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 ***



 冥界は三つの階級に分かれている。


 冥界の頂点、冥府の宮と呼ばれる宮に住まう王族。彼らは文字通り冥界の支配者である。

 その王族の下で働く神籍。現世、つまり生前に善い行いをした亡者が振り分けられ、豊かな暮らしを約束されているという。

 そして、平籍。神籍に振り分けられなかった亡者が行き着く階級で、冥界の一般的な働き手を担っている。


「とはいっても、まあ、下働きが多いんだけどね」


 そう言って笑ったのはオウミ、と名乗った平籍の男だ。



 あの後アンナは男たちにずるずると引きずられ、黒い門の下を潜った。その先、ヨミが消えていった方角には、もう一つの門。


「ねえ! 私ちゃんと歩けるから! 引きずるのやめてよ!」

「んなこと言っても、お前暴れるだろうが」

「そりゃそうだよ! 死にたくないもん!」

「だからこうやって引きずってんだろ! ったく、ほんとにこいつ活きがいいな……」


 そんなやりとりをしながら、もう一つの門の下まで連行されたのである。


「そら、冥界の入り口だ」


 見上げても門の先が見えないほどの巨大な門。つやつやと磨き込まれたかのような黒い門には立派な門扉がついていた。金属の釦で目打ちしてあり、厳めしくも重々しい雰囲気が漂っている。その門扉から、ぐるりと回りを囲むように石造りの壁が延びていた。


「じゃ、頑張れよ!」


 そんな男たちの言葉と共に、門扉がぎいっと開いた。その隙間からアンナはぺっと押し出される。


「ちょ、ちょっと!」

「お前くらいの度胸があれば大丈夫だ! じゃあな!」


 駈け寄る隙もなく、無情にも門扉が閉まった。慌てて扉を引いてもびくともしない。叩いても、わめいても一向に開かない門扉に、アンナはずるずるとくずれ落ちた。


「頑張るったって……」


 大暴れしたせいか、息が荒い。発声練習もせずに大声を出したものだから心なしか喉もひりひりしていた。


(どうすりゃいいのよ……)


 アンナはくるりと後ろを振り返り、目を丸くした。


 まっすぐに伸びた石畳の目抜き通り。その左右には市が並び、色鮮やかな果物や野菜、日用品が並べられている。走り回る子どもがいた。ゆっくり歩く老人がいた。 道端で立ち止まって話をしている女性たち、道端に座り込み、賭け事に興じている男たち。どこかに出かけるのであろう、手をつないだ子供連れの家族の姿も見える。


(これが、冥界……? 死後の世界なの?)


 いたって普通の生活が行われているように見える。いや、アンナの知る普通ではない。建物は赤や黒、金が目立つ中華風で、服装も神話の世界に出てきそうなゆるっとした衣である。それでも、そこにいる人たちはみな、生き生きと生活をしているように見えた。


「おや」


 呆然と見入っていたアンナに、声を掛けてきた者がいる。


「珍しい、稀人なんて何年ぶりだろう」


 その者は、自らをオウミ、と名乗った。



 稀人とは、まだ寿命が残っているのに冥界に来てしまった人のことを指すのだという。オウミの後ろにくっついて歩きながら、アンナはなるほどと頷いた。


「僕みたいな平籍や、神籍の人は一度冥界で生まれ変わるんだ」

「生まれ変わる?」

「そう」


 この男、オウミは稀人の保護も行っているらしい。右も左も分からないアンナである。差し伸ばされた手を取るのに否はない。


(まあ……悪い人ではないだろうし)


 アンナは目の前を歩く男をじっくりと観察した。短く切られた黒髪に、浅葱色の衣。今は後ろ姿だから見えないが、先ほど見上げた時の瞳は薄い灰色であった。物柔らかな物言いは、学校の教師やカウンセラーを思い起こさせる。

 アンナは人の観察が得意であった。だからこそ、このオウミと名乗る男が善人であると判断したものの。


(とはいえ、用心)


 ほいほいついていって、悪事に巻きこまれた例をそれこそ生前――アンナはまだ自分が死んだとは認めていないのだが――にはよく見かけたものだ。

 とりあえずついておいで、との言葉に従いながら警戒心だけは持っておこうと心に誓ったのである。

 オウミは目抜き通りの中央を堂々と歩きながら、淡々と冥界の知識について語り出す。


「ここに来たときに、大きい門が二つあったでしょう」

「はい」

「初めに潜った黒い門の下にいた男たちは、門番だ。そこで亡者を二つに分ける。曰く、神籍に値する者と、それ以外の者と」


 アンナは脳裏に自分を引きずっていた男を思い浮かべた。確かに、あの人たちは列になっていた白装束の人たちを二つに分けていたように思う。


「で、それぞれ分かれた先で、冥界に転生するように手続きを行うんだ」

「転生」

「そう。新しい人生を冥界で送るために、赤子からやり直すんだよ」

「へえ……」


 そうか、とアンナは頷く。オウミの灰色の目。特徴的な目の色だ。おおよそアンナのような純粋な日本人にはない瞳の色合いである。しかし、それも転生しているからだと思えばまあ、納得はいく。


「ただ、稀人は違う。君のような寿命が残っている人たちは、転生せずに冥界に送り込まれるんだ。ここで暮らしてもらって、この地で死を迎えたときに、改めて神籍か平籍かに振り分けられることになる」

「でも、なんで私が稀人だってすぐに分かったんです?」

「そりゃあね、服が違うから」


 そう言って、オウミは自分の服を摘まんで見せた。アンナはぽんと手を打った。


「そっか」


 色鮮やかな冥界で、アンナの白装束は目立っていた。白い装束自体はそこかしこで着ている人はいるものの、衣の根本的な作りが違うのである。アンナの着ている装束は、生前よく目にした浴衣に近い形をしている。しかし、冥界で主に使われているのはどちらかというと中華風だ。中学や高校の教科書に載っていた、奈良飛鳥時代の壁画に描かれている服装に近いものがある。

 稀人は珍しい、という話を裏付けるかのように、人々がちらちらとアンナを見ているのが分かる。流石に居心地の悪さを感じながらも、アンナは遅れまいとオウミの後を追った。


 目抜き通りから一本道を折れると、途端に道の様子が変わる。石畳なのはそのままだが、空気が少し澱んでいるように見えた。道も細い。人二人が並んで歩くので精いっぱいだ。両側には木造の家が立ち並び、塗装の禿げた赤や黒の色がもの寂しさを醸し出している。


(どこもそうだけど、繁華街の路地ってあんまりいい思いしないもんだよね)


 紙くずやほこりを避けながら歩くと、オウミはひとつの家の前で足を止めた。

 丁度路地の突き当りになっているその場所にあったのは、平屋造りの大きな御殿である。流石に古い。青い屋根は傾いではいるものの手入れはしっかりされているようで、塗りなおした浅葱色の瓦が目に眩しかった。


「さ、着いた」


 オウミの案内で、アンナは御殿の中に足を踏み入れる。入ってすぐは大きな広間。板張りの床は黒々と磨き上げられていて清潔だ。奥に三つの扉。複雑な文様が掘られた豪華な扉は、一つずつ色が違い、辛子色、青銅色、薄紅色に塗り分けられている。広間の、向かって左手側には土間、右手側にももうひとつ扉があった。

 オウミは靴のまま広間に上がった。うすうす気づいてはいたが、ここは日本の文化の常識範囲外である。薄紅の扉を開けると、中をアンナに示してみせる。


「この部屋で良ければ、今日から使うといい」


 部屋の中も整然としている。小さな寝台には真新しい敷布が敷かれ、その横には鏡台と椅子がちんまりと置かれていた。壁には格子がはめられた丸窓。寝台の反対側には造りつけの棚が設置されており、既に何枚か衣がかけられていた。


「着替えは、その棚の中のをご自由に。寝台も好きに使っていいよ」

「あのう」


 流石に訝しく思い、アンナは声を挙げた。


「さっきからすごく親切ですけど、なんでです? なんか……裏とかある?」


 アンナの勘では、このオウミと名乗る男は善人である。しかし、見ず知らずの、しかもただ稀人だというだけでここまで親切にするものなのだろうか。

 疑惑の目を向けられたことに気づいたのであろう、オウミはくすっと笑みを零す。


「ここに来る稀人はみんなそういう反応をするね。現世はそんなに危険な国なのかい?」

「ああ……いえ、そうですね。とりあえず、無料ただで親切にする見知らぬ人には気をつけろ、という心持ちではありました」


 オウミの話では、冥界に住む人は転生しているとのことである。生前どんなふうに生きていたかなど、きっと分からないし知らないのだろう。


「現世での常識と冥界では少し違うみたいだからね。まあ、そのあたりは僕を信じて欲しいとしか言えないんだけど。とりあえず裏はないし、稀人は保護されるものだ」

「はあ……」

「僕は少し街に出てくるから、ゆっくりしてて。戻ってきたら、今後の身の振り方とかを考えよう」


 柔らかい笑みを残して、オウミは部屋から退出する。ぱたん、と締められた扉の薄紅色が目に優しく映っていた。


(なんか……疲れたな)


 アンナはぽすっと寝台に腰かける。

 どうやら自分は死んだらしい。しかも寿命が残っているのに連れてこられてしまったらしい。


(絶対に生き返ってやる、とは言ったけど……)


 どうやって生き返ればいいのだ。諦めたくない。寿命が残っているなら絶対に生き返りたい。その気持ちには間違いないけれど、手段も何も分からない。

 そもそも、アンナが今ここでこうしているということは、生前――オウミは現世と言っていたが――の体とは切り離されてしまっているということになりはしないか。

 精神だけの状態でこの冥界とやらにいるのであれば、アンナの体はもう――……。


「あー! やめやめ!」


 ぞろりと這いよる暗い思考に流されそうになり、アンナはぼふっと寝台に倒れ込んだ。そのままごろりと横になって、ぼんやりと天井を見上げる。板張りの天井は黒く塗られ、てらてらと鈍く光っていた。


(やばい、泣きそう……)


 こみ上げてくる感情を抑えきれず、アンナはくっと喉を鳴らした。目をぎゅっと瞑ると、奥で赤や黄色の光が舞う。

 声を押さえてひとしきり泣くと、ふう、と意識が沈んでいく。自分でも思っている以上に疲労しているのだ。アンナはそのまま微睡みに身を任せる。

 このまま眠って、目を開けたら、自分の部屋であればいい。オーディションで疲れていて、それで夢とか見ちゃってたんだなって笑える自分であればいい。そう祈りながら、アンナはすっと眠りについた。



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