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4

 さくさくと御殿を後にする。オウミの御殿が見えなくなってきたあたりでようやくヨミはアンナを抱きかかえていることを思い出したらしい。


「大丈夫か?」


 ぽつりと落とされた言葉に、アンナは盛大に息を吐いた。


「……もう喋ってもいい?」

「なんだ、それは」

「だって、ヨミ、すごく怖い顔してたから……」

「そうか、それはすまなかった」


 石畳の広場まで戻ると、ヨミはアンナを長椅子の上に下ろした。懐から小刀を取り出し、体に回されていた縄を切る。


「ありがとう、ヨミ」


 体中に血液が回り始めたのを感じて、アンナはうん、と伸びをした。


「なんだってあんなところにいたんだ? 言っておくが、結構危ないところだったと思うぞ」

「噂のテラ王の顔を見てやろうと思っただけなんだけど……」

「あいつに近づくな。危険だ」


 断言したヨミに、アンナはぱちりと目を瞬かせた。


「……ヨミ?」

「なんだ」

「あいつって、オウミのことだよね」

「他に誰がいる」

「オウミは、テラ王なんだよね?」

「……そうだ」

「……危険な人だって、分かってて王にするの?」


 ヨミはぐっと言葉を飲みこみ、苦々し気に顔を歪めた。

 アンナはヨミの顔をじっと見つめる。決して長くはない付き合いではあるが、この男が意外と腹芸が苦手であることをアンナは知っていた。


「ねえ、私さあ、生き返るわけじゃん?」

「ああ……」

「その時って、記憶はどうなるの?」


 どうやら、予想外の質問だったらしい。ヨミは目を瞬かせる。


「冥界で過ごした記憶はなくなるはずだ」


 やっぱりね、とアンナは頷いた。


「それなら、どうせ記憶なくなるんだったらさあ。私になら何話しても大丈夫なんじゃないの? ヨミ」


 先ほどのオウミの言葉。それに、ここに来てからずっと気になっていたヨミへの違和感。気にならないと言えば嘘になる。しかし、それよりも、今ヨミが考えていることが知りたかった。

 ヨミはアンナの言葉に一瞬驚いたように目を見張り、ややあって苦笑する。


「そうだったな、お前はそういうやつだ。背中にも目があるとは言いえて妙だ」

「お褒めに預かりまして」

「うん、そうだな。お前には話しておこうと思う。……歩けるか?」

「勿論。……どこに行くの?」

「ナギ王の御殿だ」



 ナギ王の御殿は、しんと静まり返っている。手入れがされていたであろう前庭は雑草が伸び始め、剪定されているはずの木の枝も不格好に手足を伸ばしている。扉を開けると、錆びた蝶番の音が響き、青々とした光に照らし出された黒い床にはうっすらと埃が溜まっていた。


「流石に空気が悪いな」


 足を踏み入れたヨミは、ずかずかと御殿に入り、窓や扉を開け放していく。慌ててアンナもそれに倣った。

 窓や戸を開けると、空気がすっと循環していくのが分かる。ヨミは満足そうに頷くと、長椅子の上に溜まっていた埃をざっと払った。


「どうぞ。埃は許してやってくれ」


 アンナは遠慮なく腰を下ろした。向かい合わせになる形で、ヨミももう一つの長椅子に腰かける。


「さて、まずはアンナの話を聞こうか」

「私の?」

「何か考えていることがあるんだろう? お前の質問に答える、という形で話をした方が円滑にいくだろう」


 そう言うと、ヨミは口を噤んだ。漆黒の瞳がアンナの目をじっと見つめている。


「それじゃ、質問するけど……」


 アンナは唇を舐めた。


「オウミ……じゃなくて、テラのこと。ヨミの話だと、行方不明になっていたって言ってたよね? 彼、自分がテラ王だって知らなかったみたいなんだけど、どういうことなのかなって」


 てっきり、オウミは自分の意思で失踪したのだと思っていた。しかし、彼いわく、自分がテラ王だと知ったばかりなのだという。


「これって、つまり、元々祭宮にはテラ王はいなかったってことだよね?」

「いかにも、そうだ」


 ヨミは頷く。


「これには今の冥界の仕組み、その根幹に関わる話だ。お前をこのナギ王の御殿に連れてきたのも、その話がしたかったからにつきる」


 そう言って、ヨミはぐるり、と御殿を見渡した。


「まだ冥界の仕組みを整えたばかりのことだ。勿論俺もまだ転生していない時期で、影形もない。ナギ王が先王崩御の後即位されたとき、彼は重大な失敗を犯したのだそうだ」

「失敗……」

「ナギ王には頑迷な皇太后がいた。先王の皇后であらせられる皇太后に頭が上がらなかったナギ王は、彼女の意のままに勅令を発したらしい。それが今の神籍、平籍の仕組みとなった。しかし、ナギ王はその仕組みに満足していたわけではなかったようだ」

「そうなの?」


 勅令とは、王が初めて出す王命だ。当然自分の納得のいく仕組みを考え、下すものだと思っていたのだが。

 アンナの言下の思いに同調するように、ヨミは頷いた。


「ナギ王はいったん勅令は下したものの、心配になってしまったらしい。皇太后の目をかいくぐり、変装しては冥界の視察へと頻繁に赴くようになった。そして彼はそこで今の皇后、ザナと出会ったんだ」

「あ……!」


 アンナは思わず口を押えた。ザナは平籍出身だ、と皇后の口からも聞いていた。なるほどそういう理由で二人は出会ったのか、と納得する。


「まあ、お分かりだと思うが……二人は愛し合うようになり、やがてザナは身ごもった。しかし、そこでナギ王はまだ自分が王族であることを彼女に話していなかったのだ」

「げっ……! 最悪じゃん……」

「そう、最悪だ。確かに王族の婚姻は、神籍でも平籍でも特段問題はない。しかし、そもそも平籍とは現世での行いが振るわなかった者が転生した姿である。いくら現世での記憶がないからと言って、不出来な者を王族として召し上げるのは外聞が悪い」

「不出来って……だって記憶がないんでしょ。そんなの関係ないじゃん」


 アンナの不貞腐れた声に、ヨミは苦笑をすることで答える。


「今はそういう声が多いがな。当時は冥界の仕組みが整ったばかりだった。平籍の者は人として不出来である、という強烈な認識があったのだと聞いているぞ」

「ふうん……」

「それでも、ナギ王はザナさまを諦めたくはなかったようで、周囲の意見を押しのけ、あるいは説き伏せ、見事ザナさまを召し上げたのだそうだ」

「おおっ!」


 アンナは思わず歓声を挙げた。流石、王。やるときはやる男だ。会ったこともないナギ王にアンナは盛大な賛辞を送る。


「しかし、大問題なのは、皇太后が断固として現世の行いを重視するお方だったのだ」


 ヨミの口調が一段落ちる。

 ナギ王は革新的な男であったらしい。それこそアンナのように変装を得意とし、冥界に自ら出かけ視察をする。稀人を呼びつけ、話を聞き、活かせる知識を得ようとしていた、そんな王であった。

 しかし、彼の最大の弱点は皇太后である。


「皇太后は事あるごとにザナさまを誹謗中傷し……そしてご出産されたあとは王太子に対しても辛らつに当たったと聞く。それは、時に度を越して、命の危険を覚えるほどに。だから……王は……」


 ヨミはそこで一度言葉を区切った。


「王は、テラにオウミという名を与えた。そして平籍へと落としたのだ」


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