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鏡柵の番人  作者: 茶内
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第二部: 少年ワネ

 ワネの一番古い記憶は、父にひたすら殴られていることだ。


 しかしそれはワネにとって喜ばしい出来事だった。自分が殴られている間は、妹のサーキが殴られる心配がないからだ。


 父はポエン王国の優秀な兵士だった。


 毎年開催される査定試合で三年連続で優勝している。これは五十年続く査定試合の歴史に於いても二人目の快挙とのことだった。


 しかし三度目の優勝を果たした五日後、軍務から帰ってきた父の様子はどこかおかしかった。


 当時十歳のワネは何があったのか訊くことも出来ず、様子を見守るくらいしかできなかった。


 その日以降、父は軍服を袖を通すことはなかった。昼間から酒を飲むようになり、家の酒を飲み尽くすと母を罵倒してすぐに買いに行かせた。


 日に日に酒の量は増えていき、酒を切らすと暴力を振るうようになった。


 命の危険を感じた母はある日家からいなくなっていた。


 子供二人を残しての行動だったので、よほど限界だったのだろう。


 当然暴力の矛先は幼い兄妹に向けられるようになった。


 この時ワネは十三歳、まったく歯がたたず、殴られ続けた。


 殴られながら、いったい父はどうしてこうなってしまったのだろう、と考えた。しかし考えても分かるはずもなく、仮に分かったとしても今の自分にはどうすることも出来ないので、別のことに力を使うことにした。


 何かというと、木刀を振ることだ。


 父に殴られている間はひたすら耐え続けて、彼が眠りについたら外で静かに振り続けた。毎日殴られ続けているので父の殴りかかってくる時の間合い、速さ、癖は把握していた。


 目を閉じて、その瞬間を思い浮かべながら父の眉間に撃ち込む特訓を繰り返した。


 今のところ父の怒りの発散相手はワネだけだが、いずれ妹も標的にされる日が来るかもしれない。その時が、ワネが父に木刀を向ける時だと決めていた。


 その日が予想以上に早く訪れた。


 何が原因だが分からないが三歳の妹が大声で泣き出して、ワネは泣き止ませようと必死にあやしたが、泣き声は更に大きくなった。


 当然同じ家に住む父の耳にも入る。


「うるせえぞクソガキがぁ!」


 隣の部屋から大股で現れた父はワネと妹に向けてこぶしを振り上げた。


「やめろぉ!」ワネは出来る限りの声を出した。 


 効果は抜群で、父はこぶしを振り上げた体勢のまま動きを止めてワネを睨みつけた。


 何年もの間この家の王様だった彼にとって、怒鳴られるなど夢にも思わなかったのだろう。


 もともと酒で染まっていた顔が、更に赤みが差したように見えた。すぐに標的をワネに変更した。


 ワネは寝室に走って、そこに隠してあった木刀を手にすると、そのまま外に向かって駆けだした。室内では木刀を思いきり振れないからだ。


 怒りでワネへの攻撃衝動以外何も考えられなくなった父は息子のあとを追って裸足で外に飛び出してきた。その頃にはワネの準備は整っていた。木刀を振りかぶった姿勢で、父を見据えていた。そんな息子を鼻で笑ってから、迷いも見せずに飛びかかってきた。


 ワネの頭の中で思い描いていた通りの光景だった。むしろ現実の父の動き方が少し遅く思えるほどだった。ワネは一直線に木刀を振り下ろした。


 岩を叩いたような、硬い感触だった。


 父の額はばっくりと割れて、ドバドバと液体が噴き出した。父は初めは何が起こったのか分かっていない様子だったが、自分の血で目が開かなくなると取り乱して、何か叫びながら玄関から表に出て走り去っていった。


 今まずっと苦しめられてきた原因が、こんなに弱いものだったのか、と拍子抜けした。


 ※ ※ ※


 親父が居なくなったあと、ワネは妹と二人で生きていくことになった。


 父親さえいなくなれば、きっと自分達の人生は切り開かれると信じていたのだが現実は違った。


 父が何をして王国軍を追っ払われたのか知らないが、彼の悪名は街中に広まっていて世間の目は兄妹にも冷たく、ワネがまともな職につくことが出来なかった。 


 自分だけなら構わない、しかし幼い妹にはちゃんとご飯を食べさせてやりたい、その一心でどんな仕事でもやった。


 罪に問われるような仕事も多かった。それで妹が生きられるのなら罪悪感など微塵も感じなかった。いや、感じる余裕もなかった。


 それでも人間として最低限に満たない生活しか送れなかった。

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