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義手をつけてから数日が経った。
朝、その重さにため息が出る。
義手の感度は想像以上に良くて、日常生活はあまり困らなかった。物を掴んだりするときの加減にさえ慣れれば、とりたてて不便なわけじゃない。
学校には一度も行かなかった。どうせ行ってもなにもできないだろうし、誰かが心配して家にくることもなかった。魔法を失えば、それも当然だ。
それにいまは、他人の視線が怖かった。
「お兄ちゃん、義手屋さんのところに行かないと」
「そういえばそうだったっけ」
慣れたら来い、と言われていた。
メンテナンスも必要なんだろう。いくら精度の高い義手といえど、金属なのだから。
「こんにちは」
マルナが『義体装備屋・ジルレイン』の扉をくぐったとき、先客がいた。
二人組の男だった。
男たちはカウンターのむこうで座っているオヤジに向かって、なにやら文句を垂れていたようだが、マルナが入ってくるとすぐに踵を返して店から出て行った。
「いまのひとたち、なんですか?」
「ボウズには関係ねえ」
それよりこい、と工房に手招きされる。
工房のベッドに腰掛けたマルナの腕を、オヤジは手に取って眺めたりドライバーでいじくったりしていた。油でも挿すのかと思ったが、そういうことはしなかった。
その代わり、
「魔法、使ってみろ」
小さくつぶやいた。
マルナは耳を疑った。
「……はい?」
「魔法、使ってみろ」
もう一度、オヤジがつぶやく。
そんなこと言われてもできるわけがない。体内回路でいくら魔力を練ろうが、右手の先からしか魔法は放出できない。
それが世界の常識で、絶対的な真実だった。
それなのにオヤジは疑いもせずに言う。
「魔法は使える。回路さえ用意してやれば」
オヤジの視線は、黒い義手に注がれていた。
まさか魔力を伝達させる回路を義手のなかに巡らせているとでもいうのか。そんな技術がこの時代にあるなんて知らなかった。
……いや、まだないのだろう。
義手で魔法を使う者がいれば、そんな話はとうに広まっているはずだから。
つまりマルナが最初なのだ。
「……使ってみます」
マルナはテーブルの上にあった紙を義手で掴む。
イメージするのは、このまえ壊したマグカップ。
魔法がつつがなく作動すれば、紙はマグカップへと変換される。形も、素材も、デザインもなにもかもそっくりに。
「求めるは絢爛・〝紫炎〟」
ボッ、と薄い紫色の炎が紙を包む。
形が一瞬で変わり、その手のひらに載っていたのは――
「……ほう」
マグカップ……の形をした紙だった。
マルナは少し驚いたが、同時に落胆していた。
たしかに魔法は使えた。
「も、求めるは灰燼・〝白炎〟」
白い炎がマグカップの形をした紙を燃やす。塵が手のひらのうえに残った。
だが、それだけ。
本当の〝白炎〟だったら、周囲の大気も巻き添えにして燃え上がるはずだ。最強の炎魔法と呼ばれたマルナの魔法だったら、かなり手加減しても紙を燃やして終わるような威力じゃない。塵もなにもかも消滅させるほどの威力だった。
魔法は使える。
でも、本来の力とは程遠かった。
「よし。それでいい」
オヤジは納得したようにうなずいた。
マルナはぐっと拳を握りしめる。
黒い義手が軋んだ。
「……よくない」
ぜんぜんよくなかった。
これじゃあ使えないのとほとんど変わらない。
義体屋のオヤジは、義手が使えるかどうかを確認するためにマルナを呼んだのだ。
腹が立った。
いや、そもそもマルナに義手を与えたのだってそうだ。
実験だったんだろう。
魔法が使える義手をつくりあげ、実際に使えるかどうかの実験だったんだ。
「おい、どこにいくボウズ」
「ありがとうございました」
腕を失ったのはオヤジのせいじゃない。
義手を無償でつけてもらえて感謝はしている。
そんなことわかってるけど。
でも、いまはオヤジの顔を見る気にはなれなかった。
店を出て街道のざわめきのなかに立った。
通行人たちはマルナの義手を珍しそうに眺めて通り過ぎていく。
マルナは唇を噛んで、左手で義手を握りしめた。
悲しいくらいに、冷たかった。