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 その日の夜、控えめに部屋の入り口を叩く音でアンナはぽっかりと目を覚ました。

 待ち人来る、のようだ。もそもそと敷布から起き上がり、手燭をかざすと案の定、暗闇に溶け込むようにヨミが控えている。


「こんばんは」


 アンナの微笑みに、ヨミはむっつりとした顔をする。


「ミタマから伝言をもらった。……俺に何か、用があるとか」

「あ、よかった。やっぱりヨミ、ザナさまの御殿には顔を出しているんだね」


 アンナは敷布の上に胡坐をかくと、ヨミにちょいちょいと手招きをした。

 訝し気に近寄り、敷布の傍らに腰を下ろしたヨミに、アンナは用意の文を突き付ける。万が一盗まれたり、なくしたりしたら大変だということで、寝る前に敷布の下に隠しておいたのである。


「なんだ?」

「いいから。今読まなくてもいい。ナギさまの部屋にあったの」


 ヨミは目を丸くし、躊躇いつつも手を伸ばした。文を手に取り、懐におさめる。


「ねえヨミ、もしヨミがこの手紙を読んで、それでもまだ自分を押し殺しているようだったら、私、あなたのことを腑抜け野郎って呼ぶからね」

「なんだそれは」


 ヨミは眉を顰める。


「この手紙、ナギさまの部屋のどこにあったと思う?」


 アンナの問いに、ヨミは視線で問い返す。アンナは軽く微笑んで、敷布にぽすっと体を横たえた。


「ナギさまは、稀人から現世のことをたくさん聞いてたんだね。その聞き取りが書かれていたノートに、見つけてくださいって感じで挟んであった。多分、ヨミが見ると思ったんじゃないかな」

「なぜ、俺が……」

「だって、ヨミ、真面目だもん。だから自分が自殺したらきっと、たくさん調べて、原因を探すはずだって思ったんじゃないのかな」


 そう言うと、ヨミは黙ってうつむいてしまう。アンナは敷布をごろごろと転がって、ヨミの膝をぽんとたたいた。


「責めてるんじゃないよ」

「……」

「調べようって気が起きないくらい、悲しかったんだよね」


 ナギ王の部屋は、埃だらけであった。長い間そこに人が立ち入らなかったのであろう。つまり、ヨミも、ザナも、ナギの死の事実を暴こうとはしなかったということだ。

 ヨミにとって、ナギ王は父のような存在であったに違いない。


「でも、ちゃんと読んでほしい。そこに全部書いてあるから。それを読んで、考えが変わったら、退位の儀までに私に会いに来て」

「……分かった」

「用はこれだけ。ごめんね、呼びつけて。……おやすみ」


 そういうと、アンナは敷布に再度転がる。ヨミの立ち上が衣擦れの音が、耳に優しく届いた。


「アンナ」

「……何?」

「すまない」


 何に対する謝罪なのだろう。ヨミはぽつりと言葉を落とすと、そのまま部屋の外へ出て行ってしまう。

 アンナは寝返りを打った。これで、自分にできることはやった、つもりだ。あとはヨミがどう動くか。


(もしかしたら、考えが変わらないかもしれない)


 もしそうなったとしても、アンナは諦めるつもりはない。後悔しないようにやれることをやろう。生き返って、死んだあと。それこそ後悔しないように。



 退位の儀は早朝から行われる。アンナはまだ暗いうちから起き出して、カノと共に準備に励んでいた。

 即位の儀のときと同様に、ずっしりとした重い衣を纏い、髪を結う。化粧をしっかりと施した顔はアンナをぐっと大人びて見せていた。

 化粧は前回よりも念入りに。黒の筆で目元を囲い、唇は深紅に染めている。


「退位の儀の後は、すぐに即位の儀に移るご予定、と伺っております」


 ここまで準備を手伝ってくれたカノは、緊張を含んだ声でそう言ったものだ。


「うん。まずは玉宮で玉座の前に跪き、速やかに冠を外す。退位を宣言すれば終わりって聞いてる。そのあとすぐにオウミの即位の儀なんだよね」

「では、機会は一度きりですね」

「そう。オウミと玉座で一瞬だけ一緒に立つ、その時にやるしかない」


 あのあとカノも巻き込んで、アンナは作戦を練った。退位の儀は、アンナが稀人であること、王の身代わりを演じていたことを皆の前で宣言することで行う。そしてオウミが即位する前までにことを終える必要がある。


「……結局、ヨミさまは来ませんでしたね……」


 カノの呟きに、アンナは息を吐くことで答えた。

 退位の儀までに会いに来て、とは言ったものの、ヨミはその後一度も姿を見せなかった。失望を覚えたのは嘘ではない。しかし、彼には彼の考え方があるのだ。アンナの考えを押し付けるのは間違っている。


「振られちゃったかなぁ」


 アンナがおどけて、そう言ったときである。


「誰が、誰に振られたのだ」


 その声に、アンナは目を見張った。振り返れば、変わらず黒一色のヨミの姿がある。苦虫を噛みつぶしたような顔でアンナを一瞥すると、さっさと部屋の中に入ってしまう。

 カノが嬉しそうに笑い、頷いた。アンナも満面の笑みを浮かべる。


「ヨミ」

「……なんだ」

「ここに来てくれたってことは、承諾したってことで、いいんだよね?」

「……そうじゃなければ、ここにいない」


 良かった。アンナは胸を撫でおろす。


「よし、それじゃあカノ、お願いね!」

「任せてください! アンナさま!」


 にじり寄るカノに、ヨミは目を丸くした。珍しく焦った口調で声を挙げる。


「待て、何をする気だ」

「時間がありません。取り急ぎ、洗顔をお願いします。それから、衣は……用意がないですね、どうしましょう」

「黒のままでもいいんじゃないかな。ヨミはヨミって分かってもらう必要があるし。その分化粧をしっかりすれば、見栄えがすると思う」

「せめて髪は結いましょう。目をしっかり見せることが大切ですしね!」

「さすが、分かってるねカノ!」


 盛り上がる女子二人に、ヨミは目を白黒させている。そんなヨミに、アンナは満面の笑みでこう宣言した。


「さ、やるよ! 覚悟して!」


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