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「自殺って、なんのこと?」
「ちょっと待って、ちょっと待ってね」
殴られたからであろう、まだぐらぐらとする頭でアンナは今の状況を整理する。
自分はどうやら意識を失ったらしい。そして、縛られて床に転がされている。目の前にはオウミがいて、自分の顔を覗き込んでいる――アンナの脳内に、花畑でのヨミの顔が過った。あのとき、ヨミは何かを見つけて、驚愕の表情を浮かべてはいなかったか。その視線の先にいたのも、この男、オウミである。
と、いうことは、つまり。
「あんたが、テラ王!?」
その言葉にオウミは軽く肩を竦めてみせた。
「らしいね」
アンナは慌てて周囲を確認する。オウミの他にも、二、三人の男がいた。
御殿にいるということは、オウミつきの従者なのであろうが、そのどの男からもあまりいい感じを受けなかった。
(っていうか……この人たち、平籍じゃん……)
どんなに整った身なりをしていても、アンナの観察眼は見逃さない。衣の着こなし方に無理があるし、なにやら視線も野卑である。そしてその中に一つの顔を見つけて、アンナは今度こそ目を見開いた。
「あんた、あのとき玉宮にいた……!」
忘れるはずもない。アンナを弓で射た男である。
「あの時はお前のせいで酷い目にあったぜ」
そう言いながら、男はアンナに近づくとおもむろに髪を掴む。そのまま上に引き上げられ、アンナはぐっと息を呑んだ。
「痛っ……やめてよ!」
「鼻っ柱の強い女だな」
男はアンナの顔に唾を吐きかけると、そのまま引き倒す。初めて受ける種類の暴力にアンナは愕然と目を見開いた。
「なんなの、あんたたち……」
その言葉に、オウミは肩を竦めることで答える。
「この人たちは、有識者ってやつかな」
「有識者ぁ!?」
「そうさ。今度、勅令を出さなきゃいけないだろう? そのために、意見を聞きたくてこの御殿に呼んだんだ」
さも当たり前のことであるかのように、オウミは言った。
「まさか、テラ王の身代わりをしていたのが稀人の君だったなんて思わなかったな。随分とご活躍だったみたいで、感心していたんだ」
「ねえ、とりあえずこれ外してよ。痛いんだけど……!」
アンナは体を捩る。縄が腕に食い込んでひりひりと悲鳴を挙げていた。
「だめ」
「なんで!?」
「だって、君は稀人でしょう? だったら稀人らしく、保護されなきゃいけないじゃないか。君はまた逃げ出すかもしれないから、縛っておかないと」
やはり、とアンナは唇を噛み締める。
このオウミという男、悪意がない。心の底から正しいことをしているという自覚がなければ、こうもあっけらかんとはできないであろう。
「あなた、本当に……テラ王なの?」
「そうらしいよ。僕も初めて知ったけど」
その言葉に、アンナは更に混乱する。
「初めて知った……!? でも、今まで行方不明になってたって!」
「ああ、あの偽王がそう言ったのか」
「偽王……?」
オウミはアンナに近づくと、灰色の目を細めて笑った。
「僕は平籍だ。ずっとそうだと思って生きてきた。しかし、先日それが間違いだということを知った」
その灰色の目に既視感を覚えて、アンナはごくりとつばを飲み込んだ。印象的な灰色の瞳、目を細めて笑う表情。
(ザナさまに……そっくり)
「王になったら、勅令が出せるんでしょう? 冥界の仕組みをひっくり返せるような勅令でも問題なく発令するってことだし、楽しみだなって」
その笑顔にひやりとするものを感じて、アンナは息を呑んだ。
「どんな勅令を出すつもりなの……」
「そんなの、決まってる」
オウミは満面の笑みでアンナに微笑みかけた。
「平籍と、神籍を入れ替えるんだ」
「……は?」
「平籍は今まで、ずっと我慢してきたでしょう。現世の行いだかなんだか知らないけれど、生まれながら制限され、生きてきた。そんなの納得いくわけないじゃない。だから、今度は平籍が優遇されるような冥界にしようと思ってるんだ」
「流石はオウミだよなぁ。これで俺たちも報われる」
「神籍のやつらの顔が楽しみだぜ」
しきりと頷き合う平籍たちを見て、アンナはゾッとする。
それは、ちがう。間違っている。
「オウミは、ちょっとおかしい」
考える間もなく、口を突いて出た言葉に男たちはぎろりとアンナを睨みつけた。
「勅令って、冥界の仕組みを整えるためにだすものなんでしょ? それを特定の人だけ優遇されるように作るなんて、おかしいよ……!」
「うーん、僕にはその感覚はわかんないな」
オウミは首を傾げている。
「だって、今までがそうだったじゃない。神籍の者が優遇されて、平籍は冷遇される。そんなのずるいよね。だから、今度は交替にすればいいって思ったんだけど」
「それは、もしかしたらそういう側面もあったかもしれないけど……でもそれは最初から優遇させようと思って作られた仕組みじゃないかもしれないじゃない」
口に出しながら、アンナは違和の正体に気づいた。
「そうだよ。そもそもどっちが優遇されるとか、されてないとか、その仕組み自体がおかしいんだよ」
確かに今は平籍の方が冷遇されているのかもしれない。しかし、それを単純にひっくり返しただけでは、今度は神籍だった者が不満を抱くに違いないのだ。
「稀人のくせに、随分と知った口を聞くよね」
オウミの灰色の目がすっと細まった。
「そうか、僕がこの勅令を出すのはもうほとんど決定事項なわけだから、つまり稀人は平籍に保護されるってことになるね」
その言葉を聞いて、男たちの目が変わった。
「なるほど、それなら俺たちでも手を付けていいわけだ」
「王のふりしてた女ってだけで珍しさは他の稀人よりも上だ。たっぷり稼がせてもらおうぜ」
にじりよる男たちに、アンナは背筋が冷えていくの感じた。オウミの言う稀人の保護とは、つまり誰かに囲われることだ。この男たちはそれを知っていて、今この場でアンナを慰みものにするつもりに違いない。
「……ちょっと待って、待ってったら!」
「うるせえな! おい、こいつに噛ませるもの持ってこい!」
男の一人が、アンナの肩に手をかけた。力づくで体を起こさる。猿轡にするつもりであろう、手巾を手にした男が下卑た笑みを浮かべながらアンナににじり寄る。
アンナは焦った。すでに身動きは封じられ、縄から抜け出すのは難しい。ここで更に声まで奪われたら終わりだ。
(一か八か、やらないよりはマシ!)
アンナは息を深く吸った。
「アメンボ! 赤いな! あいうえお!」
耳を劈くような大音声に、男たちは伸ばした手をひっこめた。
「柿の木! 栗の木! かきくけこぉぉ!」
「うるせえ! だまれ!」
「黙るかボケっ! おいこらヨミぃぃ!! お前護衛だろうが! 助けに来いよ! このやろーー!」
やけくそでアンナが叫んだそのときである。
轟音。
御殿の扉が大きく膨らみ、めきめきと音を立てながら御殿の中へ倒れ込む。その暗闇に溶け込むようにして、ヨミが立っていた。
「恐れながら申し上げます、テラ王」
聞き覚えのある声に、アンナはほとんど涙ぐむ。
「その稀人を返していただきたい」
ヨミはずかずかと御殿に足を踏み入れると、男たちに取り囲まれているアンナにちらと一瞥を投げた。
「嫌だと言ったら?」
対するオウミは涼やかな顔だ。やはり、この男はどこかがおかしい。
「稀人は保護されるものなのだろう? それならどのみち、遅かれ早かれこうなる運命なんだ」
「しかし、まだ勅令は下されておりません。その稀人は神籍の者が保護をする決まりです」
「それじゃあ、僕が保護しよう」
「それも無理です、テラ王。あなたさまは王族であらせられる。王族は稀人を招き、歓待する立場です。稀人を守る義務はあるものの、保護する権利はありません」
オウミは肩を竦めた。
「確かに、そういう規則だったね。面倒くさいが、仕方ない。さっさと即位して作り変えないと、やりにくいったら……」
(あれ?)
アンナは心の中で首を傾げた。もっとごねるかと思ったら、意外とすんなり引き下がったオウミの態度に、不可思議ではあるがひとつの筋を見たのである。
アンナの勘――それは、オウミは善人である、ということ。この男は、倫理観は抜けているものの、規則や不文律には忠実だ。もしかしたら、そのあたりの事情がアンナにオウミを安全であると誤認識させたのかもしれない。
この男は倫理で動くのではない。規則で動く。そう考えれば説明がつく。
つまり、冥界の仕組みが変わっていない以上、アンナをどうこうする権利はこの男には発生しないのであろう。
「とにかく、この稀人は俺が預かります」
そう宣言すると、ヨミはアンナに近づいた。ヨミの迫力に巻けたのであろう、男たちは何も言わない。そのままアンナはヨミに抱きかかえられる形になる。
「扉の修繕は後ほど、人を遣わしましょう。失礼いたしました」
アンナを抱きかかえたまま、ヨミは御殿から退出しようとする、その後ろ姿に、オウミが言葉を投げかけたのである。
「僕は、いつお母さまにお会いできるのかな?」
アンナはヨミの腕の中で、彼が酷く緊張していることに気づいた。腕にも胸板も力が入り、油断しているところがない。そっと見上げたヨミの双眸には、暗い光が宿っていた。この男は、オウミを警戒している。
「……もう少々お待ちください、と申し上げました」
「わかった。待つよ。でも、待ちきれなかったらごめんね」
その言葉にヨミが軽く舌打ちを漏らした。
「じゃあね、ヨミ。それにアンナ」
ひらひらと手を振るオウミをヨミの腕越しから見て、アンナは背筋に冷たいものが走る。アンナの体を抱き留めているヨミの腕に、ぐっと力が入った。緊迫感のあるその姿に、アンナは口を噤む。今話してはだめだ。きっとヨミは今、感情を抑え込んでいる。




