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花園地獄  作者: 九藤 朋
11/26

十一、

 今日も蝉が姦しい。よくもまあ、そんなに鳴けるものだと意地悪混じりに瑠偉は感心してしまう。けれど今、この瞬間も、振り返って見れば琥珀に閉じ込められた虫のように見えるのだろう。鈍くてとろりとしたセピア色に封じ込められた生の一瞬。

 瑠偉は朝から捜し物をしていた。各務と以前に行った、アートアクアリウム展で買った写真集だ。あれはあの場だけで買える物で、代わりを今から探すことは出来ない。瑠偉の部屋の冷房は直ったが、瑠偉は汗を掻きながら持ってきた荷物を漁っていた。


「瑠偉。どうしたんだい?」


 各務が扉から顔を覗かせた時、瑠偉の胸には助かったという思いと、恥じらいとが同時に押し寄せた。あの夜、各務にされたことはまだ忘れていない。それどころか日増しに記憶は鮮明となる。けれど瑠偉の胸を満たすのは恨めしさではなく、どうしようもない恋しさだった。始末に負えない、と自分でも思う。ぎこちなく唇を動かす。その唇を、各務が凝視しているように見えるのは気のせいだろうか。


「お兄様。本が見つからないの」

「何の本?」

「アートアクアリウムの」

「ああ」


 各務は得心したように頷く。ページが擦り切れるくらいにまで、瑠偉がその本に夢中だったことを彼は知っている。さぞ気落ちして捜していたのだろう。


「どうしよう、限定版なのに」

「落ち着いて、瑠偉。目を閉じてご覧」


 各務に言われるまま、目を閉じる。各務が傍に来たことが気配で判る。逃げ出したいような、囚われたいような不思議な感覚。


「赤、黒、白、金、色んな色の金魚が泳いでいるのが見えるだろう?」


 各務の声に誘導されるまま、瑠偉の眼裏には色とりどりの、華やかな金魚たちが動き回る。


「緑の縁の水槽があるね。何が入ってる?」

「黒い金魚、硝子の水槽にレース模様がついてるわ」

「そう。他には?」

「水が溢れてる青い水玉模様の鉢にも、おっとり眠たそうな白い金魚たちがいるわ」

「うん。さあ、アートアクアリウムの目玉、中心部に来たよ。何が見える?」

「大きな、ぼんぼりみたいな水槽。白い金魚が泳いでる」

「そう。ね? 本がなくても、瑠偉は記憶の中からいつでもあのアートアクアリウム展に行けるよ」


 至近距離からの声に目を開けると、各務が微笑して瑠偉を見ていた。それだけで動悸が早くなる。けれど各務はアートアクアリウムの恩人だ。礼は伝えなければ。


「ありがとう、各務お兄様」

「どういたしまして」


 そこにバン、といきなり本が叩きつけられたので、瑠偉は怯え、各務はそんな彼女を庇う体勢をとった。入口に立っていたのは、数日ぶりに見る鮮だった。彼女は夏バテを良いことに、横着にも食事を部屋で摂っていた。


「鮮。この本は?」

「ちょっと借りてただけよ。そんなにギャーギャー喚くことじゃないでしょ」


 鮮の嫌がらせだったと気付いた瑠偉は流石に憤りを感じた。何より、各務との大切な品を粗略に扱われた。パン、と乾いた音が響く。

 各務が鮮を叩いたのだと判るまで、鮮も瑠偉も同じくらいの時を要した。当然のことながら鮮は激昂した。


「何よ、そんな子庇って。借りてただけだって言ったでしょ!? ちゃんと返したんだから文句ないでしょうが!」

「無断拝借は悪いことだよ。さっきの返し方だって随分だ」

「はいはいはい、悪いのは全部あたしって訳ね! 不愉快だわ!!」


 怒鳴り散らすと、鮮は身を翻して去って行った。

 各務がふう、と息を吐く。


「困った奴だな」


 その声音に、負の感情ばかりがある訳ではないことを瑠偉が察した時、彼女の胸でちりちりと、何かが焦げるような感覚があった。それが嫉妬だということを、瑠偉は自覚していない。



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