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戻ってきたアンナを見て、ウガは口を閉ざしている。報せをもたらした男は逃げたのであろうか、その場にはいなかった。
ウガは先程の様子をつぶさに見ていたに違いない。苦々しい顔で、アンナを見つめている。
「本当に平籍たちの意見を聞くおつもりで?」
「勿論」
「理由をお聞きしても?」
その言葉に、アンナは少し悩むようにする。
「……あなたは怒るかもしれないけれど。私は私なりに、今の冥界に疑問を持っているの。平籍に転生したばっかりに、自分のやりたいことを制限されてしまう。そんな彼らの不満や鬱憤を、ないがしろにはしたくなかった」
「つまり? あなたさまは平籍におもねるということですか?」
「ううん」
アンナは首を振る。
「私は平籍にも神籍にもおもねらない。だって、生まれながらにして恵まれている、と言われ続ける神籍の人の中には、そのせいで悔しい思いをしている人もいるんじゃないかって思うから」
その言葉に、ウガははっと目を見開いた。ウガの動揺に気づかないふりをして、アンナは言葉を重ねる。
「平籍でも神籍でも関係なく、自分の力で自分の生き方を決められる、そんな冥界であってほしい。今は私が王でしょう? 王として、私が正しいと思ったことをやろうって、そう思っただけだよ」
「そうですか……」
ウガは悔しそうに顔を歪めると、アンナに対して礼を取る。
「先ほどは、無礼な口を聞き、失礼しました。あなたさまは得難い王であらせられます」
「どうしたの!? 急にそんな……!」
アンナは目を丸くする。今までのウガの態度とは全く違う、神妙な態度を取られるとは思わなかった。
「周りの者に言い含めるのは、こちらの仕事です。必ずや、テラ王のお言葉に沿えるようにいたします」
「それは、嬉しいんだけど……」
「僕は、あなたさまのことを勘違いしておりました。きっとヨミさまであっても、あなたさまの取られたような行動はお取りにならなかったでしょう」
ウガはぷい、と顔を背けて答えた。
「悔しいですが……ご立派でした」
湯あみをして髪を梳き、アンナは御殿でごろりと横になっていた。流石にあのまま宮城の案内を続けてもらうわけにもいかない。一度帰って身なりを整える必要があった。
驚いたのはカノである。髪にも服にもべとべととした卵を纏い、異臭を放っている主に対して彼女の動きは的確であった。湯殿の準備をし、主をそこへ早々と送り込んで、自らは衣の洗濯をする。
「本当に! なんて危ないことをなさるんですから! 何かあったらどうなさるおつもりだったのですか!」
アンナの御殿の裏には、衣を干したり水を汲んだりするちょっとした庭がある。カノはその庭で衣を干しているようであった。ぱんっと水を絞った衣を叩いて皺を取り除き、紐にかけながらぷりぷりと怒っていた。
「ウガさまもウガさまです! ヨミさまがいらっしゃらない以上、彼がテラさまをお守りしなければならないはずなのに!」
「ウガのこと、知ってるんだ?」
御殿の廊下に寝転がりながら、アンナはカノに問いかける。裏庭は涼しく、気持ちの良い風が吹く。その庭を一望できる廊下はアンナのお気に入りのスポットである。
祭宮と玉宮は管轄が違うはずだ。てっきりカノはウガのことを知らないものだと思っていた。
カノは軽く頷くと、怒りに任せて洗濯物を干していく。
「ええ、彼はヨミさまの腹心ですから。この祭宮にも何度か足をお運びになったことがございます」
なるほど。こうなってくると、祭宮には意外と人の出入りが激しいのかもしれない。
「祭宮って、もっと閉ざされているもんだと思ってた」
「何を言うのです?」
カノは呆れたように息を吐いた。
「閉ざされていますとも。そも、ここに入れる人は王族と、王族に仕える者だけですから」
その言葉を聞いて、アンナはやはり、と息を吐いた。
(王族と、王族に仕える者だけが入れる祭宮。カノはテラ王……今は私に仕えていて、ミタマはザナさまの傍付き。ヨミはテラ王の護衛だった。でも、ウガは?)
ウガは、ヨミの腹心である。ヨミが本当に王の護衛であるなら、その護衛の腹心であるウガは王族に仕えている者、という枠からは外れるであろう。
「なるほどねえ……」
と、いうことは、やはり。
ヨミは王族だ。
「随分と、怠惰な格好をしているのだな」
その声に、アンナはがばっと起き上がった。
「ヨミじゃん!」
「いかにも」
不覚にも、気づかなかった。ヨミはいつもの黒い衣に着替え直し、涼しげな格好でアンナを見下ろしている。
ヨミはそんなアンナを一瞥し、庭で衣を干していたカノに視線を向けた。
「カノ、仕事は終わりか?」
「え、ええ、これを干せばおしまいです」
「ならば、終わり次第少し外してもらえるか」
「……承知しました」
先程の怒りの余韻が残っているのであろう、カノはたっぷりとした視線をヨミに送り、ひとつ息を吐いた。衣をさっと干すと一礼をし、そのまま御殿の中へと戻ってしまう。
「ウガに聞いた。大変な目にあったな」
「まあ、うん、大したことはないよ」
「卵をぶつけられるのは大したことではないのか?」
眉を寄せて心配そうに言うヨミに、アンナはくすりと笑みを零す。
「あんなん、命の危険がないもの。嫌がらせとしてはかわいい、かわいい」
生前ではもっと酷いことをされたことがあった。靴に画びょう、なんてテンプレートの嫌がらせは勿論のこと、飲み物に何やら混ぜ込まれたり、階段から突き落とされそうになったりなど枚挙に暇がない。
そのことを聞かせてやると、ヨミは今度こそ目を見開いた。
「なかなか、凄まじい人生を送ってきているのだな」
「まあね」
「しかし、それならなぜ……」
ヨミは再びアンナを見つめると、すっと目を細めた。
「なぜそこまで、生き返りたいと思うのだ」
「うーん」
アンナはごろりと転がると、天井を眺めた。
「……頑張りきれてなかったからかなあ」
「頑張りきれてない、とは?」
「私さあ、言ったらなんだけど、それこそ生まれながらにして恵まれてるって言われてもおかしくない状況だったんだよね」
アンナは生前を思い出す。著名な両親が敷いた、二世というレールの上をひたすら生きていた自分であった。
「ほら、神籍ってさ、現世で善い行いをしたからっていう理由で良い生活を約束されているわけじゃない。でも、神籍自身は記憶がないから、その自覚がない。それとおんなじで、私も生まれながらにして良い生活をしていたけど、それは全部親のおかげなの。私自身で掴んだ物ってほんと、ちっぽけなものしかなくてさあ」
何をやっても、親の顔と名前がついてくる。親と似たような生き方をする以上、それは仕方のないことかもしれなかった。
しかし、アンナは役者が好きで、芝居が好きなのだ。他の生き方を選ぶことはしたくなかったのである。
「親の名前を振り払おうとしていたんだけどね。うまくいかなかったタイミングで、こっちに来ちゃったから」
「そうか」
優しげなヨミの声に、アンナはぱちりと瞬きをした。
「では、アンナの生き返りたい、という意思に変わりはないのだな」
「勿論!」
アンナはくるりと起き上がって、ヨミに笑ってみせた。
「それだけは絶対! だから王もやるっていう話だったでしょ」
アンナの顔をじっと眺め、ややあってヨミは頷く。
「それなら話は速い。近々、お前を現世に戻すことができると思う」
「えっ!?」
「テラが、見つかった」
アンナは、今度こそ目を丸く見開いた。




