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風の青き放浪者  作者: 輝血鬼灯
22/25

21.王国に吹く風

 本当なら。

 クレオは思った。本当なら、あの場所にいるのは僕のはずだった。そうでなければ、アディスが。

 しかし現実に整えられた舞台の上で派手な衣装を身に着け、悠然とした表情で神官の言葉を待っているのは彼らではなく、スタヴロスだ。

 彼はこの式典にて王弟という呼称が表す立場から一転し、エクレシアの王そのものになろうとしている。

 この事態が仕組まれたものであることは、すでにクレオの目には明らかだ。スタヴロスに与しない高官たちの一部もそう思っているようだが、誰も聖獣の存在を覆すだけの反論材料を用意できずに、ただ頭を垂れて列に並ぶしかない。 

 茶番だな、とクレオは思う。

 守護聖獣を抱く神聖なる王国の式典などと言いながら、結局のところ誰も、それを信じてはいないのだ。スタヴロスについた者たちも、彼を聖なる血を引く者として崇めているわけではなく、彼に与した場合の利益を考えてこの式典に参列している。

 国王が病に伏せてから半年も経たないうちに、こうしてほとんど強制的に次代の王が決められようとしている。しかもスタヴロスが聖獣と呼んでいるのは、永くこの国を支えてきたランフォスではなく、一見人間にしか見えないエフィだ。城の魔術師たちがこぞってその実力を保証したとはいえ、魔力のない者からすればエフィの神性というのは理解しがたい。

 権威もなければ、荘厳さも何もない。茶番だとわかっているのに最もおかしいのは、ここにいる全員が真剣な顔でその茶番に付き合うしかないと思っていることだろう。

「それではスタヴロス=エクレシア。誓いを――」

 式典を司る大司教の声が中途で途切れ、参列者たちの視線も仰のき、空を眺めては揃ってぽかんと口を開ける。

「その即位式典、ちょっと待ったァ―――!!」

「アディス!」

 赤い翼を広げた巨大な鳥――聖獣ランフォスが、式典の場に舞い降りる。


 ◆◆◆◆◆


 祝賀の喧騒が上空にまで伝わってくる。

 気の早い街人たちは、城から振る舞われた御馳走を前に、式典そっちのけですでにお祭り騒ぎだ。

「ランフォス」

「なんだ、アディス」

「あの中央に降りられるか?」

「やってみよう」

 炎の翼を持つ鳥の背の上で、アディスは指示を出す。巨大な炎の鳥は器用にも人々を潰すことなく、式典会場の空白へと舞い降りた。式典の主役である王位継承者と、参列客の間に距離がある部分だ。

「王弟スタヴロス! あなたの悪行もそこまでだ!」

 人々はアディスたちを背に乗せて来たランフォスと、これまでスタヴロスがランフォスと称していた魔物のほうと、二体の聖獣が現れたことに驚いている。

「聖獣が、二匹……?」

「ランフォス様!」

 スタヴロスの背後に佇む魔物はいまだランフォスの姿に偽っている。

 だが、本物の神獣と下等な魔物が上辺だけを取り繕った偽物は違う。次第に人々の目にも、スタヴロスが連れている不死鳥とアディスが連れてきた聖獣のどちらが本物かわかりはじめていた。

「……え?」

「どうした、ルルディ」

「あの魔物、先日のものと違います。宴の時に見たのは黒い鴉の魔物だったのに、今は馬です」

 では、鴉の方はどこに?

「アディス様、気を付けてください」

「わかった」

 ルルディのように魔術師としてきちんと修行を積んでいないアディスは、幻惑術への耐性がない。ルルディの忠告を胸に留めながら、彼は声を張り上げた。

「我らが国の真の聖獣は解放した。もう偽りの正統性を主張することはできないぞ」

 アディスの言葉に、スタヴロスは暗く笑う。

「そうだな。私はな。だがソヴァロの息子アディスよ、何故お前が聖獣を目覚めさせることができた? 呪いを受けながらもこの国にいられたことは不問にするにしても、お前がこの事態の仕掛け人でもない限り、王家の血にしか反応しない聖獣を目覚めさせることはできないはずだ」

 まるでアディスこそが真犯人だとでも言いたそうな台詞だが、その口調には意外と熱がない。むしろ彼の思惑はこの次の言葉にこそあるようだ。

「そう、そしてもう一つ」

 この期に及んでも余裕の態度を崩さないスタヴロスは、むしろどこか憐れむような眼差しをアディスに向ける。

「お前が王家の血を引く者でない限りは」

 その台詞を聞いたときに、アディスはようやくわかった。

 スタヴロスは玉座が欲しいわけではない。

 クレオを貶めたいわけでもない。貶めたいのは彼ではない。

 彼の敵は、あくまでも国王シグヌムなのだ。アディスのこともクレオのことも見てはいない。

 兄の罪を公然の事実として、世に出してその評価を貶めたい。スタヴロスの望みはそれだけだ。それだけのために、この男は民に眠りの術をかけ、クレオの王位継承権を奪い、聖獣まで封印した。そして今度はここで、アディスが宰相の本当の息子ではなく、国王の不義の子だと暴露しようとしている。

 だからこそアディスは、それを否定する。

「――何を言っているのかわからないな」

「お前はシグヌム王の子だ。それを認めぬというのか。何より、聖獣ランフォスを目覚めさせたのがその証拠ではないか!」

 王が自分の愛人の子を宰相の息子として育てさせた。自らの破滅も覚悟で兄の不祥事を口にしたスタヴロスに、ランフォスの背に乗ったままのアディスは答える。

「ランフォスを目覚めさせたのは、僕ではない」

 アディスの背後、ランフォスの翼の影から、一人の男が出てくる。長らくその姿を見なかった男の存在に、会場中が驚きにざわめいた。

「スタヴロス……」

「兄上!」

 病にやつれてはいるが、それは紛れもないエクレシア国王シグヌムその人の姿だったのだ。

 そう、ランフォスを目覚めさせたのは、アディスではなくシグヌムだ。アディスたちはルルディが解いた眠りの檻の術から、王の意識を目覚めさせることに成功した。そして正統なる契約者である王の呼び声に答えて、彼の守護者である聖獣は目覚めた。

「勘違いをしておられるようだな。王弟殿下。私は優秀な魔術師の助力により、あなたの擁する魔術師が陛下と城下の民にかけた術を解いただけ。聖獣を目覚めさせたのは、国王陛下ご自身だ」

「ぎりぎり術が間に合ってよかったです」

 ルルディの存在に、周囲の人々は息を呑む。見慣れぬ魔術師の少女の奇抜な格好は、このような式典の中でも目立つ。なまじ彼女の顔立ちが、不思議なほどクレオに似ているからなおさらだ。

「王弟よ、あなたが陛下に仇なすために城下の民に術をかけた証拠はここにあります。城の魔術師を総員して、眠りの檻の布陣を解明させました」

 魔術師たちを率いてやってきたのは、宰相でありアディスの父であるソヴァロだった。背後にいるニネミアが、証拠集めを父親に働きかけたのだろう。

「嘘よ……私の術が破られるなんて」

 スタヴロスの傍らに立っていた女が口を開いた。

 払いのけた頭巾から零れる青銀の髪。これまで黙っていたその女はドロシアだった。彼女とスタヴロスは、アディスの隣にいるシグヌムとはこれで完全に敵対したことになる。

「聞いたか、皆の者!」

「陛下」

「我が弟、スタヴロスは王を裏切り、聖獣の親愛を裏切った反逆者だ! 衛兵、奴を捕らえよ!」

 命を下す王の姿は堂々としていたが、その眼には一抹の悲哀が浮かんでいた。かつては仲が良かったという実の弟も愛した女も、彼の敵に回ったのだ。

「くっ! 行け! あの男を引き裂け!」

 スタヴロスが苦し紛れに命を出し王にけしかけた悪魔は、しかし真なる聖獣ランフォスの力により、呆気なく自身が引き裂かれる。

 赤い翼を閃かせて彼の手元に舞い戻ってきた聖獣に、王は語りかけた。

「ランフォス、長く眠らせていてすまなかったな」

「シグヌム……」

 炎の鳥は赤い髪の女性へと姿を変える。

 契約者と守護者の関係にある二人の間には、言葉にしなくても通じるものがあるのだ。だが今この瞬間二人の間にあるのは、穏やかなばかりの感情ではない。深い悲哀と諦観が含まれている。

「エフィ!」

 エフィの姿を探していたアディスは、虹色の子どもがスタヴロスの傍にいることに気づいて名を呼んだ。

「無事だったんだ! よかった。さ、そろそろ私たちは行こう」

 エフィが王弟の守護者として式典に現れたという話はルルディから聞いていたが、アディスはそれがまさかエフィの本意だとは思っていなかった。スタヴロスの傍にいる彼には、今は近寄れない代わりにせめて声をかけたが、いつものような反応を見せないエフィに、怪訝な目を向ける。

「エフィ?」

 まさか彼までもドロシアの魔術で操られたりしているのだろうか。案じるアディスの顔を見上げ、しかしエフィは暗く呟く。

「……もう少しで、クラヴィスの末裔から玉座を奪ってやれたのに」

 小さな可愛い唇から、地を這うような声が零れた。

「何故、邪魔をするの? 継承者を減らして、アディスを王にしてあげるつもりだったのに。そんなに私を、守護者にするのが嫌なの?」

「エフィ……?!」

 竜の子の様子がおかしいことに気づき、アディスは彼に駆け寄ろうとする。

 しかしその小さな体を中心として、式典会場に突風が吹いた。その風は嵐となり、エフィを取り巻く風の奔流は、力となって人々をなぎ倒す。

「エフィ!」

「アディス様、まずいです」

 ルルディが咄嗟に結界を張る。エフィの強い殺気に反応してのことだ。

「お前も、お前までもが私に国の守護は務まらぬと言うのか」

「違う! エフィ! 僕はそんなこと思ってるわけじゃない!」

「クラヴィスの血を引く者は、私の主、私の王。だから私はお前を王にする」

「エフィ!」

 シグヌムもクレオもスタヴロスさえも死んでしまえば、例え呪われていてもエクレシアの玉座はアディスのものだと竜は叫ぶ。

 エフィアルティス、その名は悪竜王として記録に刻まれている。

 強大な力を持つ神獣は、けれど彼ら独自の基準や思惑を持っており、いつも人間の味方であるわけではない。それは、人間同士の間でも同じことだが。

 過去の傷が故に王と守護者の図式に拘る、幼い竜王の転生体は叫んだ。

 虹色の鱗に皮膜の張った大きな翼。鋭い爪と牙。優美にして畏怖をもたらすその姿。

 吠え声と共に、小さな子どもの体が、見上げるほど巨大な竜の本性を取り戻す。

「お前までもが私を裏切ることは許さない!」

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