ルドルフ歴58年5月18日
前回、エセリアル界へ潜る儀式に使った素材、動物の脳髄や人の目玉は完全に腐敗してハエを呼び、密閉していたはずなのに蛆虫が沸いてたので捨てた。
ハエというものは本当に驚くべき昆虫だ。
どんなに隠して、密閉して、締め切ったつもりでも死体を見つけ出して卵を産み付ける。
凄まじい執念を持っている……。
いや、生への執着か。
我々魔術師が生贄を儀式に使用するのはその執着の力を利用するのだが。
そう言えばもう一度エセリアル界に潜るための準備を進めている。
今度は生の臓器のような、長くて三日しか潜れないものではない。
『虚無と深淵の書』に記された正式な手順。
アザムやリゲルが長期間潜るときに使用した方法だ。
この素材が……秘奥義と呼ばれる魔術を行う儀式では非常によくある事だが……、素材を手に入れるのが非常に困難だ。
その中でも以下のものが厳しい。
虹色エスカルゴの石。
極まれに、異国の渓谷で発見される、手のひらサイズの石化した巻き貝だ。
元は生きていたと考えられるが、その体が虹色に輝くオパールになっている。
神話に登場する道具ではなく、現実に存在するのは知っている。
むしろこの魔術書のほうが貴重だろう。
だが地元や周辺の村々の宝石商を回った程度では見つけられなかった。
ターバンを巻いたビール腹の行商人を見つけ、気まぐれに尋ねてみると、その産地に行ったことがあるという。
荷車から取り出した、何重にも鍵の掛けられた金庫を開いてちらりとだけ見せてくれた。
あれは間違いなく本物であった。
だが吹っ掛けられた金額が尋常ではない。
80万ゴールドだと?
ふざけやがって。
それだけあれば小さな家なら3軒買える。
とりあえずこの町にその商人は3週間滞在すると言っていた。
私には何としてもあの虹色エスカルゴの石が必要だ。
……やりようはいくらでもある……いくらでもな……。
次に厄介なのがダマスカス鋼のリングやアミュレット、ガントレットやワンド。
これにルーンを彫り込み、何日もかけて儀式を行い、強化する。
何に使うか?
これは精霊を永久に封印して使う為だ。
銀のリングは加工が容易だが、グラスフィッシュの力をなんどか使用しているだけでグネグネと歪み、解放したら千切れ飛んでしまった。
今度は精霊の力を身に付けてもっと深層へと潜るので、これも必要だ。
これも作ることが可能ではある。
町の鍛冶屋に作り方を教え、何枚もの鉄板を重ねて灰を置き、さらに何度も折りたたむ。
気の遠くなるような作業を半日繰り返してようやくただの一本のナイフが出来た。
鍛冶屋はリングやアミュレットを作るのは可能だとは言った。
ただし何日もかけた試行錯誤と労力が必要で、その間本職が手に付かなくなる。
相応の金で考えるとの事。
理解はする。
だがこいつもボッタくろうとしている。
足元を見やがって。
最後に人の生首から作った、……ふふふ……驚くなかれ。
干し首だ。
しかももがき苦しみ、この世に多大な未練と執着を残した人間のもの。
しかも自分を激しく憎んだ人間のものだ。
その人間の顔の皮を丁寧に剥ぎ取り、脂肪を落とし、各種の薬草とともに煮込み、小さな型枠に被せるようにして干す。
これによりいつまでも腐らない素材となり、虹色エスカルゴの石と合わせれば何か月もエセリアル界に潜り続けることが出来る。
だが当然だがこれも難関だ。
超えるべき難関。
この先に私の願望の成就はある。
この手記を書きながら私は非常に良いアイデアを思いついてしまった。
あの商人。
羽振りがよさそうだ。
いい服を着て、いくつもの高価な宝石を身に付けている。
あのデップリ太った腹……さんざん上手いものを食って、酒を浴びるように飲んできたに違いない。
奴の財産を手に入れれば……鍛冶屋の数週間の貸し切りが可能だろう。
そして財産の代わりに、苦痛と死を与え、奴から私は激しく憎まれることになれば……。
ははははは……。
私は天才ではないか?
いや、むしろこれほど都合の良いときに都合のよい役者が揃うのは、私の守護精霊の導き。
いや、後に神に並ぶ私の宿命とも言えるだろう。
奴は今、私の目の前に居る。
猿ぐつわをしていても大声をあげて暴れようとしたので少し体に切り付けて脅してある。
あとは殺す前にこの金庫の鍵の在り処を吐かせる必要がある。
隣人が家のドアを激しく叩いて怒鳴ってきた。
どうもこの商人の呻き声が聞こえたらしい。
しらを切りとおしたら今度は大家まで読んできて一緒にドアを叩きながら中を見せろとのたまう。
畜生、うるさい奴め。
……衛兵を呼ばれたら厄介だ……。
ドア越しに自分を拘束する魔術だとでたらめを言って誤魔化してきた。
自分の腕を噛んで何度も叫び声をあげて、怒鳴り返して、相手の言うことをオウム返しし続けていたらボヤキながら立ち去った。
さて……この強欲のデブじじぃ……苛烈なお仕置きが必要だな。