ルドルフ歴58年5月11日
「虚無と深淵の書」を詳しく読み進め、エセリアル界へとこちらの世界から物を持ち込む手段があることを知った。
つまり身を守り、未知の存在を攻撃する手段を持ち込むことが可能なのだ。
昨日はあまりにも無謀なことをしたと反省している。
今部屋の隅に大きなチェストを置き、その中に私が長年使用してきた儀式用のウィザードナイフ、呪い除けのペンタクル、召喚術を行使する際に着用するローブを入れ、白樺と乾燥した麻を使って燻蒸している。
忘れていた。
もう一つ、銀のリングも入れている。
これは精霊の封印用だ。
アザムは思いもよらない方法で、私達魔術師とは違った方法で精霊や魔獣の力を行使していたのだ。
エセリアル界に潜ったあと、封霊の魔術を用いて彼の持つアクセサリーに精霊を封印していたのだ。
ただし封印する精霊の力に比例して、そのアクセサリーに必要とされる魔力、許容量も膨れ上がる。
入魂の儀式を一応施したとはいえ、急造した銀の指輪でどれほどの相手を封印出来るか分からない。
昨日見た、あの透明の魚あたりで試すつもりだ。
いよいよ日が沈む。
儀式の素材、特に豚と馬の脳髄が限界だ、今回の素材で潜れるのは今日が最後となるだろう。
実りある夜になることを期待している。
私は恐るべき力を手に入れた。
いや、恐るべき力を得ることが約束されたと言うべきか……。
今日、アザムの繰り出した魔術が真実であったと確信するに至った。
そして別の驚くべき事実も明らかとなったのだ。
今机の上にはこの世のものではない、いや、元はこの世のものだったかも知れないが、あるはずのない紙片が置かれている。
私は浄化して呪文をかけたローブとウィザードナイフ、ペンタクルを身に着け、銀のリングを指にはめて再び没入の儀式を行った。
昨日と同じ段階を経て今度は同じ島の山の裏へと出たらしい。
本に記された儀式は確かに効果があった。
私はローブとウィザードナイフ、ペンタクルと銀の指輪を身に着けた状態で潜ることに成功したのだ。
周囲の風景は昨日と大して変わらない。
枝や葉の無い木が立ち並び、見たことのない青い草が地面に茂っている。
手始めに一本の木の前に私は立った。
そしてウィザードナイフを目の前にかざして構え、私が魔術師として修業の末習得した呪文を唱えた。
この世界でも私の魔術は通用するらしい。
ウィザードナイフで増幅された私の魔力はほとばしる火の玉となって刀身から発射され、木に命中した。
とたんに木が猛獣が唸るような声をあげてぐねぐねと幹をくねらせた。
そしてそれに呼応するように周りの木々も興奮したのか、同じように唸りをあげる。
正直言って胆が冷えた。
一分以上あたりの木々が唸り続け、得体の知れない魔獣が呼び寄せられないかと心臓がとまるほど緊張していたが、杞憂に終わった。
気を取り直して200メートルほど歩いただろうか?
昨日とは別の小川が目の前に広がった。
そして昨日と同じ、透明なガラスのような魚が何匹も泳いでいた。
私は銀の指輪をはめた片手を魚に向けて突き出し、暗唱してきた封霊の呪文を繰り返し唱えた。
釣りと似たような感覚だろうか。
魚は体をくねらせてあちこちへ移動し、逃れようと暴れる。
私も必死で精神を集中し、繰り返し呪文を唱える。
慣れないのも原因だと思うが、魚を支配しつくし、その動きを止めるまで15分は掛かったと思う。
ついに銀の指輪に力と熱が宿り、魚は姿を消した。
だが指輪がブルブルと細かく振動を続ける。
本の記載によるとこの後命名の儀式を行うことで封霊は完了するとある。
私はこの魚に『グラスフィッシュ』と名付け、命名の呪文を唱えた。
すると銀の指輪に象形文字のようなものが1文字彫り込まれて振動が止まった。
初めて封霊した精霊の力を試したくなった私は、傍に生えていた木に拳を突き出して指輪を向け、本にあった呪文を唱えた。
エルスナ グラスフィッシュ
力の発動を意味するらしい。
10メートルほど離れていた木の幹に、鉈で切り付けたような切り傷がコンッと開いた。
再び吠え声の大合唱だ。
発動した魔法があまりに爽快だったので私は5、6回連続詠唱し、木の幹が切り傷だらけとなった。
ここでもう一つの呪文を思い出した私は試すことにした。
グノム セプスタ グラスフィッシュ オグノス
精霊の解放の呪文。
爆発音と共に指輪が黄色い光を放ち、すさまじい勢いでグラスフィッシュが指輪から放たれた後、ターゲットの木の周りを狂ったように飛び回り、ゴリゴリと幹を食い千切っていった。
そして何度も齧られてボロボロになった木の幹はその部分を境にぽっきりと折れた。
グラスフィッシュはそのまま隣の木に食いついて3度ほど食い千切っていたがついに爆発するようにして消滅した。
これがこの精霊の性質だったのだろう。
昨日はやはり私の指が食い千切られる寸前だったのだ。
なお、銀の指輪はこれが性能の限界だったのか千切れ飛んでしまった。
アザムの用いた精霊魔法を体感したのも刺激的な出来事だったが、さらに驚くべきものに私は遭遇した。
小川に沿って森の奥、島の中央へと1時間ほど歩くと、森の中に開けた野原があり、その中央に木、こんどは私の慣れ親しんだ、枝と木の葉のある巨大な木が一本生えていた。
その木の下に歩み寄ると不思議と全身の疲労が回復していくように感じた。
そしてそこには一枚の紙片が落ちていた。
誰も信じないだろう。
私も信じられない。
私はその紙片をエセリアル界から持ち帰ることに成功したのだ。
中は「虚無と深淵の書」と同じくシュメク語で書かれた日誌の一部のようである。
これを残したのがアザムかどうかはわからない。
最低でも一人、炭鉱の中の石の密室で私と同じように支配の腕輪を求めてエセリアル界に潜り、挫折した別の魔術師が居るのだ。
あまりの衝撃的な出来事にこれが夢ではないと確信が持てない。
この紙片の解読は一旦眠り、後日行うこととする。