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翌日。
澄み渡るような青空が広がっていた。
アンナはカノの計らいで、心づくしの衣を纏っていた。金糸銀糸が縫い込まれた、紅の衣。髪を結い上げ、冠を被り、しっかりと化粧を施した顔はいつにもまして美しい。
「こんなに飾り立てなくてもいいのに」
アンナがそう言うと、カノは首を左右に振った。先ほどから泣きっぱなしのカノの目元は赤く腫れ、口はへの字に曲がっている。
「だめです! アンナさまはお美しいのですから、私はそのアンナさまを美しい姿で現世に返したいんです!」
「でも、生き返ったってこの衣までは持ち込めないんだよ?」
「それは気持ちの問題です!」
そう言うと、カノは今度こそ突っ伏して泣いてしまう。わんわんと泣くカノの肩を、アンナはそっと抱き留めた。
この官女に、どれだけお世話になっただろう。思わず涙が出そうになり、アンナはぐっとそれを飲みこんだ。今泣いたら、この官女が丁寧に施してくれた化粧がすべて流れてしまう。それはアンナの本意ではない。
「カノ、そろそろ行こう。ちゃんと見送ってほしいの」
「うう……分かりました」
祭宮の石畳の広間には、アンナが冥界で知り合い、深く関わった多数の人々が集まっていた。ミタマ、ウガ、ザナもいる。そしてオウミも当然という顔をしてその場にいた。
抜けるような青空の元、一同は神妙な顔でその場に佇んでいる。
「それでは、今から還魂の儀を始める」
ヨミは滔々と言葉を紡ぐ。その手には勾玉が握られていた。ヨミの瞳がアンナの視線と混じる。本当にいいのか、というような視線に、アンナは頷いた。
もはや迷うまい。自分は生き返り、本来の場所で生を全うするのだ。
「この稀人を元の場所に」
その言葉と共に、勾玉は淡い緑色の光を放つ。光は次第に強まっていき、やがて眼が開けられないほどの光が辺りを包み込んだ。
アンナが目を開けると、石畳の中央に渦巻く光の柱が立っていた。石畳から、天に抜けるその光の柱は眩く輝き、アンナを祝福しているようにも見える。
(この光の柱が……現世への道なんだ……)
ついに戻れる。アンナはその事実に武者震いする。
大丈夫だ。怖くない。アンナはその場に集まった一人ひとりの顔をじっくりと眺めた。死した後も、こうして次の生がある。冥界はきっと、ヨミやオウミの力で良き方向へと作り変えられることだろう。
「さあ、アンナ」
ヨミが促す。アンナは頷き、一歩足を踏み出した。
「アンナさま。ありがとうございました」
ミタマの涙ぐむ声が聞こえる。
「死んだら、冥府でお待ちしています」
「また遊びに来てくれるのを、ずっと待っているわ」
ウガと、ザナの声が聞こえる。
「じゃあね、アンナ。ちゃんと長生きしなよ。なんなら一生こっちにこなくてもいいからね」
「アンナさま、私、ずっと待ってますから!」
オウミとカノの言葉に、アンナはくすりと笑いを零した。正反対な言葉だが、どちらもアンナのことを思っているのだとよくわかる。悪い気はしなかった。
心に寄せては返す波のように、生き返る恐怖とこの場への寂寥がさざめいている。拳を握りしめて、アンナはしっかりと前を向く。
(私は、生き返る! もう一回しっかり自分と向き合わないと、死んでも死にきれない!)
踏み出した足が、光の柱に吸い込まれた。
「アンナ」
光の柱に身をあずけ、くるりとアンナはふり返る。そのアンナの目に移る、黒い髪と黒い衣。自分の名を呼ぶ男は、優しい顔をしていた。
「ヨミ……」
光がアンナを包み込む。眩しい光がアンナの周りをくるくると回り、アンナは目を瞬かせた。もう少し、もう少しだけヨミを見ていたい。
「ヨミ、私が死ぬまでに、ちゃんと冥界を整えておいてね!」
アンナは叫んだ。光の中でうっすらとヨミが笑った顔が見える。
「ああ。死んだら、また会おう」
「約束!」
「ああ、約束だ」
思わず伸ばした手の指先が、光に溶ける。まるで体の中の物がゆっくりと水に溶けだしていくような感覚。アンナは自分の意識が薄れていくのを感じていた。
(待ってて、ヨミ)
光に融合しながら、アンナは心の底から笑う。もはや目も見えない。光の一部となって、アンナは緩やかに天へと翔けていく。
(私、ちゃんと生きて、ちゃんと死ぬ。だから、それまで待っててね!)
***
丁度ひと月前、新聞の一面を賑わせた大森アンナが奇跡的に生き返ったと聞き、マスコミ各所は沸きに沸いた。
あの有名な親を持つ、子役のアンナの自殺報道のときは飛ぶように新聞や雑誌が売れ、だいぶ儲けさせてもらったものである。そのアンナが生き返った。しかも記憶もはっきりとしているという。
飛びつかないわけがなかった。
彼らはアンナの退院を待ち、病院に押し掛けた。その一挙手一投足を面白おかしく書き、撮影しようと待ちかまえていた彼らは、その予想を大いに裏切られることとなる。
マスコミの前に現れたアンナは、一切動じなかった。目に静かな光を湛え、黙ったまま頭を下げた。そのまままっすぐ前を向き、ゆっくりとした足取りで病院を出る。その威風堂々たる姿にマイクを向ける者は誰もいなかった。
「あの時のアンナさんは、まるで生まれ変わったかのような瞳をしていました」
そう後に彼らは語った。
そして大森アンナは自らの力で彼女自身の悪い噂を払拭していくことになるのだが、それはまた別の物語。
彼女の物語は、ここから始まる。
これにて完結です。ありがとうございました!




