《04》『輝きの中』の『名無しの吸血鬼』
吸血鬼と『雨の魔女』との奇妙な共同生活が始まった。
幸い、空き部屋はたくさんあったし、お互い他人に干渉するような性格はしていなかったので問題という問題はなかった。
問題となるのは、ただ一点。
片づけられていない、という点。
ほとんど廃屋と化している教会。憎まれている町の人に石を投げられて割れている窓ガラスとか、外出している時に荒らされた礼拝堂とか色々。
それに、町の人が原因じゃなくとも、自殺願望があった少女が住んでいたのだ。まともに掃除などしている訳がない。
心が荒れれば、住んでいる場所も荒れる。
それに、少女一人では到底掃除できないほどに広い。ということなので、一番初めに始めたのは掃除だった。
「だけどな、町の人達に壊されたところもあるんだろ? 掃除と同時に修復作業もやっているけど、意味あるのか?」
「それなら問題ありません。雨の魔法は、私の心情と関係しているみたいなんですよね。私が深い悲しみを感じると、それに呼応するかのように雨も激しくなるみたいなんですよ。だから教会が壊された日は、土砂崩れが起きるぐらいの豪雨が三日三晩降り続いたんです。それ以降、私や教会に危害を加えようとする人は極端に減ったので大丈夫だと思います」
「そ、そっか……」
局地的に魔法を展開することができる魔法使いは脅威だ。制御できないなら、猶更危険。さわらぬ神になんとやらだな。
「あの、吸血鬼さん。私も手伝えることありますか?」
「破損物は危ないから俺が運ぶけど、運ぶ場所はお前が決めて欲しい。できれば、羊皮紙にまとめてくれるとありがたいな。それに拭き掃除ぐらいならできるだろ。片づけたところから徹底的にやってくれ。埃がひどい。……というか、その『吸血鬼さん』っていうのなんだ?」
初めてそんな呼び方をされた。
同胞には本名で呼ばれていたし、人間には恐怖の対象として吸血鬼と叫ばれたりした。だが、温かみを持って吸血鬼さん、なんて声を掛けられると、肩透かしを食らってしまう。
「だって、私はあなたの名前を知らないから」
「俺だって自分の名前なんて知らない……」
「知らないって、どうして……」
「必要ないからな、名前なんて。人間には番号で呼ばれていたし、同胞からもなんて呼ばれていたのか憶えていない。名前があった幸福な時代なんて俺にとっては遥か昔のことだ……」
全て本当のことだ。
同胞に名前を呼ばれていたことは憶えているが、どんな名前だったのかなんてどうでもいい。名前で呼んでくれる相手など、もうこの世のどこにもいないのだから。
「人間に番号に呼ばれていたって……。吸血鬼は人間なんか比べものにならないほど強いんですよね? どうして番号で呼ばれたりなんか……」
「ああ? ……ああ、そうか。『五十年戦争』を知らない世代か……。いや、隠匿されているといってもいいか」
「『五十年戦争』……。名前ぐらいは知っています。人間と吸血鬼との戦争だって」
……やはり、その程度の認識でしかないのだろう。別に雨の魔女が世間知らずという意味ではない。人間の都合の悪いことは全て情報を遮断したのだろう。
「戦争じゃない。一方的な虐殺だ。もちろん、虐殺する方は人間だけどな……」
「人間、が……?」
「信じられない顔をしているな。人間は俺達吸血鬼を化け物扱いするが、俺にとっては人間が化け物なんだよ。世界でこんなに残酷な種族はいないっていうぐらいに、人間は容赦なく吸血鬼を殺していった。俺達じゃ、到底思いつかないし、思いついても絶対に実行に移さない方法でな……」
「それは……頭を吹き飛ばすとか……ですか……」
戦々恐々と言う魔女に、思わず口角泡を飛ばす。
「ふはははっ! なるほど。随分優しい殺し方だ、それは……。だがな、矛盾するようなことを言ってしまうと俺達吸血鬼は――」
「死ねないんだ。死なないんじゃなく、死ねないんだ」
魔女は小首を傾げる。
それは、そうだよな。ざっくばらん、分かりやすく例を挙げて説明してやる。
「吸血鬼は物理的な要因で死ぬことは決してない。脳を木っ端微塵に破壊されようが、杭で心臓を貫かれようが、銀の銃弾で撃たれようが、聖水を浴びようが、太陽の光に肌を焼かれようが、決して灰になることはない。死ねないんだよ。吸血鬼を殺せる唯一の存在。それは――吸血鬼だけだ」
「吸血鬼だけって、それなら人間には吸血鬼は殺せないってことですか?」
「そういうことになるな。吸血鬼の吸血能力は、人間の血を吸って力を蓄えること。それと吸血鬼の魂を喰らうことの二種類あるんだよ。吸血鬼はそうして吸血鬼を殺すことができる。自分が死にたいって思ったら、他の吸血鬼に頼めばいいんだよ」
「でも、だったらどうして戦争なんか起きたんですか? そんなの人間に勝ち目なんてあるはずないじゃないですか」
まあ、そうなるよな。
あの戦争の前だったら、人間をそんな風に過小評価していた。
「簡単な話だ。人間は頭がいい。狡猾だ。人間は吸血鬼を殺せなかった。だから――」
「吸血鬼に吸血鬼を殺させたんだ」
吸血鬼に殺せないのなら、吸血鬼を使役すればいい。
ただそれだけのことだ。
「人間は吸血鬼を徹底的に痛めつけた。眼球に硫酸をぶっかけたり、口の中に熱した鉄の棒をいれたり、手足の爪を剥いだり、とにかく考え付く限りの痛みという痛みを与えつづけた。それでも言うことをきかない吸血鬼には、近くで家族の吸血鬼の悲鳴を永遠に聴かせ続けた。分かるか? これが人間の正体だ」
夜は吸血鬼の独壇場だ。
だが、あの戦争の後から、夜が怖くなった。
正確には、眠るのが怖い。
日中だろうが、目を瞑ると、今でもあの惨劇を思い起こしてしまう。耳の奥にこびりついた同胞の叫びが、たまに反響することがある。
助けて、助けて。
血の涙を流した同胞の姿を思い返すと、胃液が逆流しそうになる。
最後には殺してくれと懇願する同胞達を、みすみす見殺しにしてしまった自分に業腹だ。
「人間はどうしようもなく屑なんだよ。俺達吸血鬼は異端だ。人間の血を吸って生きている。だけど、決して悪じゃなかったはずだ。人間を積極的に殺そうとしていなかった。死にたくても死ねないような病気の人間だけの血を吸って安楽死させていたんだ。それなに、人間は吸血鬼を殺そうとした。吸血鬼は危険だ。だからこそ滅ぼさなければならない存在だと言いながら、殺していったよ。自分の手は汚さずに、同胞を操って殺した。……だが、そんなもんはただの大義名分だ」
「危険なものを殺すのが……大義名分?」
「ああ。少なくとも大衆はそれで納得していたよ。だけどお偉方の本当の目的は吸血鬼の特徴である『不老不死』にあった。死にたくなかったんだよ。ただそれだけの目的のために、たくさんの吸血鬼は実験体として研究された。痛めつけられた。どいつもこいつも醜い感情に支配されていた。もっとも、本当の目的を知らされていなかった末端の人間も、笑いながら吸血鬼を殺していったから同類だな」
「だけど、人は不老不死には……」
「なっていない。なれないよ、人間が吸血鬼にならないことにはな。それに気がついた時にはもう吸血鬼が滅ばされかけている時だった。いや、最初から気がついていたのかな。最初から気がついていて、どうして俺達万物の霊長たる人間様が、下等な吸血鬼より能力が低いのかなって嫉妬して殺し尽したのかもしれない。まあ、真相は闇の中だ……」
人間達がどうして戦争を行ったかなんてどうでもいい。
残った結果は、絶滅した吸血鬼。
「そして俺は独りだけ生き残ってしまった。……まあ、運が良かったんだよ。いや、悪かったのかな。吸血鬼の生き残りはまだいるかもしれないが、きっとそれは極少数だ。俺は死ねない存在になってしまった……。だからせめて太陽の光を浴びたくないって思ってな」
「でも、太陽の光は吸血鬼には意味のないものなんじゃないですか?」
「死なないだけであって、痛みは感じるんだ。もう痛みは感じないぐらいに、人間には痛めつけられた。だけど、それでも道を歩くたびに思うんだ。俺はこの世界に拒絶されているって。光を浴びるたびに、俺は生きていることを否定され続けているようなそんな気持ちになるんだ……。だから、俺にとってこの国は本当に楽園みたいなものなんだ。俺は生きていてもいいって、そういってくれているみたいで……。まあ、そんなものは夢幻だってのは、分かってるんだけどな……」
太陽の光を浴びなくてすむだけで、こんなにも心穏やかになるとは思っていなかった。想像以上だ。ここに来てよかった。
「私が……」
「どうした?」
あれだけ。
あれだけ自殺したがっていた魔女は、
「私が吸血鬼になれば、吸血鬼さんは死ねるんですか?」
自主的に不老不死になりたいと言い出した。
どういう心境の変化だ。
「……どうした? 死にたかったんじゃないのか? そんなことをしたら、お前は死ねなくなるんだぞ」
「でも、吸血鬼さんはずっと辛い想いをしてきたんですよね……。私とは比べ物にならないぐらい。そんな吸血鬼さんの気持ちの何分の一を理解できるか分かりません。だけど、私だって化け物扱いされてきたんです。だったら、私は人間じゃなくてもいいです。元々人間じゃないんだから。だから、私も吸血鬼になって、そして、吸血鬼さんを楽にしてあげることができるのなら……」
魔女は魔女でも、やはりまだ餓鬼だな。
「くだらないな」
何も分かっていない。
苦しみを分かっているような口ぶりだが、こちらの気持ちを全然分かっていない。自分が味わってきた苦しみを、誰かに与えることなんてできるわけがない。
「お前は魔女であっても、化け物なんかじゃない。人間なんだ。だから、俺達のような本物の化け物なんかにはなるな。お前はまだ他の人間から受け入れてもらえるかもしれない。何か小さなきっかけさえあれば、全部がうまくいく。そんなこと、数えきれないぐらい見てきた。だからお前は取り返しのつかないことはしちゃいけない。お前はきっと幸せになれる。人間は生きてさえいれば、きっと誰だって幸せになれるんだよ……」
吸血鬼は、道を外れた者。
もう誰の道とも交錯することはない。
交錯することがあっても、それは一瞬のこと。
永遠の命を持つ者にとって、有限の命を持つ者との過度な接触ほど無駄なものはない。いずれ別れたる道を歩むことになるのだから。
それなのに、どこか魔女は不満そうだ。
「お前じゃありません」
「あ?」
薄紅色の唇を震わせる。
「サクラ」
綺麗な言葉だ。
それだけで、心が洗われるような素敵な言葉。
綺麗に咲き誇っている姿を想像してしまった。
「……それが私の名前です」
「『サクラ』? それは桜の木が由来か?」
「そうです。今ではここが『雨の国』って呼ばれるぐらい、雨が降っているせいで草木や花が育ちづらくなってますけど、私が生まれる前は、綺麗な桜がこの国はたくさんあったらしいです。瞳に抑えきれないほどの立派な桜並木が……。だから私の名前は『サクラ』っていうらしいです。それだけは、捨てられた私の傍にあった羊皮紙に書いてあったらしいですから……」
本当の親から唯一の贈り物というわけか。
自分を捨てた親からの置いていったものだというのに、随分と幸せそうに自慢する。恨んでいないのか、自分の親を。……恨んでいないのだろうな。
自分の境遇を嘆くことはあっても、誰かを憎むような奴じゃない。
それは、話していて分かる。
こんな吸血鬼と普通に会話している時点で、こいつは普通ではない。普通ではないから、憎むべき奴も、憎んでいないのだろう。
「シャイニング・ウォーカー」
「……今度はなんだ?」
「吸血鬼さんの名前です。ずっと、吸血鬼さんと呼ぶのもどうかと思うので、今思いついたのを勝手にいわせてもらいました」
「シャイニング・ウォーカー? 輝きの中を歩くもの? ……とんだ皮肉だな。俺は光の中は歩けないって言うのに……」
「そうじゃないですよ……。そういう意味なんかんじゃないです」
「じゃあ、どういう意味だ?」
「秘密です」
ピッ、と生意気にも人差し指を立てる。
「いつか言うべき時がきたら言います。私のことはサクラでいいですよ、ウォーカーさん」