第4話 最優先は、水だ
赴任四日目。
倉庫の棚卸しを始めた。
扉を開けた瞬間、フィーネが息を呑んだ。
中は予想以上にカオスだった。
レイガスがダンジョンから持ち帰った魔物の素材、武器、防具、宝石——が、床に山積みになっている。何の分類もされていない。その隙間に、魔動灯の交換用光魔晶や、浄水用のルーン石が埋もれていた。
壁には聖剣で「レイガス参上」と刻まれている。
(小学生か)
「フィーネ様、紙と筆をお願いします」
「は、はい!」
二人で倉庫の中身を一つずつ取り出し、数えていった。
魔物の牙——十四本。
竜鱗の破片——七枚。
銀の杯——三つ(たぶんダンジョンの宝物庫から持ってきたもの)。
光魔晶——十二個。
ルーン石——六個。
正体不明の球体——一つ(光っている。何かわからない。触らない)。
フィーネが球体に手を伸ばした。
「触らないでください」
「えっ、でも光っててきれい——」
「『光っててきれい』という理由で触って、爆発したらどうします」
「……ば、爆発。はい、やめます」
フィーネは名残惜しそうに球体を見つめていた。指先が空中でうずうずしている。
「気になるんですね」
「き、気になりません! 全然!」
視線がずっと球体を追っている。全然気になっていない人の目の動きではない。
(十三歳の好奇心は、危機管理より強い。少しずつ教える必要がある)
革袋に入った銀貨——約百五十枚。レイガスがダンジョンで拾ったまま放置していたらしい。
(現金がある。——これで日当が払える)
猫の木彫りの置物——一つ。
「これは何でしょう」
フィーネが木彫りの猫を拾い上げた。雑な作りだが、レイガスの古いサインが彫ってある。
「ダンジョンのレアドロップでもないでしょうし……自作ですかね」
「レイガスさん、こんなものも作ってたんですね。……ちょっとかわいいです」
(剣聖が、暗い倉庫で一人、猫の木彫りを彫っていたのか。——それは、かわいいというより寂しいだろ)
フィーネが猫の置物を大事そうに自分のポケットにしまった。——棚卸しの趣旨から外れているが、指摘しないでおく。
フィーネは、棚卸しの途中でも時々、正体不明の球体のほうをちらちら見ていた。「触らない」と言われたのはわかっているが、好奇心が勝ちそうな顔だ。
「フィーネ様。見てますよ」
「み、見てません!」
「ナカムラさん! 光魔晶、こんなにあります!」
フィーネが両手に光魔晶を抱えて振り返った。砂埃で顔が汚れているが、目が輝いている。
「ルーン噴水に必要なのは三個です。今回分を除いても、三回分の交換予備がある」
「えぇ!? ここにあったんですか!?」
「管理されていなかっただけです。記録がなかったから、誰も知らなかった」
(在庫管理。前世の上下水道課で毎年やっていた地味な作業が、ここでは宝探しになる)
「この武器や素材も、売れば領地の財源になります。——壁の落書きは消しておきましょう」
「あ、はい……」
フィーネが恐る恐る聖剣の傷跡に手を触れた。
「……レイガスさんは、すごい人でした。でも、こういう人だったんですね」
「力がある人は、往々にして記録を残しません。自分の頭だけで回せてしまうから」
フィーネが光魔晶を三個持って、噴水の前に立った。真剣な顔だ。光魔晶を一つずつ丁寧に拭いている。
「フィーネ様。拭かなくても大丈夫です」
「でも、大事なものだから、きれいにしてから——」
(……その心がけは、悪くない)
「最優先は水です。人間は飯がなくても数日は生きられますが、きれいな水がなければ三日で疫病が広がる。ルーン噴水を直します」
「水が、一番大事なんですね」
「どんな制度も、どんな行政も、水がなければ始まりません。前世でも、上下水道は行政の中で最も基本的なインフラでした」
フィーネがメモ帳に「みず=いちばんだいじ」と書いた。——その下に、「みずがないと、なにもはじまらない」。
(自分の言葉で言い換えている。——教わったことをそのまま書くのではなく、自分の理解で書き直す。これは、本当の学びだ)
◇ ◇ ◇
噴水の修繕自体は簡単だった。
光魔晶を所定の位置にはめるだけ。マニュアルが噴水本体に刻印で彫ってあった。
(マニュアルを刻印で残した先代の技師は有能だ。口頭伝承しか残さなかったチート転生者との差が歴然としている)
ごぼごぼ、と水が流れ始めた。
緑色の藻が少しずつ押し流され、澄んだ水が広場に満ちていく。
フィーネが、水面を見つめて、動かなかった。赤毛が水しぶきで光っている。琥珀色の瞳に、噴水の水が映っていた。
「……父が生きていた頃の噴水を、思い出しました」
小さな声だった。
「水だ!」
最初に気づいたのは、汚水で遊んでいた子供だった。
噴水に駆け寄り、透明な水に手を突っ込んだ。
「おかあさん! お水がきれい!」
声につられて、住民たちが集まってきた。
おそるおそる水を手に取り、口に含み——
「本当だ。浄水が戻ってる」
「二年ぶりだ……!」
歓声が上がった。
住民たちが噴水を囲み、きれいな水を汲み上げている。
汚水で遊んでいた子供が、両手で水を掬ってフィーネのところに持ってきた。
「りょうしゅさま、おみず!」
小さな手の隙間から、水がほとんどこぼれている。でも、子供は得意げに笑っていた。
フィーネがしゃがみ込んで、残り少しの水を受け取った。
「……ありがとう」
その声が震えていた。
フィーネが俺を見た。
「ナカムラさん……すごいです。魔法も使わずに」
「魔法じゃありません。棚卸しです」
「え?」
「倉庫に部品があったのに、誰もそれを知らなかっただけです。記録がなかったから。——これが、台帳を作る意味です。フィーネ様」
「はい」
「フィーネ様。今、住民が集まっています。——このまま住民集会を開けますか」
フィーネの顔が強張った。
「い、今ですか!?」
「水が出た直後です。住民の気持ちが前を向いている。この瞬間を逃したら、次にこんなチャンスが来るのはいつかわかりません」
フィーネが唇を結んだ。メモ帳を握りしめた。
手が震えている。ポケットの猫の木彫りを、無意識に握っていた。
「……ナカムラさん。何を話せばいいですか」
「あなたの言葉で、あなたが思ったことを。——それだけで十分です」
フィーネが小さく頷いた。
「わかりました。——やります」
倉庫の棚卸し。カオスの山から光魔晶、ルーン石、銀貨、正体不明の光る球体が出てきた。
フィーネは光る球体に手を伸ばしました。
「光っててきれい」——「爆発したらどうします」で引っ込めました。
噴水が直り、二年ぶりにきれいな水が出た。
「魔法じゃありません。棚卸しです」——管理されていなかっただけ。
▶ 次話「排水溝の三日間」——ヘドロと格闘する三日間。
フィーネの差し入れスープに、人参が丸ごと入っています。
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