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 冥界の宮城は目抜き通りの最奥にある。


 黒々とした門を抜けると深紅に塗られた『礼宮』。儀礼祭典が行われる場所で、神籍から平籍まであらゆる人が訪れることができる場所である。

 その次の『玉宮』は政に使われる。ここに入れるのは一部の神籍と、政に関わる官吏、その他貴賓として呼ばれた者たちだけである。中央には玉座が据えられ、王への謁見が行われる場所であった。

 その左右に伸びた『生魂殿』、『還魂殿』では冥界の中枢を担う官吏たちが活躍する政治の場である。神籍から選りすぐりの者が選抜され、日々の政務に勤しんでいるという。

 そして玉宮の奥、『奥宮』はいわゆる後宮である。王の生活の基盤の場所であり、王族が住む私的空間となる。


 そして、この広大な宮の全てをひっくるめて『冥府の宮』と呼ぶ。


 アンナが短い時間で得た宮の情報は、ここまでであった。細かく見るともっと沢山の宮やら殿やらがあるようだが、主要の場所は抑えられたと言ってもいい。


(中華系ドラマとか、ちゃんと見といてよかったなあ)


 おかげでなんとなく理解できたが、何分宮は広い。予備知識がなければ正直詰んでいたと思う。

 そんなこんなで、アンナは今、宮女服を纏っている。しっかり化粧を施し、髪を結い上げ、周りと同じ服装をしてしまえば、アンナはごく自然にその場に溶け込むことができる。没個性の顔立ちが役に立った瞬間であった。


(多少の無茶はしたけど、うまくいってよかった)


 黒々と磨き込まれた奥宮の回廊を、当然のように歩く姿は誰にも見咎められることはない。奥宮に入る前にもすれ違った宮女と堂々と会釈をし、気づかれなかったこともある。アンナは自分の変装が的を射ていることにひそかな満足感を持っていた。

 ここまでは上手くいきすぎなほど上手くいった。あとは王をどうやって探すかだが、そうそう簡単に見つからないとアンナは思っている。そしてもうひとつの危機がアンナを襲っていた。


(お腹……すいた……)


 昨日、突然冥界に放りこまれてから何も口にしていない。そもそも死んだ後もお腹が空くとはどういうことか。消化器系を含む、内臓はちゃんと動いているのか。そんなことでも考えていないと、意識が持っていかれそうになる。

 空腹には慣れていた。撮影や舞台の本番では三食食べられないのが常である。食べられる時に食べ、その後に備える。そういう暮らし方をしていたから、多少の飢餓感には耐えられる。しかし、そろそろ限界に近いことも分かっていた。明らかに燃料不足で、体の中央からじわじわと使ってはいけない基礎体力が使われている気配がする。

 なんにしても突破口を見つけないと、よろしくない事態になりそうであった。

 礼宮、玉宮と違って、この奥宮にはほとんど人影はない。足音に注意しながら、アンナは歩を進めた。


「……とのことであるから、王を……ねばならぬ」


 聞こえてきた声に、アンナは耳をそばだてた。


(王!)


 確かに王、と聞こえた。心持ち歩く速度を緩め、声のする方へとじわじわと近づいていく。

 奥宮は、中央に広々とした庭園を抱えている。その縁を黒々とした回廊で囲み、庭園を取り囲むようにいくつかの部屋が点在していた。

 部屋の入り口には扉が設けられているが、そのほとんどが開いている。代わりに幾重にも布が垂れ下がり、中がすぐ見えないように設えているようであった。

 その点在する一つの部屋から押し殺したような声が聞こえるのである。アンナは壁に張り付くようにして部屋の中の声に聞き耳を立てる。

 どうやら男が二人。緊迫感のある声色であることから、この話はいち宮女が聞いてはいけない種類のものだと判断する。


「……ヨミさま、それは……かと」

(ヨミ……!)


 見知った名前に、アンナはごくりと唾を飲み込んだ。


(ヨミ、って、あの門のところであった男だよね)


 昨日も勝手に名前を借り、おかげですんでのところで助かった。あの不埒者の怯え具合から、相当偉い人だということは想像していたのだが、奥宮にいるということはやはりかなり地位が高いと見て間違いない。


「だが……がない。皇后は……っている」

「はい」

「王の……を立てなければ」


 間違いない。ヨミ、という男は王と繋がっている。


「……承りました。では、私はこれで」

(やばっ)


 慌てて壁から身を放し、咄嗟に柱の陰に隠れる。こつこつと足音を立てて出て行ったのは青の衣を着た男である。


(ヨミ……じゃない。ってことは、部屋にはヨミ……一人)


 やるなら、今しかない。アンナは覚悟を決めた。

 息を殺した。衣擦れの音が聞こえて、見覚えのある漆黒の衣が入り口の布をたくし上げる。


(今だ!)


 そのまま回廊を歩き出そうとした後ろ姿に、アンナは素早く迫った。


「動くな!」


 背後から首に小刀を突き付けて、鋭く、かつ密やかに声を挙げる。

 ヨミの動きがぴたりと止まった。ここからが正念場だ。アンナはすっと息を吸う。


「動くと、切る」

「……ほう」


 アンナに背後を取られたまま、ヨミが呟く。


「随分と威勢のいい賊がいたものだ」


 その声に焦りの色や、恐怖の色はない。そのことに焦りながらもアンナは言葉を重ねた。


「私の言うことを聞いてくれたら、何もしない」

「なるほどな。で、賊は何をお望みなのだ?」

「……生き返らせて」


 小刀を握り締める手に力を籠めて、アンナは目の前の男を睨んだ。

 弱気を見せたら負けだ。緊張で喉がひりひりする。もう止まっているはずの心臓が破裂しそうだ。


(落ち着いて……殺意を込めて、声は低く……端的に)


 視界がクリアになっていく。何度も何度も経験した舞台の上での高揚感。その高揚感に身を委ねて、アンナは男に低く囁いた。


「王に会わせて。そして、私を生き返らせなさい……!」


 次の瞬間、ヨミはひらりと舞うように体を回転させた。ぱん、と音を立て、手首を強く打たれる。


(うそ!)


 小刀が回廊に落ちた。


(やば……い……!)


 逃げねば、と思ったときにはもう遅かった。ヨミの顔がアンナの眼前に迫り、とん、と首の後ろを叩かれる。

 体から力が抜け、アンナはへなへなと回廊に崩れ落ちた。


(なにこれ……うそでしょ)


 痛みはない。軽く叩かれただけなのに体に力が入らない。


「昨日の稀人か。まあよくここまで入り込めたものだ」


 しくった、とアンナは歯噛みした。このヨミという男はアンナの付け焼刃な脅しになど屈しない。弱みを握れるような相手ではないのだ。


「……ちょうどいいな」


 そのまま体を起こされ、膝裏を抱え上げられ横抱きにされる。


「ちょっと……!」


 ヨミはどこ吹く風である。人ひとり、成人女性を抱えているにもかかわらず、足元がふらつくこともない。アンナは自分の体を支える男の腕が、しっかり鍛えられていることに気づいた。


(つくづく、しくった……!)

「大森アンナ」


 突然本名を呼ばれ、アンナはびくりと体を震わせる。


「な、なんで名前……!」

「久方ぶりの稀人の名前くらい、覚えておけないでどうする」


 ヨミの腕の中で、アンナはつくづく自分の認識の甘さを知る。

 昨日たった一度きり、会ったばかりの相手の名前を覚えているのだ、この男は。

 立場が高いにも関わらず、人の名前をしっかり覚えられる者は、切れ者である。アンナの敵う相手ではない。


「アンナ。お前に頼みたいことがある」

「な、なに」

「冥界に入り、昨日の今日でこの奥宮まで入り込んできたという事実。生き返りたいというその執念。なるほどあっぱれなものだ。だから、俺とお前とで取引をしないか」

「は……?」


 目を白黒させるアンナの顔を覗き見て、ヨミは唇の端を持ち上げて笑った。



「お前、王の身代わりになれ」



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