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暗闇が辺りを包み込んでいる。
張りつめた空気に、密やかな熱気が混じる、舞台袖。一ベルが鳴った後の、観客の囁きが消えていく瞬間がアンナは好きであった。照明が落ち切った後の舞台上に光る蓄光テープ。役者の立ち位置を暗闇の中で示してくれるその光は、まるで夜空に広がる星のようだ。
そして開幕。幕が上がればそこにいつものアンナはいない。著名人の娘ではなく、ひとりの役の人物として、その世界を生き、会話し、行動する。幕が下り、盛大な拍手と共にカーテンコール。
ドラマの撮影は表情が命である。視線ひとつで感情が変わる、繊細な演技が必要とされていた。何度も何度もリテイクをくり返し、ひとつのシーンが作られていく様は、職人たちのこだわりが詰まっている。積み上げられた石がやがて堅牢な城となるように、その世界を構築するひとつの石として存在できることが、アンナには嬉しかった。
芝居が好きだ。
だからこそ、アンナは親が親でなければいいのに、と思わずにはいられなかった。
自分は自分だ。それなのに、なぜ人はその背後に親を見るのか。
どんなに努力しても、結果を出しても、すべて親の名前の元に過小評価されてしまう。あの親の子だから、生まれながらにして成功を約束されているから、と言われるのは悔しかった。
だから、絶対にあのオーディションにだけは受かりたかったのだ。
「聞いた? 大森アンナ、落ちたって」
「まあねえ、仕方ないよ。だってこのオーディション、これから売り出したい役者に箔をつけるためのものでしょ?」
落選後、帰る前に立ち寄ったオーディション会場の休憩室で、アンナはその言葉を聞いた。
ドアの外にアンナ本人がいるとは思わなかったのだろう。スタッフが数名、雑談に花を咲かせていたのである。
「大森アンナは落ち目だからって、プロデューサー言ってたし、本当は二次選考落ちだったらしいじゃん。親になんやかんや言われたくなかったから最終まで残したんでしょ」
なんで、そんなことを今聞かされなければならないのだろう。
アンナは心に冷たい風が吹くのを感じていた。
オーディションに落ちたこと自体は仕方がない。芸の世界だ。自分より優れている役者は星の数ほどいるし、自分が子役から転向して落ち目であることも自分自身が分かっている。商業戦略で落とすことなど、芸能の世界では当たり前に行われていることだ。
しかし。
(親に、なんやかんや言われるから……最終に……残したの?)
今まで必死に頑張ってきた。親の名を棄てられるように、自分の力で芝居の道を生きられるように。それなのに。
(もしかして、今までのオーディションも、全部親の息がかかってたの……!?)
心がガラガラと崩れていく音が聞こえた気がした。
自分なりに、正々堂々と戦っていたつもりであった。しかし、もし本当に親の息がかかっていたのだとしたら、アンナに向けられた誹謗中傷はその名の通りのものとなる。
卑怯者。
生まれながらにして、成功を約束された娘。
それからどうやってオーディション会場を出たのか、アンナはあまり覚えていない。気づけば車道の真ん中にいたのである。
スポットライトのような強い光と、耳を劈くようなブレーキの音。体に受けた衝撃で宙を舞いながらアンナは思ったものだ。
このまま死ぬのも、悪くない。
どんなに頑張っても、結局自分は親の名前から抜け出せない。
ならば、いっそ――。
「私……自殺じゃん!」
アンナは自分の叫び声で、ぱちりと目を開けた。
冷や汗がびっしりと額を多い、すっと頬を流れた。どうやら縛られて床に転がされているようである。後ろ手に回された腕がぎりぎりと締め付けられているのが分かった。
「おはよう」
そのアンナの顔をのぞきこむ一人の男――オウミは、アンナを見つめてにこりと笑う。
印象的な灰色の瞳に、アンナの蒼白な顔が映り込んでいた。




