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風の青き放浪者  作者: 輝血鬼灯
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20.英雄と呼ぶには遠く

「アディス!」

「アディス様!」

 横たわる頭の両側から呼びかけられて、アディスは目を開けた。頭がガンガンと痛み、酷く気分が悪い。

「う……」

「アディス様、無理はなさらないでください。呪歌の影響でまだお辛いはずでしょう」

「呪歌……そうだ、ドロシアが」

 長い夢の直前、最後にアディスが見たものは、美しい青銀の髪の魔女が歌いながら玄室に入ってくるところだった。しかし同じように薄暗い場所でも、ここは霊廟内ではないようだ。

「王城の地下牢です。あなたはここに囚われていたのです」

「退いてろ、魔女」

 心配そうにアディスの顔を覗き込むルルディを押しのけ、ゾイが短刀を手にアディスへと近づく。手を取られるからなんだと思えば、枷につけられた鎖がしゃらりと鳴った。

「……げ!」

「まったく。何やってんだよこのドジ」

 言いながらゾイは、アディスの腕を傷つけないよう器用に手枷を叩き壊した。自由になった両手首をぶらぶらとさせながら、アディスはゾイの顔を見つめる。

「ゾイ、なんで君が」

「わたくしが呼んだのです。青き風の魔女はわたくしよりも魔術師としての力量が上。ですから単身で神獣をも殺せる実力者であるゾイに手伝っていただきました」

 ルルディに請われてきたという黒髪の少年は、闇色の瞳に酷く冷たい光を湛えてアディスを睨んでいる。

「ゾイ……その……」

 アディスは気まずさに目を逸らしたくなる。イェフィラでの別れ際に放った言葉は、冷静に振り返れば自分でもあんまりだと思う。だがあれも紛れもないアディスの本心である以上、撤回はできない。そんなことをしても意味はない。

「とりあえず一発殴らせろ」

「へ? ……のわっ!」

 ゾイの力を思えば、嘘のように軽い一撃、それでもアディスの体は狭い地下牢の奥の壁まで吹っ飛ぶ。

「あたたたたっ」

 一体どう殴ったものか、顔が腫れる様子はない。けれどゾイは厳しくも悲しい不思議な目をしている。

「お前は馬鹿だ! 救われたいくせに鳥籠の外に出ようとしない。人に飼われたいくせに与えられた餌は食べようとしない。挙句に、その労苦を人に肩代わりさせる!」

 ゾイに頭を下げてアディスを助け出してほしいと言ったのはルルディであって、アディスではない。だが真実アディスが行動を起こすなら、彼女ではなく彼自身がゾイを自分の陣営に引き込むべきだったのだとゾイは言う。その絶好の機会が、確かに存在したのだから。

「ゾイ」

「いい加減諦めて自分の無力さを認めろよ。英雄王の血を引こうが、神獣を手にしようが、お前一人でできることなんか何もない」

 それはアディスが普段隠し続けている、薄暗い矜持を粉微塵に打ち砕く言葉だった。

 自分であるということ。自分自身として生きていきたいということ。その要素の中に、王族の血を引くことや英雄王の子孫などという事実は欲しくなかったということ。けれど人は自分の都合のいい面だけを見てくれるわけではない。そしてもともと、英雄王の血筋であることを除いたアディス自身に、残るものはほとんどない。

 自分がもしも自分ではなく生まれていたらと、いくら考えても詮無いこと。人は結局自分自身にしかなれないのだから。

 だがその先にゾイが続けた言葉は、アディスにとって意外なものだった。

「だからお前にできないことは、俺が手伝ってやる。お前は俺にできないこと、お前にしかできないことをやれ」

「ゾイ、君は……」

「人間求めても手に入らないものなんていくつでもあるんだ。それがよっぽど嫌なものでない限りは、手に入るものはなんだって貪欲に手に入れとけ。俺みたいな貧乏性に言えるのはこれだけだな」

 そしてゾイは短刀を一度しまうとアディスに向き直る。

「で、お前にとって、俺は必要か、必要でないか。顔も見たくない蛇蝎のごとく嫌っているのか、それとも――」

「僕は君が好きだよゾイ」

 間髪いれないその返答は、状況が違えばまるで愛の告白のようだっただろう。

 アディスはひりひりと少しだけ痛む頬で、苦笑交じりの歪んだ――けれど今までよりずっと彼らしい笑みを浮かべる。

「だから僕に力を貸してくれ」

「ふん。はじめからそう言えってんだ。この意地っ張りめ」

 どちらかと言えば彼も十分に意地っ張りで素直ではないだろうゾイは、自分のことを棚に上げてアディスを軽く罵る。

「ルルディ、君にもこれまですまないことをした。でも、これからもできれば協力してほしい」

「はい、アディス様。もちろんですわ」

 これまで二人の少年のやりとりを心配そうな顔で見守っていた少女がようやく笑みを浮かべる。

「エフィは?」

「あの方は……」

 アディスがここにいない仲間の最後の一人の名を出して尋ねると、ルルディが沈鬱な表情になった。

「それについては長くなりそうだから、後にした方がいいんじゃないか? もう時間がないんだろ?」

「時間?」

「王弟の戴冠式だ」

「クレオは?!」

 本来王弟よりも高い継承権を持つはずの王子の身を案じ、アディスは一瞬で蒼白になる。

「落ち着けよ、王子が何かされたわけじゃない。ただ向こうがこっちの隙をついてとんでもない切り札持ってっただけだ」

「そ、そっか。無事、なんだ……」

「ああ、だが早くしないと――」

 ゾイが不自然に言葉を切る。彼は素早く牢の入り口を睨んだ。

「困るな。そこの王子様を今解放されちゃ、俺たちの雇い主にとって非常にまずい事態になるぜ」

「カタラ」

 見ればそこに立っているのは、エリピア遺跡でエフィの卵を狙っていた黒尽くめの一人だった。あの時アディスになんだかんだと話しかけてきていた首領だ。ゾイの様子からするに、恐らく顔見知りなのだろう。つまり、同業者。もっと言ってしまえば恐らく同僚だ。

 スタヴロスの狙いは、最初から王位の奪取にあったのだ。そのために彼は随分と前から神獣であるエフィを利用しようとしていた。表立っては行えない黒い企みに、スタヴロスが用いたのは処刑人【ディミオス】の暗殺者。その一人はエフィを狙い、もう一人はアディスを狙った。

「……お前ら、先に行け。あいつは強い。足でまといにいられちゃ困る」

「ゾイ」

「それにまだやることがあるんだろう」

 アディスたちは一刻も早くスタヴロスの戴冠を阻止しなければならない。そのためにはまず、ランフォスを目覚めさせる必要がある。

 一度でもスタヴロスが国王の座に着けば、例えその後にスタヴロスを殺したとしても、クレオの王位継承権に順位変更がかかってしまう。それはエクレシア王国内に争いの火種を広げるだけだろう。

 双剣を構えるゾイに、カタラと呼ばれた男がにやりと嗤う。

「俺は一度お前とやってみたかったんだ。魔王殺しの暗殺者なんて御大層な称号を得たお前を引き裂く瞬間をずっと楽しみにしてきたんだ。裏切ってくれてありがとうよ、ゾイ」

「抜かせ、この悪趣味め。俺がお前なんかに負けるわけないだろ」

「そうかな?」

 爛々とした狂気を眼に浮かべた男が得物をこれ見よがしに振って見せる。転移術を準備していたルルディがアディスの腕をとった。

 一瞬で空間を移動する転移術は使いこなせれば便利であるが、この手の術には大掛かりな準備か、あらかじめ自分が行ったことのある場所にしかいけないという制約がある。エクレシア王国内のことに詳しくないルルディは、いくら彼女自身が力の強い魔女でも、そう簡単に転移術でどこにでも移動できるわけではない。だからゾイの援護が必要だったのだ。

「行け! アディス!」

「ゾイ! 君も必ず無事で!」

 二人の姿が消えると同時にカタラが斬りかかってくる。

「これで邪魔者はいないな」

「依頼はどうしたんだよ、カタラ」

「お前を足止めするのは、十分依頼のうちだろう。魔王殺しを野放しにしといたら、雇い主殿が殺されちまう」

 感情がない機械のような人間が多いディミオスの中でも異質な、殺戮に喜びを覚える人種であるカタラは楽しそうに舌なめずりをする。

「だからその前に俺がお前を殺してやるよ」

 ゾイは無言のまま、彼の武器である二本の刃を構えなおした。

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