜めながら、瑠偉はとりあえずワンピースに着替えた。気軽に着られる木綿のワンピースは、火照った肌を鎮めさせる涼しさだった。

 (ひぐらし)の鳴き声が聴こえる。今頃、鮮も泣いているのだろうか。瑠偉はベッドに座ったまま、少し俯いた。そうすると彼女の白磁のような肌、亜麻色の髪も相まって西洋人形めいて見える。

 もうそろそろ湯も溜まっただろうかと顔を上げた時、そこに立つ各務の姿に瑠偉は心底驚いた。腕組みをして、底の知れない表情を浮かべている。


「僕に助けを求めれば良かったのに」

「お兄様。私、一人で何とかしたかったの。鮮もあのままじゃ可哀そうだったわ」

「優しいね。瑠偉は。結局、蹴るなんて野蛮な行為を受けても部屋まで自力で戻って」

「見ていたの?」

「ああ」


 ならば何も言わずとも手助けしてくれれば良かったものを。瑠偉の恨めし気な視線を汲み取ったように各務がくすりと笑った。


「瑠偉が、僕に助けを求めることが肝要なんだ」


 そう言うと、机に置いてあったモノクロームの万年筆を執る。シックで格調高いペンは各務の手の中でくるくる回転した。


「僕は僕が美しいと思うものの為になら全力を尽くす。この万年筆は瑠偉に相応しい。でも鮮は相応しくない」


 切り捨てた言い様に、瑠偉はぞっとした。元々、冷淡なところもある兄だと知ってはいたが。


「着物も」


 やや弱い声調で各務は続けた。


「着物も独りで脱ぐことはなかった」

「各務お兄様。ワンピースを脱がせて頂戴。丁度、お湯が溜まる頃合いなの」


 各務が目を丸くする。瑠偉は自分が何を言っているのかよく解っていなかった。只、なぜか今の兄を放ってはおけない気がした。各務は前髪をくしゃりと掻き上げ、おいで、と瑠偉に告げた。瑠偉の肩から、レースのついた布地を落とす。

 あっという間に瑠偉を守るのは下着だけになった。瑠偉はその姿のまま、各務にしがみついた。


「ずっとお傍におります」

「……うん」

「瑠偉のいるところは各務お兄様のおられるところです」

「……うん」


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