表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/7

第7話 一人ずつ、名前を聞く

 住民台帳の整備が始まった。


 五千人超えの領地を二人で聞き取る。正面から全員を執務室に呼ぶのは非現実的だ。前世の住民基本台帳の初期整備でも、いきなり完璧を狙ってはいけない。

 まずは「暫定台帳」を作る。区ごとに代表者を立てて、世帯単位で暫定登録をしてもらう。名前、住所、家族構成、職業。これだけでいい。課税額の確定は後回しだ。次に、暫定台帳の記載を本人確認しながら「本台帳」に移す。この段階で俺とフィーネが一人ずつ執務室で聞き取りをする。

 前世のエクセルが恋しいが、ないものは仕方ない。手書きでやる。


(やっていることは、ウィリアム征服王のドゥームズデイ・ブックと同じだ)


 十一世紀のイングランド。征服王は支配した土地を管理するために、全土地・全住民・全家畜の記録を作らせた。それが「審判の日の書」——ドゥームズデイ・ブック。「把握なくして統治なし」は、千年前からの行政の鉄則だ。あちらも全国を六つの地区に分け、地区ごとの担当官が聞き取りをした。全部一人でやったわけではない。


 初日。

 最初に来たのは、アルノルドだった。


「名前は」


「アルノルド・ベーレン。名前くらい知ってるだろ」


「台帳に書くので、正式な名前を教えてください」


「……アルノルド・ヴィルヘルム・ベーレン」


「ミドルネームがあるんですね」


「笑うな。死んだ親父が付けた名だ」


「笑いません。——家族構成は」


「妻が一人。息子が二人いたが、上は三年前に隣領に出た。下のやつは……まだ家にいる」


 指が一瞬止まる。「三年前に隣領に出た」——レイガスが赴任した年だ。偶然ではないだろう。


「職業は」


「農民だ。——でも今は畑もろくに動いてない」


「台帳には『農民』と書きます。畑が戻れば、農民に戻るんですから」


 アルノルドが鼻を鳴らした。だが、口元は緩んでいた。


 フィーネが横で一生懸命書いている。視線を向けると、メモ帳に「アルノルドさん ミドルネーム:ヴィルヘルム おとうさんがつけた」と書いてある。そこまで書く必要はない。

 だが、その下に更に小さな字で「はたけがもどればのうみん→ナカムラさん」と書いてあった。俺の言葉を一字一句、拾っている。


(この子は、筆記の天才か、それともただのメモ魔なのか)


 聴き取りの合間、フィーネがアルノルドに聞いた。


「あの、ヴィルヘルムというお名前は、どういう意味なんですか」


「知らんよ。親父が勝手に付けた。——強い男になれっていう意味だと聞いたが」


「素敵な名前ですね」


 アルノルドが照れくさそうに鼻を掻いた。六十過ぎの老人が、名前を褒められて照れている。


(聞き取りのついでに、住民との距離を縮めている。——教えたわけではないが、この子は天然でそれをやる)


 ◇ ◇ ◇


 二日目、三日目と聞き取りが続いた。

 最初は警戒されたが、「税の二重取りを解消するための作業です」と説明すると、協力的になる住民が増えた。


「あのー、去年、銅貨を五十枚余分に取られたんだが、返してもらえるのか?」


「台帳ができれば確認できます。二重取りが認められた場合は、返還します」


「本当か!?」


「記録に基づいて対応します。——だから、正確な情報を教えてください」


 こうして住民が次々と情報を持ってきた。中には「うちは三年分多く払わされていた」という家もあった。


 フィーネは隣の席で、聞き取りの補助をしていた。住民の名前を復唱し、メモ帳に書き留める。

 左手でポケットの中の猫の木彫りを握りしめているのに気づいた。お守りのつもりらしい。


「えーと、マルティンさん。お子さんは三人で、上から——」


「八歳、五歳、二歳です」


「はい。八歳、五歳、二歳……」


 フィーネが一文字ずつ丁寧に書いている。前世でいうひらがなのような簡単な文字だが、数字だけは正確だ。


 三日目、フィーネが質問した。


「ナカムラさん。職業欄に『無職』って書くんですか? 偉そうなおじいさんなんですけど……」


「職業は、今やっていることを書いてください。堂々と書くのが気の毒なら、『元農民』とか『退役兵』とか。その人がどんな人かわかるように」


「なるほど……」


 フィーネがメモ帳に「しょくぎょうはいまやっていることをかく」と書いている。その隣に「(わたしのしょくぎょうは『りょうしゅ』?)」と書いてあった。


(そうだ、この子は「領主」という職業名にすら自信がないんだな。——台帳の筆頭に「領主」と書いておいてよかった)


 暫定台帳の回収に三日、本台帳への聞き取り移行に二週間。合計十七日で、全住民の登録が終わった。


 終わった、と思ったのだが。


「ナカムラさん、あの……」


「なんですか」


「第三区の山の近くに、聞き取りに来てくれなかった家が三軒あります。訪問をしたほうがいいですか」


「三軒。——来られなかった理由は」


「一軒はおばあさんの一人暮らしで、足が悪いそうです。一軒は小さい子が三人いて家を空けられない。最後の一軒は——すみません、『お上には関わりたくない』って」


(足が悪い人、子連れ、行政不信。——三者三様だが、全員「窓口に来られない」という点では同じだ。前世の上下水道課でも、高齢者世帯への家庭訪問は重要な業務だった)


「行きましょう。『窓口に来られない人』こそ、行政が足を運ぶべき人です」


「はい! ——私も行きます」


 フィーネが帳簿とメモ帳を抱えて立ち上がった。猫の木彫りがポケットから半分はみ出しているが、本人は気づいていない。


 ——訪問の結果、三世帯とも登録が完了した。おばあさんはフィーネの顔を見て「あら、先代のお嬢さん。大きくなったねえ」と涙ぐんだ。子連れの家庭は、フィーネが子供と遊んでいる間に俺が聞き取りを済ませた。「お上には関わりたくない」家は、一時間かけて説得した。最後に折れたのは、フィーネが「あなたの名前を、私に教えてください」と言ったからだ。


 結果は、驚くべきものだった。


「ナカムラさん。この領地、人口が思ったより多いです」


 フィーネが台帳の集計結果を持ってきた。


「先代の記録では人口五千人とされていましたが、実際に聞き取りをしたら——五千六百人います」


「六百人も未登録?」


「はい。レイガスさんの時代に流入した人が多いようです。ダンジョン攻略の仕事を求めて来たけど、チート転生者が全部一人でやってしまうので仕事がなく、でも帰る場所もなくて、居着いてしまった人たち」


「登録されていないから、行政サービスの対象外になっていたわけですね」


「はい……。この人たちにも税を課すべきでしょうか?」


「課税は必要ですが、まずは登録して、行政サービスの対象にすることが先です。噴水の水も、排水溝の恩恵も、登録された住民と同等に受けられるようにする」


「でも、六百人分の費用は——」


「税収が増えます。未登録住民を把握すれば、正規の課税ベースが広がる。財政は改善するはずです」


 フィーネが台帳を見つめた。


「……チートで解決できなかったことが、台帳一冊で見えてくるんですね」


「行政の基本です。把握しなければ、対処できない。——前世の上司の口癖でした」

台帳作り。五千人の名前を、一人ずつ聞く。

フィーネの声は最初震えていたが、「お名前を教えてください」を繰り返すうちに、

住民の表情が変わっていく。


領主が自ら名前を聞く。それ自体が、信頼関係の第一歩。


▶ 次話「二人だけの夕食」——執務室での二人きりの晩餐。

 パンの切り方が領土紛争、鼻にカブ。……でも温かかった。


台帳に名前を記録するように、お気に入り登録で作者を記録してください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ