第一話:出会い
シトシトと降る雨。
何日か前に梅雨入りしたこの地域では今日も冷たい雨が降っている。まとわりつくような湿気に私は思わず顔をしかめた。
胸元まである髪ときりそろえた前髪が首元やおでこにはりつく感じがして結んでしまおうかと思ったが、生憎今日は髪ゴムを忘れてきてしまった。
「帰りたい・・・」
まだ登校途中にもかかわらずそう呟いた。
「あのねりっか、まだ学校にすら着いてないんですけど!」
とぉ!とふざけながらチョップしてきたのは友人の安達由紀。肩の辺りまでの髪を耳の下で二つに結んでいる私と同じくらいの背丈の笑顔が可愛らしい女の子だ。中学の時こちらに越してきた私に一番最初に話かけてくれたのが由紀だった。
『ねぇねぇ!あなたも東京から来たんでしょ?あたしもつい最近東京からここに越してきたの!名前なんて言うの?』
『えっと・・・橘 立夏です』
『あたしは安達由紀!よろしくね!!』
引っ込み思案で臆病者の私に由紀が声をかけてくれたおかげで、少しずつ周りの人達とも打ち解けることができた。私の良き理解者であり親友なのだ。ちなみに「りっか」とは彼女がつけた私のあだ名だ。「りつか」より「りっか」の方が呼びやすいというのでそう呼び始めた。私はなかなか気に入っている。あだ名をつけられるというのは嬉しいものだ。
そんな事を思いながら歩いていると由紀が口を開いた。
「確かに雨は毎日のように降ってるしジメジメしてるし、帰りたくなる気持ちもわかるけどね・・・」
そう言うと傘ごしに暗い空を見上げた。つられて私も空を見上げる。
雨は嫌いだ
何でかと聞かれたら困るが暗い空を見ていると何だか胸がしめつけられるような感覚に陥る。「切ない」とかではない、どちらかといえば「恐怖」に近い。理由はよくわからない。そこには何か「忘れている」事があるような気がするがまったく思い出せないし高校生になった今でも支障はないので思い出す必要はないと思っていた。
なんとなく暗い気持ちのまま由紀と肩を並べて歩いていると校門が見えてきた。由紀と一緒で良かったと思う。一人だったら帰っていたかもしれない。それくらいさっきから胸騒ぎがしていた。
とりあえず早くにぎやかな場所に行きたくて足早に校門を通ろうとした。その時
「聞こえるか」
いきなり後ろから男の人の声が聞こえた。周りには私と由紀しかいない。その言葉は明らかに私達に向けられた言葉だった。
驚いて後ろを振り返るとそこには誰もいなかった。見渡してみても男の人どころか人っ子一人見当たらない。それはそうだ、ここには私と由紀しかいないのだから。
おかしいな、と思いながらふと目線を下にやると一匹の猫がいた。グレーにところどころ白い毛が入っているまだら模様の猫だった。猫はじーっと私を見ていた。思わず私も見つめていると
―あ……たの……し…い―
え?何・・?何か聞こえた・・・?由紀・・ではなさそうだし、じゃあ誰が・・・
キーンコーンカーンコーン・・・
「やば!ちょっとりっか!そんなトコで立ち止まってると遅刻だよ!!」
予鈴と由紀の声にハっと我に返った。
「う、うん!ちょっと待って!!」
そう言って私は走る由紀を追いかけ教室を目指して急いだ。途中気になって後ろを振り返ってみると、猫はまだ私を見つめていた。
シトシト・・・
午後の授業が始まっても窓の外の景色は朝と変わらなかった。自然とため息が出る。朝見た猫の事を思い出してチラと校門を見てみるがもう猫はいなかった。
「なーんか考え事?」
放課後、ぼんやりとしていた私に由紀が声をかけてきた。特に考え事をしていたわけではなく心配させてしまったことに申し訳なくなる。
「ううん、全然!強いていうなら今日の夕飯何かなーって思ってた!」
「あっそ」
なんだか呆れられてしまったようだが、心配してもらうよりはずっといいので黙っておいた。
鞄に教科書などを入れてクラスメート達に手を振り一人教室を出た。帰りは由紀が部活がある為だいたい一人で帰っている。
私達一年生の教室は昇降口から1番遠い三階にある。いつもなら階段を降りていると誰かしらに会うのだが今日は誰ともすれ違わなかった。いつもなら気にならなかったのだろうけど今日は一人で帰るのがなんとなく嫌だったので誰かに声をかけようと思っていたのだ。
「仕方ない、一人で帰ろ…」
靴を履きかえて学校を出る。相変わらず空は暗かったがもう雨は降っていなかった。
ぬかるんだ道をゆっくりと歩き校門を出たところでまた猫の事を思い出し辺りを見渡したが、やはり猫はいなかった。自分でもなんでこんなにあの猫が気になるのかわからなかった。
「ま、いっか!ただの野良ちゃんだしね」
そう自分に言い聞かせ歩き出そうとした時だった
「聞こえるのか」
「…!」
また聞こえた。朝の時と同じ男の人の声だ。心臓が高鳴り今度は逃げられないように勢いよく振り返った。
「…っ!朝の……野良ちゃん?」
振り返った先にはあの猫がいた。朝の状況とまったく一緒だ。
「あたしの空耳だったのかなぁ…あ、もしかして…あなた?」
ちょっと怖くなった私は誰も見ていないのを確認して冗談で猫に話しかけた。
「なーんてことあるわけないか…」
「聞こえるのか?」
一瞬…いや、何秒間は凍り付いた。確かに聞こえた。しかも声がした方には猫しかいない。ギギギ…っという音が聞こえてきそうなぎこちなさでもう一度猫を見てみると…
「私の声が聞こえるのか?」
今度は確実だ。目の前の猫が喋ったのだ。体中から血の気が引いた
「ふむ、やはりお前には聞こえていたんだな、私の声が。やっと私の存在に気付く者が現れ…」
「ぎゃああああ!!」
猫の話を遮るように悲鳴をあげて私は駆け出した。途中で振り返る事なく一目散に家へ走った。
玄関の鍵を開け階段を駆け登り自分の部屋へ駆け込み扉を勢いよく閉める。
「な…な…っ、な…んなの……!?」
全力疾走したために息がいまだに整わず脳に十分な酸素が行き届いていないせいかクラクラする頭で先程の事を思い出す。
「ね、猫が喋っ…た?」
いや、普通に考えてそれは有り得ない。だとするとさっきのあれは何?夢…だったのだろうか
「そっか、夢だ!ありえないもの!やだな〜あたしってばいつ寝ちゃったんだろ」
「歩きながら眠れるとは嫌な意味で天才だな」
「何よしつれい……ね…」
心ない台詞にムっとして言い返そうと振り向いて目を見開いた
「ずいぶん殺風景な部屋だな。もっと女らしい部屋にできないのか」
「ひぃぃぃぃ!!」
いつの間に入ってきたのかさっきの猫が窓際にちょこんと座って部屋の感想を述べた。私はとても女らしいとはいえない叫び声で壁に張り付いた。
「ゆ、夢?まだ夢の中なの!?早く起きて私!」
「残念ながらこれは夢ではない。現実だ」
そう言うと軽やかに床に着地し私に近づいてきた。私はこれ以上下がったら壁にめり込むんじゃないかというくらい壁に体を押し付けて逃げようとする。
「そんなに怯える事はない。何もとって喰おうというわけではないんだからな」
「わ、わ、私になんの用なんですか…!」
絞り出すように出した声は変にうわずっていた
「お前にはどうやら“見る”素質があるようだ」
「“見る”…素質?なにをです…か?」
「妖をだ」
妖…つまり妖怪を“見る”素質が私にあるということなのか。しかし今までそんなものは見た事がなかった私は怪訝な顔をした。それを見た猫は
「私の声が聞こえたのが何よりの証拠。見る力のない者には私の声は届かない」
確かにこんな風に喋る猫がいたらとっくに有名な話になっているはずだ。誰もこの猫の存在を知らないのはおかしい。
「つ、つまりあなたも妖・・・って事・・?」
「そういう事だ。名はリオウと言う。元々は力のある妖だったのだがある人間の組織に力のほとんどを封じられてしまったのだ。」
「化け猫・・・?」
猫の妖怪、つまりは化け猫かと口にすると毛を逆立てて口を荒げた
「阿呆か!私は化け猫などではくもっと高貴な妖だ!!力が封じられた時、姿を保っていられなくなったので近くを通ったこの猫に体を借りているだけだ」
ひとしきり自分の事を話し終えると猫・・リオウは私を見つめた。
「お前、何か違和感を感じないか?」
「違和感・・?」
いきなり何を聞くかと思えば。いきなり違和感を感じないかと言われても・・・と考えていると
―あ……たの……し…い―
ズキン…!
まただ・・・何か聞こえる。
「どーかしたのか?」
「朝から誰かの声がするの・・なんかこう、頭に直接入ってくるというか」
そう言うとリオウはにやりと笑い
「それは恐らく妖の声だ。お前の力は微弱で普段は何も感じないだろうが私が近くにいる事で力が強くなって妖の声が聞こえるようになったのだ。そのうち姿も見えるようになるだろう。」
「は!?」
力が強くなる??妖の声・・・?姿が見えるようになる・・・!?何を言っているのかわからなかった。いや、わかりたくもなかったが。というかそのうちって・・・ずっと私のそばにいるって事!?
「やっと私の声が届く人間が現れたのだ。簡単に逃がしてやるわけなかろう。お前にはやってもらいたい事があるのだ」
「何勝手な事言ってんの!?あたしは何もやんないから!ていうかできないから!妖なんて見えないし感じないんだから!」
ただでさえ臆病な私に妖怪と関われと!?とんでもないことだ。絶対に嫌だ。
「お前に拒否権はない。もしどうしても断るというなら、私に力が戻ったら一番にお前を喰いに来てやるぞ」
「なっ・・・・!」
喰うだなんて言われたら何も言い返せない。ただの脅しかもしれないが本気だったら困る。というか怖い!!
「クックック、言う事を聞く気になったか。さっそく明日から妖を見る訓練をしてやる。楽しみにしておけ」
その言葉を聞いて私の体からどんどん力が抜けていき目の前が真っ暗になった。
こうして臆病者と妖との長い長い日々が始まろうとしていた。