《08》『見知らぬ少女』の『遠回しの殺人』
「――とまあ、こういう昔話だ。今となっては、本当に……昔の話だ……」
とても、長い話を少女に聴かせた。
百年前、かつて『雨の国』と呼ばれていた国の話。『雨の魔女』が死んだその日、一人の吸血鬼の手によって滅ばされた。今となってはもう、遠い昔の色褪せた昔のことだ。
どうしてこの話を少女にしたのか、吸血鬼には分からない。
他人に話すようなことではない。だが、相手が相手だから口が滑ってしまったのか。少女はやはり……話の半分も理解できていないようだ。当然だ。小さい子どもには話が難しすぎたのだろう。
これだけ荒唐無稽な話では、大人ですら信用しないだろう。だから、
「ごめんなさい」
いきなり少女が頭を下げてきた時には、いったい何事かと訝しんだ。……もしかして、話が難しすぎてわかりません。ごめんなさい、という意味だろうか。
「やっぱり、話が分からなかったか? それとも信じられません、って意味のごめんなさいか?」
「……うーん。やっぱりちょっと信じられないかな? ……だけど、もしもその話が本当だったら、やっぱり私が死んだおばあちゃんの代わりに謝った方がいいのかなって思って……」
「――どういう意味だ?」
「私のおばあちゃん、死ぬ時もずっと言ってたの。小さい時のこと……ずっと後悔しているって。男の人達に脅されて、自分が何を見たのか言えって。殴られたり、蹴られたりしたって。その時、言っちゃったらしいんだ。自分が見たことを……。それをずっと後悔してて、男の人に謝りたいって、ずっと言ってた……」
「まさか……そんな……」
あの時助けた行商人の娘。
その娘の孫が、今目の前にいる子どもなのか。
永遠を生きている身で、時代の流れを感じることはよくある。だが、時代の流れに翻弄されたのは初めてかもしれない。
あの時の子どもを救ったから、今、目の前の孫は生きている。
そんなことで、自分の中の何かが報われてなんて思ってはいけない。それなのに、どうしてこんなにも胸が痛いのだろう。
「死んだおばあちゃんが言ってたんだ。昔、ずっと雨が降り続ける国があったって。そして、その国はある日滅んだって……。確かに、あなたの言っていた国にそっくりだけど、多分、おばあちゃんが言っていた国とは違うと思う」
「どうして?」
「だって、その国はずっと遠くなんだよね?」
「ああ、そうだな……」
ここよりも、もっと遠くから来たはずだ。
どこかは忘れてしまったけれど、ずっとずっと遠くの方に『雨の国』の廃墟はあったはずなのだ。
「だって、私のおばあちゃんが言っていた国は、この近くですから」
「この近くが……?」
この近くが、『雨の国』なはずはない。
どうやって歩いてきたかなんて記憶にない。だけど、だからこそ、自分が帰りたかった場所に、勝手に足が動いた。……とか、そんなことがない限り、ここは『雨の国』ではないはずだ。
「ここから近くにある私の生まれ故郷。それはこの道を真っ直ぐ歩いて行った先にある。その国のことを『桜の国』と、そう呼ぶんだ。いつの間にか、みんなが知らない間に、あの国には桜が咲き誇っていたみたい。廃墟になったところにも、そして、こんな風にただの道にだって桜の並木道ができているんだ。でも、どうして桜がこんなに咲いたのか、誰にも分からないらしいね」
微風に吹かれて、桜の枝がざわつく。
丘の上に咲いている桜をずっと辿っていくと、確かに見えてくる。桃色の街並みがあって、見たことのない景色だ。植えたのはかなり前で、ここまで来たことなどなかった。
百年前はあれだけ降っていた雨は止んでいて、今はもう晴れわたっている。その光が、とても眩しくて涙がでそうだった。
「すいません。そろそろ行かないと……。日が傾く前に、隣の国に到着しないといけないから」
「どこに行くんだ?」
景観を眺望していたら、吸血鬼は自然と立ち上がっていた。見送るような姿勢になっているのが、何故か気恥ずかしい。そんなつもりなどなかった。
それに、わざわざ行き先など訊く意味もない。
どうせ、眼前の少女とはもう二度と会わないのだから。
運命じみたものを感じても、すぐに人間は死んでしまうのだ。
他人と触れ合うのが久しぶりだったせいで、どうもさっきから歯止めがきかない。
「私の家、なくなっちゃったんだ。おばあちゃんが死んで、それからお父さんとお母さんが二人きりで暮らしたいからって、私を追い出したの。私は、いらない子らしいから……」
「…………」
夫婦円満のために、邪魔者である子どもを排除したのか。
財政難なのか、それともたんに目障りだったのか。
少女は見たところ荷物を持っていない。羊の首にくくりつけられている麻袋ぐらいなものだ。あの大きさだと食糧と水と、それぐらいか。金はいくらぐらい持っているのかは知らないが、子どもを捨てるような両親がいくら持たせるのやら。
……死ぬな、こいつ。
仮に隣町まで辿りつけたところで、このぐらいの少女が一人で行っても無力だ。なにか職に就けるとは思えない。どうすれば職に就けるも知らないだろうし、子ども一人で生きていけるだけの金を稼げるとも思えない。
きっと、親もそんなこと分かりきっていたことだ。
子どもが死ぬことを理解しながら、自分の手で殺す覚悟はなかった。だから、遠回しの殺人を決行したのだろう。そのことに気がついているのだろうか。この底抜けに明るい少女は。
「それじゃあ、ありがとね。――久しぶりに、怒鳴り声以外の人の声を聴いた気がするっ!」
馬鹿な少女だ。
どうやら、気がついていないみたいだ。やっぱり、子どもは子どもらしい。
「行くよ、メリー」
明るく振る舞っていても、鼻声であることを誤魔化し切れていない。嘘を貫き通せていると思い込んでいる。そんなこと、気がつかないわけがない。
もう、死ぬことが分かっているというのに。
それでもこちらに心配をかけさせまいとして、明るく最後まで笑って、そして別れの挨拶を少女は告げた。
「また、いつか会う日まで!」