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風の青き放浪者  作者: 輝血鬼灯
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11.英雄王の物語

 その日は、エクレシア王シグヌムの誕生式典が催されていた。

 四年前のことだ。毎年のように近隣諸国から列席者を募り、神にこれまでの健康と安寧への感謝とこれからのますますの繁栄を願う。その儀式が終わると、夜会が開かれる。

 王太子のクレオは、将来エクレシアを担う者として朝から忙しそうにしていた。アディスは王子の友人であり彼自身宰相の息子として、そのクレオを手伝って動き回っていた。式典が終わり無事に夜会まで漕ぎ着けた時には二人でほっとしたものだ。

 だが嵐はその後にやってきた。なんでも兄王の誕生日を十年ぶりに祝うためにと、王とは不仲で知られる王弟スタヴロスが突然顔を出したのだ。

 スタヴロスは、自らも武人として知られる神経質そうな強面の男だ。その強さを見込まれて、国境の守りを固めている辺境伯の一人でもある。

 イェフィラではない逆側の国境には山があり、大きな街道が通っている。その分山賊や盗賊に荒らされることも多く、これまでスタヴロスは山賊退治の忙しさを理由に国境から目を離せないとして、王都へやってくるのを拒み続けていたのだ。それまでも兄と弟は、十年来ほとんど顔を合わせたことがないとの噂であった。

 式典には出ず、ほとんど王都にやってくることもない王弟の来訪に城の人間たちは皆何事かと身構えた。結局は、兄を嫌っている弟が嫌味を言いにきたらしいと判明したが。

 到着早々兄王の部下や使用人の手際が悪いとひとしきり悪態をついた王弟のせいで、夜会の空気は一気に盛り下がった。せっかくの国王陛下の誕生式典だというのに、騒ぐ気にもなれない。

 これではまずい、と父王のいない場で自ら動いたのは王太子クレオだった。彼は友人であり宰相の息子であるアディスを連れてスタヴロスの前に立ち、友好的な挨拶をすることで叔父である王弟の気分を宥めるか、あるいは釘を刺そうとしたのだ。

 スタヴロスはほとんど王都に寄りつかず、兄以外に挨拶もしない。だからクレオも赤子の時に一度顔を合わせたきりで、ほぼ初対面に等しかった。王太子が王弟のために多少大仰な挨拶をして場を支配しても、そうおかしくはないように思われた。

 しかし事態は思いがけない方向に転ぶ。

 召使から王子が挨拶にやってきたと伝え聞いたスタヴロスは、クレオではなくその一歩後ろに立っていたアディスの顔を見て驚愕と敵意の入り混じった視線を向けたのだ。

「お前が王太子か! ふん、なるほど。兄の若い頃に生き写しだ」

 話は夜会の会場内で行われたので、その現場を目撃していたものは何人もいた。公衆の面前で釘を刺すからこそ効果があると考えていたクレオの行動が裏目に出たのだ。

 二人の少年はそれぞれ予想外の王弟の発言に硬直した。

 周囲のざわめきと二人の少年の驚きを意に介さない王弟だけが、憎々しげに言葉を紡ぎ続ける。

 国王シグヌムと、アディスの父である――とされている――宰相ソヴァロがその場にやってくるまで、その場の静かな混乱は収まらなかった。


 ◆◆◆◆◆


「英雄王の血って、なんだよ」

 エフィが午睡を貪る花畑から離れ、アディスとゾイはルルディによって彼女の自宅へと案内された。無人の街中の住居の一つが、彼女の家であるらしい。かつては他の家にも人が住んでいたらしいが、今では彼女一人しか残ってはいない。

 花の香りのお茶を出されて人心地がついたところで、誰が何から口を開こうと迷う中、意外にも先陣を切ったのはゾイだった。

「アディス、俺はお前をただ殺せとしか命令されてないが……お前実は王子様とかいうオチじゃないよな」

「違う。あ、いやどうなんだろ?」

 ゾイが暗殺者だということは聞いていないのか、ルルディが目を丸くして二人の少年の話に聞き入っている。アディスとしてはまず彼女から英雄王の墓やエフィについての話を聞きたかったのだが、それは後回しにされるようだ。

「どうなんだろって……そもそもこんなところをお供もつけずにふらふらしてる王族なんかいるはずがないし。いや、でもあの竜のガキは」

「ガキとは聞き捨てなりません。あの方は名高いエフィアルティス様ですよ」

「知らねぇよそんなの」

「そもそもあなたこそ一体何者なんですか。見たところエクレシアとは無関係なのに神聖な王の墓所にずかずかと――」

「俺だって好きでこんなところに来たわけじゃ――」

「あー! はいはい、二人ともいったん黙って! 話が全然進まないじゃないか!」

 どうやらゾイとルルディは気が合わないらしく、睨みあってしまう。そのまま激しい口論に発展しそうな二人を一度黙らせると、仕方なくアディスは口を開いた。

「どうやら今回の事態の中心は不本意ながら僕のようだね。まずは僕の事情から話すから、終わるまで黙って聞いてくれないか」

 そしてアディスは、自分がエクレシア宰相の息子として育ったことや、四年前の夜会で王弟から国王に生き写しだと言われたこと、今回クレオ王子が魔女にかけられた呪いを引き受けて旅に出たことなどをすべて二人に明かした。

「エクレシアと無関係な君たちだから話したんだ。この情報がどうなるとも思わないけれど、悪用なんかはしないでくれよ」

 ゾイが複雑な顔をする。話を聞いていた際の彼の一瞬の表情の変化を見ると、やはりアディス殺しを依頼したのはスタヴロスらしい。

 一方のルルディは、アディスがエクレシア王の血さえ引いていれば正嫡であろうと隠し子であろうと気にしないらしく、平静な顔をしている。

 アディスはルルディの言葉に、先程から聞きたくてたまらなかったことを改めて尋ねた。

「なぁ、ルルディ、この遺跡を作った〝王〟というのは……」

「英雄王、クラヴィス=エクレシア陛下のことですわ」

 伝説的な英雄の名を出され、アディスは完全に沈黙した。


 かつて、この大陸に「エクレシア」という名の王国は存在しなかった。

 その頃、現エクレシア・イェフィラ二国の領土は「氷の国」と呼ばれていた。

 あるとき国中を包んだ大火に、火に弱い氷属の人間が多いその国が苦しんでいた時、王子の一人が鎮火を炎の神に願った。

 神は願いを聞き届けるために地上へ降り立ったが、野心に溢れた王子は炎神を殺して、その心臓を喰らった。神は最後の力で国と王家に呪いをかけ、氷の国は吹雪で閉ざされ外界との交流を失くしてしまった。炎神を殺した王子もまた呪われ、彼の子孫は代々炎神の力を持って生まれることとなった。

 神殺しの王子から何代目かに炎神の力を持って生まれた王子は、神の呪いを解き吹雪に閉ざされた国を救うために旅に出た。

 彼は様々な仲間と出会い、旅をして世界を知り、神の力で魔王を倒し大陸を救ったために、他の神々から一族の罪を赦された。かくして氷の国はエクレシア王国と呼ばれるようになり、聖獣を得て、国を包む呪いも解けた。

 その、国を救った王子こそがクラヴィス。

 現エクレシア王家に仕えるランフォスは、もともとは彼の仲間の神獣である。

 祖国だけでなく、大陸までも救った王子はのちに英雄王と呼ばれることとなる。

 だが、その旅路に関わった神獣の一人、虹色の竜のことはほとんど知られていない。


「わからないな。エフィはクラヴィス王の旅にて魔王を倒すことに協力し、国にかけられた呪いを解くのも手伝ってくれたんだろう。なのになぜ、エクレシアの守護聖獣はランフォスなんだ?」

 クラヴィス王の墓前でのエフィの様子を見るにつけ、彼はまだクラヴィスを慕っているように見える。アディスと契約をしたがったのも、彼がクラヴィスの子孫だからだろう。

 自国の守護聖獣に対してアディスは敬意を持ってはいるが、ルルディの口から墓守に残されたという英雄王の詳細な旅の記録を聞かされてしまうと、誰よりも近くでクラヴィスを支えていたのはエフィのように思える。彼が何故エクレシアの守護聖獣とならなかったのか、不思議に思えるほどに。

「それなのですが、実はこれ以上の詳しい話は、わたくしも知りません」

 もっと深い事情があるのではないかと探るように問いかけたアディスに、ルルディは申し訳なさそうに首を横に振った。

「実は、わたくしの両親はわたくしがまだ幼い、墓守としての勤めを覚えきれない子どもの頃に亡くなったので、本来知るべきことのいくつかは伝えられていないのです」

「え、じゃあ……」

「伝承は失われました。英雄王がエフィアルティス様を封印した事情は、わたくしにもわかりません」

 ルルディはこの遺跡に隠れ住んでいた墓守一族の、最後の一人だという。隠し通路を使って外界とも交流していたというが、身元を隠すならやはり接触は最低限に限られる。だんだんと数を減らしていった墓守たちは、ついにルルディの代で彼女一人を遺して滅びてしまった。

「君も苦労したんだね」

「ええ。ですが、よもや墓守の最後の一人であり知識の上でも半人前のこのわたくしが、英雄王の子孫にお会いできるとは思っておりませんでした」

 本来伝えられるべき伝承の代わりにルルディが差し出したのは、立派な紅い革の表紙で装丁された一冊の本だった。中身を確認するに、どうやら個人的な手記のようだ。

 中表紙に記された署名を見て、アディスは確認する。

「これはまさか、クラヴィス王の手記?」

「ええ」

 アディスはルルディの家の中の本棚へと視線を移した。ぎっしりと収まった本の背表紙には、すでに記録の中で題を見たことしかない稀覯本(きこうぼん)の類も交じっている。

「この家には、クラヴィス王の遺品も多く遺されています。その一つがこれです。わたくしたちの一族はこれらを永く保存してきました。伝承の核心は残っておりませんが、表に存在する王家には伝えられていないことが何かわかるかもしれません」

「ありがとう。でもいいの? こう言ってはなんだけど、僕が本当に英雄王の血を引く者である証拠はないんじゃないかな?」

「その竪琴です」

 ルルディはアディスの持つ竪琴を示した。

「それはエフィアルティス様がクラヴィス王陛下に贈ったもの。エフィアルティス様の体の一部から作られています」

「本当に?! 道理でどんな乱暴に扱っても壊れないと! ……ってちょっと待って、体の一部って、まさか骨……」

 怖い想像に行き当たって青ざめるアディスに、幼い声が呆れた言葉を返す。

「爪だよ、爪。それと鱗と鬣の一部。骨なんか削り取ったら痛いじゃないか」

「エフィ!」

 家の入り口に立つ竜の子は、静かな目でアディスを見つめている。

「エフィ……今までの話」

「本当のことだよ」

 くるくると色を変えながら輝く虹色の瞳に、今はどこか翳りが落ちている。

「卵となって眠りにつく前、私はクラヴィスと共に旅をしていた。でもクラヴィスは、最後の最後で私を選んではくれなかった。国を作るためにランフォスとレピだけを手元において、残りの使い魔をすべて解き放ってしまった。その上、彼は私に封印の術をかけて暗い神殿に閉じ込めた」

「エフィ」

 とことこと歩いてきたエフィは、椅子に腰かけたアディスの膝に縋りつく。

「アディス。アディスは私を置いていかないで」

 何とも言えずに口ごもるアディスに、幼い姿の竜の子は請い続ける。見かねて口を挟もうとしたゾイの行動をルルディが止めるのが、視界の端にちらりと見えた。

「クラヴィスと違って、アディスも私と同じ風の眷属だ。だから置いていかないよね? 今度こそ、私を傍においてくれるよね?」

「……エフィ」

 先程からアディスは彼の名を呼ぶことしかしていないような気がする。だが同時に、その名をどんなに呼んでも、彼の言葉はエフィの中に届かない。

 哀れで残酷な竜の子は、アディスではなく、その血の向こうにいるクラヴィスを見ているのだから。

「私とずっと一緒にいて」

 アディスの腕の中に顔を埋めて縋りつくエフィの姿は、まるきり無力な人間の子どものようだった。

 これは茶番だとわかっている。エフィが必要としているのはアディスではないのに、どうして彼の想いに応えられるというのだろう。

 それでも縋りついてくる細い腕を、アディスは振り払うことができなかった。

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