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風の青き放浪者  作者: 輝血鬼灯
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16.吟遊詩人の帰還

「――では、この件に関しては魔術師長に任せるということでよろしいでしょうか」

 その声は承認を待つ言葉を模ってはいるが、実際その中に込められた意味は空虚。男はそれをすでに決定事項として取り扱っていて、王子に承諾を得るよう問いかける言葉は、あくまでも形式でしかない。

「――いいだろう。許可する」

「恐れ入ります、殿下」

 自らの権力をこの宮廷で確立させようと目論む男を牽制するように、王子はできる限り居丈高に王弟の意見に許可を出した。身分では王子クレオの方が上だが、現在の人望も実力も王弟スタヴロスの方が上だった。

 エクレシアの宮廷は、静かなる混乱の極致にあった。重要な政策を決める会議室で、王子と王弟が睨み合う。

 父王が謎の病に倒れてから一月、クレオは次期王位継承者としてその勤めの半分以上を代行していた。しかしそこに、長らく王都を離れていたはずの王弟スタヴロスが横槍を入れてきたのだ。

 スタヴロスはまだ若き王子を支えるという名目で、クレオの手から重要な案件のいくつかを奪い、それをクレオ以上に見事に処理していった。そのため日頃から王子の実力に不安を覚える諸侯の何割かが、すでに王太子より王弟を支持する動きを見せ始めている。

 もともと国王の隠し子と呼ばれていたアディスのこともあり、クレオの立場は複雑だった。飄々とした態度だが一度決めたら頑固なアディスと、常に穏やかさを絶やさず、他人の意見を柔軟に受け入れるクレオ。どちらの性質が一概に良いとも言えないが、エクレシアの宮廷にとってクレオは少し柔弱に過ぎるように思われていたのだ。

 クレオの補佐をするのではなく、彼の立場に対抗するように表だって発言するスタヴロスの思惑は目に見えている。問題は、エクレシアの宮廷がそれを受け入れかねないという現状だった。

 スタヴロスが支持されているのは、何も彼が政治家として有能だからに限った話ではない。彼はまさに自分こそが王家の血を受け継ぐ者である証を、重臣たちの目前ではっきりと示したのだ。

 すなわち、守護聖獣との契約である。

 現在の契約者であるシグヌムが病に倒れてから、エクレシアの守護である神獣ランフォスは力を失い弱まっていた。そこにスタヴロスが現れて、ランフォスの息を吹き返した。

 エクレシアは伝説の英雄王の血を受け継ぐ王家を戴く国家だ。王族はその能力だけではなく、その血をもって守護聖獣との契約を交わさねばならない。

 弱まる聖獣を前にクレオが打開策を講じる前に、一体何をしたものかスタヴロスはランフォスの力を取り戻した。そのため宮廷では王太子よりも王弟に一目置く勢力が幅を利かせるようになったのである。

 鳥の姿をした聖獣は、今もスタヴロスに懐くようにその背後の窓辺で翼を休めている。

 クレオはランフォスが自分を認めていないことは知っていた。王族の傍らに常に存在する神獣は子どもの頃からの馴染みだが、その瞳はいつもアディスの方を見つめていたのだ。

 たぶん聖なる存在には、何もかもお見通しだったのだろう。

 しかし、だからこそクレオは不思議でならない。あれほどアディスに懐いていたランフォスが、今になってスタヴロスのような輩に親愛を寄せるのか。

 自分が蛇蝎のごとく嫌う叔父が、まさか神獣に認められるほどの徳を持つなどとクレオは信じたくなかった。それは主に個人的な憎しみから発生したものかもしれないが、王弟の振る舞いに時折除く不審を完全に否定する要素にはならない。

 今日も神経をすり減らす会議を終え、クレオは王城の自室へと戻った。

 侍従に来客の存在を告げられて応接室に向かうと、彼を待っていたのはニネミアだった。

「殿下。本日もまたお疲れだったようですね」

 アディスがいなくなって代わりに宰相家次期当主の椅子に座ることになったニネミアだが、何の実績もない彼女はまだ王宮で行われる会議での発言権はない。その分クレオと頻繁に情報交換をしている彼女は、今日も疲れた顔で戻ってきた王子を労わるように目を伏せる。

 ニネミアが手ずから淹れたお茶に口をつけながら、クレオは今日の会議の内容を彼女に報告する。ニネミアは深い知識と彼女独自の立場から、クレオには思いつきもしない斬新な意見と考察を与えてくれる貴重な存在だ。

「その件、気になりますわね。何故近衛でも警備隊でもなく、魔術師に調査を依頼したのでしょう?」

「被害者たちに一様に魔力の痕跡が認められたからでは?」

「だからといって、魔術機関のみでの調査などおかしいです。先例ではこういった事件が起きた場合、魔術的な機構とその他の機関が手を組むという形が多かったですのに」

 二人が今話題にしているのは、先程の会議で決まった昏睡事件への対応だ。何らかの魔術によって目覚めない眠りに引きこまれた者たちを救うために、スタヴロスが魔術師長に調査を命じることを決めた。

 だが、ニネミアはそれがおかしいという。

「陛下の御回復にもかかっているのですよ。魔術師だけに命じて他の機関に何も対策させないなど、ありえません」

「そうなのですか?」

「もう少し情報が欲しいところですわね。街にでも出て、人々の噂話や被害者たちの共通点でも聞ければ何かわかりそうなのですが」

 王子殿下と宰相家のお嬢様では、酒場での聞き込みなど到底できはしない。とはいえ召使を派遣して噂を集めさせるくらいはできるので、後で人を派遣することをニネミアは約束する。

 だが街での聞き込みという辺りで、クレオはこれまであえて口にしなかった人物のことを思い出した。

「こんな時、アディスがいてくれたなら……」

 宰相子息でありながらしょっちゅう屋敷を脱走しては吟遊詩人の真似事をしていた友人のことを思い返す。彼ならばこんな時、きっともっと上手く立ち回ったに違いない。

「クレオ殿下、それを言っては駄目よ」

 王子の切なる願いを、同じ望みを抱く女は力なく首を振って否定する。

「そう思うのは私も同じだわ。だけどアディスは他でもない私たちのために国を出たのだもの。もう、彼に頼ってはいけない」

「だけど彼がいたら、今のようにスタヴロスにいい顔をさせることはなかった。アディスが王になってくれさえすれば――」

「殿下!」

 王宮の最も重大な秘密を口にしたクレオに、ニネミアは悲鳴のような叫びをあげる。

「そんなことを言ってはなりません! あの子は私の弟で、この国の王子はあなたです!」

「だけどニネミアだって、アディスが玉座についてくれた方がいいんだろう!」

 返すクレオの台詞にもまた、痛みを堪えるような悲痛な色が宿る。

「僕は知っているんだ。あなたはずっと、誰よりも熱心にアディスを見ていた。あなたはアディスを弟だなんて思ってない。あなたは彼を」

「やめて! それ以上言わないで!」

 常に毅然としているニネミアが、今は幼子のように両耳を塞いで蹲る。

 その様がクレオにはまるで、彼の言葉の内容ではなく、彼自身をこそ拒んでいるように思えた。

 呪いを引き受けたアディスが国を出る日に、ニネミアの方から仕掛けた口付けを思い出す。美しい一対の男女の姿に、クレオは妬けるような胸の痛みを覚えた。

「あなたは宰相家の娘だ。アディスが玉座に着けば、あなたを妻と迎えてもおかしくはない」

 彼女はずっとアディスを見ていた。それを彼は知っている。

「そんなことありえないわ。例え血が繋がっていなくても、私たちは十六年間、姉弟として育ったのよ」

 彼はずっと、彼女を見つめていたから。

 部屋の扉に控えめなノックの音が響いた。

「何用だ」

「失礼いたします、殿下方。スタヴロス様より、今宵の宴へのお誘いに参りました」

「宴?」

 叔父の腹心の部下である男に、クレオは露骨に嫌な顔を返した。今や王城を我が物顔で歩く王弟は、贅を尽くすことこそないが、時折予定にない行動で王太子たる彼を振り回す。

 今度も宴など催して、自分の誘いにクレオが乗るか否かを試しているのだろう。シグヌム王が昏睡状態にある現在、この国を支えているのは力不足の王太子ではなく、王弟スタヴロスであることは確かだ。その彼の機嫌をクレオが露骨に損ねるような態度をとれば、エクレシアの宮廷を王太子派と王弟派で割ることになる。

 今でもその構図に近いことは近いが、それをクレオの側から確実なものとしてしまうわけにはいかなかった。いくらスタヴロスが憎くても今のこの国とクレオの今の状態で彼と敵対することは得策ではない。

 参加を了承して使者を追い返した後、クレオは深い溜息をつく。一度自分の部屋に戻って夜会用のドレスに着替えたニネミアと共に、広間へと向かう。

 閉じた扉の向こう側から、微かに竪琴の音色が聞こえてきた。

「まぁ……」

 竪琴と言えば、彼らの中では真っ先に思い浮かぶのがアディスの存在だ。だが彼がこんなところにいるはずはなく、恐らく吟遊詩人か旅の楽団でも招いたのだろう。竪琴に合わせた少女の歌声を耳にしながら、クレオはそう考える。

 演奏がちょうど途切れたところで、二人は広間へと入場した。

 広間の奥に作られた舞台に、歌い手らしい少女と小さな子どもが立っている。その奥に設置された椅子に、竪琴を抱えた楽士が座っていた。

 聴衆にお辞儀を終えた少女の後ろで、楽士が新たに入ってきた二人の姿に気づく。茶色い髪に茶色い瞳で頭に派手な色の布を巻いた、少年だ。だがその顔を見た瞬間、クレオとニネミアは思わず息を呑んだ。

「まさか!」

 二人の姿を見てにっこりと笑った楽士こそは、間違いなく彼らのよく知る少年、アディスだったのだ。


 ◆◆◆◆◆


「アディス! あなたどうしてこんなところにいるの?!」

「そんなまるで僕がこの国にいてはいけないみたいな……って冗談を言っている場合ではないね。ニネミア、クレオ殿下、そちらこそ一体何があったのですか」

 クレオの計らいで、アディスたち旅の楽士の一行は王子の部屋へと招かれた。宴には彼らの他にも楽団や踊り子などの芸人が集められていたので、その一組を王太子殿下が気に入ったとして連れ出すくらい他者は気にしない。

 宴の主催であるスタヴロスも鷹揚に王子の頼みを聞き届けた。ルルディに頼んで、クレオとニネミア以外のあの場にいた人間には、アディスの顔が別人に見えるよう魔術をかけてもらっていたのだ。

 アディスは王太子と姉、竜の子と墓守の魔女についてお互い簡単に自己紹介してもらう。そうして顔合わせが済んだところで、率直に本題に入った。

「国王陛下がご病気だというのは、本当ですか?」

「ええ、そうよ」

「それと街で、最近眠ったまま目覚めないという奇病が流行っているとの噂を聞きましたが――」

 クレオが肩を揺らし、ニネミアが顔を強張らせる。

「やはり、二つの事件は関係あるのですね」

「……恐らくは。でも誰も証拠を掴んではないわ」

 エクレシア王シグヌムの病状も、昏睡状態に陥ったまま目覚めないこと。城下で流行っている奇病と同じだ。

「一連の出来事の犯人の目途はついているのでしょう?」

 アディスも、クレオもニネミアも確信していることである。ここにゾイがいたら、彼も賛同することだろう。

「王弟スタヴロス殿下は、よほど玉座が恋しいようだ」

「アディス」

 クレオの、そしてアディス自身の叔父にあたる男、スタヴロス。兄王シグヌムを目の敵にする彼は、兄とその血を継ぐ者を追い落として至尊の座を得ようとしている。

「父上の症状は、街で噂になっている眠り続ける人々と同じだ。その話を聞いてすぐに叔父上が王都にやってきたのもおかしい」

「誰か王弟殿下の介入に抵抗している人は他にいないんですか? 殿下以外で。そうだ、父上とか」

 王太子と宰相の娘は顔を見合わせた。

「ソヴァロは、息子が勝手に旅に出たことに意気消沈して最近屋敷に籠りがちで……」

「あうっ!」

 勝手に家を出た元跡継ぎ息子は胸を押さえた。クレオの沈痛な声に、返す言葉もない。

「それに叔父上は、守護であるランフォスを味方につけている。エクレシアの玉座は守護聖獣に親愛を誓われた人間のものだ。父上が倒れられてから、どうやったものかランフォスの親愛を得た叔父上を、私よりも上位の王位継承者にした方がいいと期待をかける者たちもいる」

「そんな……」

「だがアディスも見ただろう。先程の宴でランフォスを我が物のように侍らせていた叔父上の姿を」

「それは……」

 吟遊詩人として潜入した広間の光景を思い出し、アディスはクレオにかける言葉を失う。

「――少しいいですか?」

 途切れた会話に口を挟んだのは、今まで部外者として聞き役に徹していた墓守の魔女ルルディだった。

「先程の宴でランフォス殿が王弟殿下の傍にいたと仰いますが、どこにいたのですか?」

「「へ?」」

 どこも何も、芸人たちはスタヴロスの正面でそれぞれの演目を披露していたのだ。目の前のスタヴロスと、その背後のランフォスの姿が目に入らぬはずがない。

 赤い巨大な火の鳥の姿をしたランフォスは、それでなくても目につくのだ。

「いいえ。あの宴の席には、神獣の気配を持つ存在はいませんでした。王弟殿下の背後にいたのは、禍々しき気配を放つ魔物――黒い羽根の鴉でしたわ」

「なんだと?!」

 ルルディの証言に血相を変えたのはクレオだった。父王が倒れて以来、彼は突然宮廷を牛耳った叔父に苦い顔をしながらも、守護聖獣の加護を理由に打って出ることができなかったのだ。

 その守護が、偽物だとしたら話は別だ。

「何故君にそんなことがわかる?」

「わたくしは墓守の魔女。死せる王の安らかなる眠りを守るために遺跡の番人として生きてきたわたくしに、神獣の気配が見分けられぬわけはありません」

「……アディス、通訳!」

「つまり彼女は特別な魔女なんで、まやかしに惑わされず神獣の気配がわかるんだって」

「本当なの?」

 クレオとニネミアは、まだ疑わしそうな顔でルルディを見ている。遺跡の番人たる魔女は、こちらもまた口出しを控えていたエフィに話を振った。

「そうですよね。エフィ様」

「うん」

 虹色の髪と瞳の子どもは、軽く頷く。

「だいたいあのクソ女が、クラヴィスの直系を容易く手放すはずがない」

「クソ女?」

「エフィ、エフィ、うちの国の守護聖獣様を悪く言わないで」

「私にとってはランフォスはただのクソ女だ。次に顔を見たら焼き鳥にしてやると言ってある」

 眦を吊り上げるクレオにも、困った顔をするアディスにも見向きせずエフィは言い切った。彼の正体を知らぬクレオとニネミアの顔は険しいが、この小さな子どもが発する只ならぬ気配をも感じ取っているのか、あるいは単にそんな場合ではないからか、エフィ相手に突っかかったりはしなかった。

「でも……王弟殿下が連れていたランフォス様が本当のランフォス様ではないとしたら、本物は一体どこに?」

 ニネミアの言葉に一同はハッとした。

「そうだよ! 本物のランフォスが無事なら王弟の行動を許すわけがない。ランフォスを見つけないと――」

 連れている聖獣が真の聖獣でないと知れれば、スタヴロスとクレオの立場は一気に逆転する。


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