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 ***



 目の前に並んだ果物や料理の数々を前に、アンナはごくりと喉を鳴らした。


「どうした、食わんのか」

「いや……その」

「腹が減っていると思っていたが? 気のせいか?」

「空いてはいるんだけど……」


 あの後アンナは回廊沿いの部屋の一室に連れ込まれ、あれよあれよと食卓が整えられていくのを呆然と見ていたのである。


(王の身代わり……身代わりって言ったよね?)


 向かいの席に座るヨミの顔をちらっと見やると、何だ、と言わんばかりに見返される。

 怒涛の展開に頭がついていかなかった。


 豪華な部屋であった。

 磨き込まれた黒い床には緋色の絨毯が敷かれ、黒格子の衝立が緩やかに空間を仕切っている。さりげなく置かれた金の鏡台。椅子や小卓に至るまで、すべてに細かな彫刻が施されていて、煌びやかな光を放っていた。

 一度に十数人は席に着くことが出来そうな巨大な卓子の上には、こんもりと食べ物が盛られている。給仕はいない。先程ヨミと話していた青い衣の男がすべてを整え、そしてごゆっくり、と言葉と共に去ってしまったので、今は二人きりである。


「毒は入っていないぞ」


 くすっと笑われて、アンナは押し黙った。


(ええい、ままよ)


 そんな芝居でしか使ったことのない言葉を脳裏で呟いて、アンナは目の前の箸を手に取った。瑞々しい色をした桃の切れ端を口に含むと、香しい果汁が口いっぱいに広がる。砂に水がしみ込むように、体に力が入っていく。

 そのまましばらく黙々と食事をしながら、はたしてこの男の狙いは何だ、とアンナは考える。


 美しい男だ。


 漆黒の髪に、同じ色の瞳。衣も黒の黒ずくめ。だからかもしれないがその分肌の白さが目立っている。貧弱な印象は受けないし、先ほど身をもって体験した通り、体も相当に鍛えているのだろう。

 ちらりと見た長い指先は荒れてはおらず、しっとりと整っていた。つまり、自らの手を動かして物事に従事するような仕事をしていないということだ。


(ちぐはぐな人だな……)


 言葉遣いや、態度。そして手入れのされた指や白い肌。このことからヨミは体を使う仕事には従事していないはずだ。しかし、鍛え上げた体を持っている。趣味で武道をちょっと齧った、という程度ではないであろう。首に手刀を落とすだけで相手の体を痺れさせるなど、プロでもなければできるまい。


「その衣」

「……え?」


 不意に口を開いた男の声に、アンナは目を瞬かせる。


「これは、宮女服だろう。どうやってこんなものを手に入れたんだ」

「……えっと」

「礼宮、玉宮にも守衛の者がいただろうに。ここまで入って来られた理由も知りたい」


 咄嗟に身構えた。

 男の黒々とした目が、アンナの目を捉える。冷ややかな漆黒の瞳に抱きすくめられて、アンナはぞっとした。

 初めて見たときも感じたが、このヨミという男の圧力は凄まじい。今は何故か歓待されているような形だが、返答次第ではどうなるか分からない。

 ここは大人しく答えておくが吉である。


「宮女服は……買ったの」

「買った?」


 アンナが宮城に入るために最初にしたことは、やはり人間観察であった。宮城に出入りする者は、老若男女さまざまである。一人ひとりは違う顔立ちや声をしているが、属性でわければ大きく三つ。神籍の者、平籍の者、そして、宮城で働く者である。


「同じような服装を着て、同じような髪形をしている人は、その場所で働く人たちでしょう。それで服装は把握できたから」


 目抜き通りの市場には服を扱っている露店もある。そこでアンナはまず、着ていた白装束を売った。


「売った……!? 稀人の装束を、か?」

「うん。そこで取引をしたの」


 あれは、我ながらなかなか良い駆け引きだった、とアンナは思い出す。



 目抜き通りの隅にひっそりと出ていた露店に目をつけたのは、その店のアンダーグラウンドな香りを嗅ぎつけたからである。

 目抜き通りの露店は、どれもみな煌びやかである。天幕に飾り紐を垂らしたり、店の前に旗を立て、品物を宣伝したり、など。とにかく主張が激しい。そんな中で、宣伝もせずにひっそりと開いている店は一種異様である。

 見れば、服を扱っているらしい。古着のようだが、アンナはその中に光明を見た。


「すみません」


 声を掛ければ、露店の女に胡散臭そうに見上げられる。


「……なんだい、お嬢ちゃん。ここにはあんたの望むような綺麗なおべべはないよ」


 その女の目つきを見て、アンナは自分の直感が正しかったことを自覚する。

 一瞬で値踏みされるような視線。そして目の前の客に本当に購入意思があるかを確かめるような言動。間違いない、この露店は、生前に散々迷惑を被った、所謂転売屋だ。


「いえ。綺麗な服はいらないの。あの、この衣……」


 そう言ってアンナが指さしたのは、青の衣である。


「これ、宮城の官吏の衣よね。本物なの?」

「……さあね」


 女の目に警戒が混じった。ここからが勝負時である。


「実は、買い取ってもらいたいものがあるの」


 アンナは周囲を確かめて、ひそひそと女に囁く。手に持っていた白い装束を見ると、女の目の色が変わった。


「あんた、これ、稀人の」

「しっ!」


 人差し指を唇へすっと当てるようにすると、面白いように女が黙った。


(行ける!)


 交渉の余地があることを知り、アンナは心の中でにやりと笑う。


「あなたも知ってるかもしれないけれど。昨日稀人が久しぶりに冥界に入ってきたでしょう?」

「……ああ、噂になってるからね」

「その稀人を今うちで保護しているの。これは、その稀人からもらった装束よ」


 ごくり、と女の喉が鳴るのが聞こえた。稀人は稀少であるということは、その装束も稀少。この手の人たちが目の色を変えるということは、この装束にも価値があるということに違いない。


「いくらで買える?」

「いくらでも」


 女の目が真剣になったのを見て、アンナはぐっと心の中でガッツポーズを取った。


「それじゃ、わがままを言いたいのだけれど。あなたの売り物の中に宮城の宮女服はある? それと交換はどう?」

「勿論。でもそれじゃああんたの取り分が少ない」

「では、足りない分は換金で」

「いいだろう」


 こうして手に入れた宮女服と銭を持って、別の露店に行き、化粧品と小刀を入手した、というわけである。



 男の顔が驚きに染まるのを、アンナは興味深く眺めた。


(そういう顔もできるんだ……)


 先程までの冷たく厳しい表情からは想像もできないほど人間味に溢れている顔に、アンナはちょっと笑ってしまいそうになる。


「宮女服や官吏服が、外で売られていた、と」

「うん。あったよ。何着も」


 そう言うと、ヨミは眉に皺を寄せた。


「それは、即刻取り締まる必要があるな……」


 この言動からすると、やはりこの男は相当地位が高い者のようである。


「しかし、宮女服を手に入れたことまでは分かったが。それで、守衛はどうやってかい潜ったんだ?」


 再び問いかけたヨミに、アンナは口を開く。


「……普通に歩いていただけだよ」

「普通に、とは」


 こうなれば開き直りだ。アンナは腹を括った。


「ええとね。人って案外、盲目なんだよね」


 先を促すようなヨミの視線を受けて、アンナは口を開く。


「警備をしている人たちって、つまり『違和感』を探しに行ってるんだと思うのよ。様子が変だ、おかしい。だから警戒するし、変な行動をしていたらすぐにつかまっちゃう。けどね、『変じゃない』人には無頓着なわけ」


 アンナは生前、子役仲間とのやり取りを思い出す。

 人気のテーマパークに行くとすぐにバレちゃうんだよね、と言っていた彼女らの写真を見たときは、わざとか? と思ったものだ。

 帽子を目深にかぶり、わざと眼鏡をする。マスクをして口元を隠して変装をしているのだとのたまう彼女らに、あんたらはそれでも役者か、と突っ込みたくなった。

 その場の空気にそぐわない恰好をしていれば、人はおのずとその者を目で追ってしまうものだ。


「つまり、宮女の格好をしていて、宮女の振る舞いを忘れなければそうそうバレることはないって踏んだのよ」


 そう説明しても、ヨミは納得がいかないようであった。箸で料理を綺麗に取り分けながら、ヨミは言葉を重ねる。


「理屈は分かるが、分からない。俺も役目で礼宮や玉宮にはよく行くが、どこで働いている宮女か、というのはなんとなく分かるものだ」

「そりゃそうよ。彼女たち、きちんと使い分けているもの」


 化粧の仕方から髪形、服の着こなしや手入れの仕方。所作に至るひとつひとつまで、人はみな何かしらの枠に自分をはめ込んで過ごしている。だから、同じ服を着ていても所属グループが違う、ということはなんとなく分かるものだ。

 例のテーマパークの件で言えば、帽子、眼鏡、マスクをしていること自体が悪いわけではない。彼女らの服装が流行の最先端を押さえていたこと、着こなしが洗練されすぎていたことの方が問題である。それらの要素にあからさまな変装が組み合わさって、普通ではない、と判断されてしまうに至っている。

 周りと同じような服を着ていても、その所作や着こなし、化粧で目立ってしまっては意味がないのだ。


「礼宮の宮女は、化粧が質素なの。目元はいじりすぎず、眉を引くだけね。逆に、玉宮は派手。目にも唇にも紅を引くし、鼻筋に光を入れて高く見せようとしている。奥宮は中間くらいかな。だから、守衛の前を通る前にちょいちょいっと化粧を直して、それで普通に歩いて入ってきたってわけ」

「ふむ」


 ヨミは唇の端に笑みを刻んだ。


「話を聞けば、聞くほど、益々お前が適任だな」

「あのさ……さっきの事なんだけど」


 アンナは唇を舐めた。


「王の身代わりってどういうことなの?」


 アンナの目的は、王に会うことである。王に会って生き返らせてもらわなければならないのに、その当の本人の身代わりとは、どういう了見だ。

 ヨミは黙ってしまった。そのまま箸を使い、綺麗な所作で口元まで運ぶと、音も立てずに咀嚼する。


(綺麗な食べ方だな……)


 癖がない。整った食べ方をする男。アンナの観察眼をもってしても、この男がどういう役目なのかが掴めない。


「腹はどうだ?」

「え?」

「膨れたか」

「あ、うん……おかげさまで」


 本音を言うと、もっと食べられはする。しかし、この先の身の振り方を決めねばならない体である。場合によってはこの宮から逃げ出さなければならないことも考えると、腹八分目に留めておいた方がいい。

 肯定したアンナに満足げに頷くと、ヨミは箸を置き、すっと席を立った。


「では、移動しよう。詳細は道々話す」



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