ルドルフ歴58年6月4日
昨日は溜まった疲労のせいか、この手記をしたためたあと、そのまま眠ってしまった。
昨日書き切れなかった地下洞穴だが、途中からきわめて深い渓谷で分断されていた。
深さは想像がつかない。
覗いても果てしなく闇が続くのみであった。
だが50メートルほどの距離にある向こう岸からはさらに洞穴が広がっていた。
私はしばし茫然と眺めていた。
そこは大きなホールになっており、向こう岸までは50メートルの底なしの渓谷。
ホール自体の幅は200メートルほどはあっただろう。
亀裂は洞穴の壁をぶち抜いてはるか遠くまで続いていた。
そして私は小さな瓦礫が渓谷を漂っているのに気が付いた。
ゆっくりと右から左へと、空中を浮遊しながら動いている。
試しに地面に落ちていた小石を投げてみたが、いたって普通の予想通りの放物線を描いて渓谷へと落ちて行った。
おそらくその場で15分ほどは立ち尽くしていただろう。
気が付くと洞穴の壁をぶち抜く渓谷、その右側の切れ目から人が乗れるほどの大きさの岩が浮遊しながらゆっくりと流れてきたのだ。
しかもこちら側の岸壁から1.5メートルほどの距離だったと思う。
私は近くにあったこぶし大の岩を、その浮遊する平らな岩に投げて乗せた。
その岩は私が投げ上げた岩を乗せたまま浮遊を続けて、左の亀裂から消えていった。
ここで私は一つの推測を立てた。
この渓谷に阻まれるまで、洞穴の殆どの空間を探索したが、さらに先、奥、地下へと進む道は見当たらなかった。
だがリゲルが書き記した日誌にはさらに奥のことが記載されている。
つまり、絶対にこの先へ行く手段があるのだ。
そして、今、目の前を浮遊しながら通り過ぎていった岩は、上が平坦な形をしていた。
あれに乗ればどこかへとたどり着くかもしれない。
私はその場、岸壁の近くで『ファントム・サーヴァント』を使い、食事をとりながら辛抱強く待った。
そして私の推測は当たっていた。
私が投げ上げた岩を乗せた、浮遊する岩盤が再び右の亀裂の穴から現れたのである。
この岩盤は渓谷を漂いながら巡回している。
私は落ちないように細心の注意を払いながら、その岩盤の上に飛び乗った。
落ちたら即死。
信念が無ければできない芸当だっただろう。
岩盤は私を乗せたまま渓谷の上を浮遊して移動を続け、ついに壁の亀裂の中へと進んでいった。
私は片手で『ブライト・モス』の力を発動させて注意深く周囲を照らし、もう片方の手では『グラス・フィッシュ』のリングを指にはめていつでも攻撃できる態勢を作った。
それほど強くない三つ目コウモリが相手でも、この場で戦えば足を踏み外す危険がある。
エセリアル界での死は現実での死なのだ。
壁の亀裂から奥へと続く穴は蛇行し、浮遊する岩盤はそれに沿って流れる。
そしてある場所で対岸側に空いた大穴があり、岩盤はそこを通過するとき、対岸スレスレを進んだ。
私はここだと思い、大穴へと飛び移った。
大穴を先へ先へと進む。
私は地面に輝く光を見つけて立ち止まり、しゃがみ込んだ。
拾い上げてみると、それはエメラルドの欠片だった。
周囲を慌てて見回したが、普通の鍾乳洞があるのみ。
ここにエメラルドの欠片があるのは異質である。
間違いない。
ここを誰かが通り、落としたのだ。
私はエメラルドの欠片をポケットに入れて興奮しながら先を急いだ。
奥に抱えきれないほどの宝石が眠っている事を期待して。
大穴は大きなホールへと繋がり、右手を右の壁に沿わせながらホールを探索する。
そして私はついに大きな渓谷へと突き当たった。
そう。
私は50メートルの渓谷を超えて、対岸へと渡ることに成功したのである。
私は再び、今度は渓谷の奥側の洞穴の探索を再開した。
そしてついに、さらに地下へと続く道を見つけたのだ。
それは凄まじく幻想的な光景であった。
直径20メートルほどの丸い洞穴が途中から青紫の金属光沢を放つ岩で覆われ、まるでカタツムリの殻のように大きく左巻きにうねって渦巻いていた。
そしてその最奥は真っ逆さまに地下へと続いていたのである。
私はその穴を歩いて気が付いた。
その青紫の金属光沢の岩盤を歩く限り、壁や天井を重力に逆らって進むことが出来たのだ。
そのまま真下へ垂直に進む穴を私は歩き、その最奥で信じられない光景を見た。
洞窟の中だというのに真昼のように光に照らされて、青々と植物が茂っている。
そして広大、すさまじく広大なホール、おそらく数キロ四方はあるような広大な空間が広がっていた。
そしてあちこちに人工のものと思われる石積みの塔や遺跡が、蔦を絡ませながらそびえ立っているのである。
なお、その光景を私は地面から50メートルほどの高さの天井に空いた穴から、さかさまになって顔を出して見回したのだ。
青紫の岩盤に触れている間は重力に逆らって穴にへばりついていられるが、そこから離れたら真っ逆さまに落ちただろう。
そうすれば即死するだろうし、万が一命があっても再び帰ることは不可能だ。
今回の探索はここで切り上げた。
この先は岩山を登る頑丈な綱か縄梯子と、岩盤にハーケンを打ち込む必要がある。
魔術師の私がこんな軽業師のまねごとをしなければならないとは滑稽だが、『虚無と深淵の書』の本当の奥義と、支配の腕輪はこの先にあるのだ。
仕方がなかろう。
岩登りの手ほどきも受ける必要がある。
次に潜るのは先になるかも知れない。