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玉宮には、数多の神籍がひしめき合っていた。その玉宮の先の黒大門も開かれ、その先には平籍が詰めかけている。
オウミはやはり、平籍に人気があるのであろう。アンナの即位のときとは違い、人々の熱気がここまで伝わってくる。
(まずは、私の退位の儀)
アンナは壇上に足を乗せた。一歩一歩、踏みしめるように歩く。人々の視線が体中に纏わりつくようであった。
そのまま玉座の前まで進み出ると、その前で膝を折る。
ごくり、と誰かが喉をならした音が聞こえた。
アンナは息を吸い、腹の底から声を出す。
「わたくし、テラはここに退位を宣言する」
しん、と人びとが静まりかえる。その静寂に向かって、アンナは滔々と言葉を落とした。
「わたくしテラは、この冥界の稀人である。故あって仮に王位に就いていたところであった。此度、退位をここに表し、代わりに栄えある王の座を王族に返還するものとする」
両腕を挙げ、掌で冠を持ち上げる。その冠を玉座の前に置き、アンナは立ち上がって人びとを見つめた。
「これにてわたくしは王位から退いたものとする。次期王、オウミ……前へ」
その声に従って、オウミが壇上へ上る。流石に今日は取り巻きはいない。艶やかな緑色の衣は、平籍のときの印象のままだ。ただし、圧倒的に衣の質が違う。襟は抜き、神籍と同じ着こなしでゆったりと足を運ぶ。その堂々とした姿は敵ながらあっぱれである。
オウミは首から勾玉を下げていた。その輝きに、アンナは心の中で安堵の息を吐く。
やはり、この場で勅令を下すつもりなのだ。
オウミは規則通り、アンナの隣に並んで立つと、真正面から人々を見つめた。その瞳に恐れはない。
(やるなら、今だ)
アンナは息を吸い、腹の底からもう一人の名を呼んだ。
「そして次期王、ヨミ、前へ!」
オウミがぎょっとした顔でアンナを振り仰ぐ。玉宮に集う神籍も混乱した様子で騒めいていた。
その騒めきを縫うように、一人の男が姿を現したのである。
黒一色の衣。黒い絹糸のような髪は結い上げ、銀色の挿し物で品よく止める。白い肌は輝きを増し、目元に引いた黒と赤の化粧が凛々しさを際立たせている。
それは一種独特の美しさであった。鍛えたあげた身体にそぐわない、白い肌。化粧を施した顔は一瞬女性のようにも見えるが、硬質な目の光に弱弱しさは感じさせない。この男のちぐはぐさを活かした、威風堂々たる姿である。
ヨミはことさら時間をかけてゆっくりと壇上へ上り、アンナを挟んでオウミと対になるように立つ。
アンナは心の中で大きく頷いた。やはり、ヨミは目立つ。こうして立っているだけで視線を釘づけにする力を持つ男だ。
これなら十分に勝算が持てる。アンナは再び前を向き、声を挙げた。
「勅令のことを皆も知っていると思う。ここにおわす次期王二人は、それぞれ違った信念をお持ちである。今この場でそれぞれの勅令を口に出し、勾玉の賛同を得たものを王に据えようと思う」
その言葉に、壇上にほど近い神籍の男が大音声で口を挟んだ。
「恐れながら申し上げます、テラさま。ヨミさまは神籍でございます。神籍の者は王族ではありません。ヨミさまには何の遺恨もございませんが、王族以外の者は王にはなれないのが冥界での不文律。オウミさまが王座に就かれるのが順当なのではありませんか!」
この口を挟んだ男、実はウガである。あらかじめ話を通し、然るべきときにこの話を出すように言い含めてあった。
(流石ウガ、タイミングばっちり!)
アンナは心の中でにやりと笑う。
「無論、ヨミは王族ではない。しかし、王族ではないものが王になってはならないという【規則】はどこにも存在していない。王を王たらしめるものは、王という名前や血筋ではない。勾玉に認められるほどの力を有している者が、王と呼ばれるだけのこと」
規則、という言葉をあえて出す。これはオウミへの対策だ。
「次期王二人は、わたくしのこの話に異論はあるか?」
「ありません、テラさま」
ヨミは即答する。オウミも迷ったようだが、頷いた。
「規則がないなら、仕方ないですね」
オウミは首から勾玉を外した。
「それでは今から二人には勅令として出す冥界の仕組みを、どのように整えていきたいかを話してもらう。まずはオウミ」
アンナの言葉に従って、オウミは一歩前へ出る。黒大門の後ろから、平籍たちの歓声が聞こえた。やはり、かなり人気があるようである。しかし、その実神籍からはひやりとした視線を浴びている。平籍と神籍の温度差に勝機があるとアンナは見ていた。
「僕は、この冥界をひっくり返します。今まであまりにも平籍が不遇でありました。その平籍を今の神籍と同等の位置に引き上げ、優遇されるような冥界であってほしい。それが僕の願いです」
オウミは言葉を選びながらそう口に乗せる。うまいやり方だ、とアンナは思った。平籍を今の神籍と同等に、そして神籍を冷遇される位置に落とすとは一言も言っていない。しかし言葉の内容をよく聞けば、立場が入れ替わるのだとしっかり明言している。
平籍の間にどよめきと歓声が広がっていく。見れば、神籍の中にも何人か、頷いている者がいる。オウミの話術がいかに上手であったかが分かる図だ。
アンナはヨミをちらりと見た。ヨミは冷静に前をしっかりと見つめている。この騒ぎに、動揺もしていなければ焦ってもいない。
ただ静かに、風の凪いだ夜のようにそこにいる。それがアンナを安心させた。
「それでは、ヨミ」
アンナの言葉に従って、ヨミは一歩前に出る。そのひと足だけで、目の前の人々の視線を一気に自分のものにしてしまっていた。
体格に恵まれている者の特権だ、とアンナは思う。ヨミは、自分の持つ人を惹きつける力をもう少し自覚した方がいい。
「俺が望むのは神籍や平籍、そして稀人、王族でさえなくした、平等な冥界を作ることだ」
ヨミはアンナの指示通り、目をまっすぐ前に向け、瞬きをせずに人びとの顔を見つめている。
「今の冥界は現世での行いを基準とし、現世での善し悪しで転生をするという仕組みになっている。しかし、現世での記憶がない以上、その仕組みは単なる差別に過ぎない。それを、この稀人テラは教えてくれた」
アンナはどきりとする。この口上はアンナと考えたものではない。思わず問いかけの視線を送ると、ヨミは問題ない、というようにちらりとこちらを一瞥した。
その表情から、アンナは理解する。彼は今、自らの心のままに話している。
「だから俺はその仕組み全てを取り払いたい。全ての者が自分の思うがままに、自分だけの力で冥界を生きることができる。自分の生き方を決めることができる、そんな冥界にしたいと思っている」
しん、と静まり返った人々の間から、ほう、とひとつの息が零れた。やがてその息はさざ波のように広がり、そして大きな波となって返ってくる。
神籍の中には、苦虫をかみつぶしたような顔をしている者もいる。だがしかし、ほとんどの観衆はヨミの意見に賛同したようである。それは平籍も同様であった。彼らは、ヨミのような立場のある人が、このような勅令を出すとは思っていなかったのであろう。オウミのときよりも熱狂的な歓声が壇上に木霊した。
そして、その歓声に反応するように勾玉が光る。淡い緑色の光を放ちながら、勾玉は宙に浮き、くるくると回って強烈な光を放った。
その光はゆっくりと収まると、勾玉はすとん、と地に落ちた。
誰の目から見ても、明らかであった。
勾玉は、ヨミを選んだのだ。
「ヨミさま!」
「ヨミさま、万歳!」
大歓声の中、ヨミは軽く膝を折り、群衆に向けて丁寧に拝した。
(よかった)
アンナはほっとした心持ちでヨミを見つめる。
(これで、安心して生き返ることができる……)
その時である。
目の端に、オウミの後姿が映った。さっと身を翻すように、オウミは玉宮を抜け小走りで駆けていく。
その背中に危険なものを感じて、思わずヨミを振り仰ぐ。ヨミも同じことを考えていたようである。アンナを見て、厳しい瞳のまま頷いた。
「それでは、これにて即位の儀を終了とする!」
アンナは慌てて宣言をすると、オウミの後を追う。急がなければ、なにやら嫌な予感がアンナの胸中を渦巻いていた。
アンナは考える。この状態になった時、オウミはいったい何を望むか。そして、何に執着していたか。
――僕はただ、お母さまに会いたいだけなんだ。
そうだ、そうに違いない。
オウミは母に……皇后ザナに会いに行ったのだ。




