第8話 二人だけの夕食
赴任して二週間が過ぎた。
執務室での仕事が終わり、フィーネが食事を運んできた。
質素な夕食だった。黒パン、根菜のスープ、干し肉の薄切り。パンはマリアの店のもので、端が焦げている。ボランティア清掃の昼飯作りをきっかけに、領主館の分だけは細々と焼いてくれているらしい。
「すみません。ナカムラさんの分は、ちゃんと用意してるんですけど、この領地には料理人がいなくて……」
食卓の上には、フィーネなりに精一杯の配置があった。スプーンとナイフが左右逆だが、ナプキンの畳み方は丁寧だ。なぜかデスクの端に小さな花が一輪置いてある。庭の野花だろう。
(食卓に花を飾る。——誰に教わったわけでもないのに、この子は「もてなす」ことを知っている。父親に教わったのかもしれない)
「十分です。温かい食事が出るだけでありがたい」
「あの、お箸——いや、この世界ではフォークか。フォークがないようですが」
「あ、忘れました! 取ってきます!」
フィーネが立ち上がって、ドアに向かった。三歩目でスカートの裾を踏んだ。
「あわっ」
「……大丈夫ですか」
「大丈夫です! すぐ戻ります!」
小走りに出て行って、すぐにフォークを二本持って戻ってきた。息が切れている。往復十秒の距離で息が切れるのは、全力疾走したからだろう。
「お待たせしました」
「フォーク二本のために全力疾走する領主は珍しいですね」
「えっ、普通じゃないですか?」
(普通じゃない)
二人で無言で食べた。
スープは前回よりましだった。塩加減を覚えたらしい。フィーネのメモ帳に「しおはひとつまみ半分」と書いてあるのが見えた。料理のレシピまでメモするのか。
よく見ると、その下に「完食した→ナカムラさんはなにもいわなかった→もっとがんばる」と書いてあった。
(……前回のスープも十分美味しかったですよ。言わなかっただけで)
パンの切り方が奇妙に不揃いだ。一切れだけ巨大で、残りは米粒みたいに小さい。
「あの、パン、大きいのがナカムラさんの分です」
「ありがとうございます。——ご自分の分は」
「その……小さいのが」
(隣国との領土紛争みたいな大きさの差だが)
「フィーネ様。もう少しご自分の分も大きく切ってください。領主が痩せたら住民が心配します」
「え、そうですか? でも、ナカムラさんのほうが仕事を……」
「食べることも仕事です。栄養が足りなければ判断力が鈍ります」
フィーネがメモ帳を取り出して「たべることもしごと」と書いた。食事中にメモを取るのはマナー違反だが、指摘するのはまた今度にしよう。
ちなみに、スープの具はカブだけだった。切り方がバラバラで、一つだけやたら大きく、残りは米粒みたいに小さい。パンと同じ問題がここにも。
(均一に切る技術ではなく、均一に切ろうとする意識がないのだ。——それも、教えれば変わる。たぶん)
フィーネがスープを飲み干した。小さな口で、ふーっと息をついた。その仕草が無防備で、十三歳の年相応だった。
(……領主の威厳は今どこに)
「……ナカムラさん」
「はい」
「なぜ、台帳なんか作ってるんですか」
「行政の基本だからです」
「そうじゃなくて」
フィーネがスプーンを置いた。
「なぜ、こんな領地に——チートもないのに——残ってくれてるんですか」
「仕事だからです」
「……仕事」
「はい。転生窓口の人に頼まれました。断る理由もなかったので」
フィーネの琥珀色の瞳が、テーブルの上のパンを見つめていた。
「父は——この席で、毎晩帳簿を広げていました」
「お父上が」
「はい。母が亡くなってからは、二人きりの夕食で。父はいつも帳簿を見ながら食べていました。行儀が悪いって、側近の方に怒られてましたけど」
フィーネが小さく笑った。その笑顔は、いつもより年相応だった。父親の話をする時だけ、この子は普通の十三歳に戻る。
「父は、よく広場に立っていました。用事がなくても。住民の人に挨拶して、困ったことがないか聞いて。——『領主の仕事は、名前を覚えることだ』って」
(名前を覚えること、か。——台帳を作ったのは偶然じゃない。この子の中に、父親から受け継いだ行政への直感があったんだ)
「フィーネ様。一つ聞いていいですか」
「はい」
「なぜ、領主を辞めないんですか。摂政の叔父上に任せて、王都で暮らすこともできるはずです」
フィーネは長く黙った。スープが冷めていく。
「……ここにいる人を、私しか知らないからです」
「どういう意味ですか」
「アルノルドさんの奥さんが腰を悪くしていること。鍛冶屋のハンスさんの娘が去年から熱を出しやすくなったこと。パン屋のマリアさんが窯に火が入った日に泣いていたこと」
フィーネの声が、かすかに震えた。
「——叔父様は、誰の名前も知りません。摂政なのに」
(この子は——十三歳にして、行政の本質を掴んでいる。「名前を知っている」ということは、「その人の存在を公的に認める」ということだ。それを教わったわけでもないのに、感覚で理解している)
「フィーネ様。お父上は立派な領主だったと思います」
「え?」
「あなたを見ていれば、わかります」
フィーネの目がまんまるくなった。それから、慌てて顔を隠そうと頭を下げたら、そのままスープに顔を突っ込んだ。文字通り。
「あつっ!」
「……大丈夫ですか」
「だ、大丈夫です。すみません。顔から食事するつもりはなかったんです」
(顔から食事するつもりの人間はいない)
フィーネの鼻の頭にスープの野菜がくっついていた。指摘すべきか迷ったが、本人が気づくまで待つことにした。
結局、食事が終わるまで気づかなかった。片付けの時にようやくカブが落ちて、フィーネが「え? いつから?」と叫んだ。
(由緒ある公爵家の当主が、鼻にカブを付けたまま「おやすみなさい」と言った。——嫌いじゃないが)
部屋に戻ったあと、ふと思い出した。前世の市役所の休憩室で、同僚と食べるコンビニ弁当。「中村さん、いつも一人で食べてますよね」と言われたことがある。「一人のほうが早いですから」と答えた。
——今日の夕食は、二人だった。この子の鼻にカブが付いていたが、寂しくはなかった。
フォークを全力で取りに行く領主。パンの切り方が領土紛争。鼻にカブ。——まともな晩餐とは言い難いが、前世のコンビニ弁当より、ずっと温かかった。
(情は移さない。——移さないぞ)
二人きりの遅い夕食。黒パン、根菜のスープ、干し肉。
パンの大きさが「隣国との領土紛争」レベルに不揃いで、
スープの顔面ダイブ事件が発生しました。鼻にカブ。
「たべることもしごと」——メモ帳に書くフィーネ。食事中にメモを取るのはマナー違反ですが、指摘はまた今度。
▶ 次話「復興対策税の正体」——帳簿の数字が合わない。
元公務員の会計知識が、不正の痕跡を嗅ぎ当てる。
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