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 礼宮と玉宮を区切る門は、黒々としたその姿から黒大門と呼ばれていた。その黒大門に、大勢の平籍が詰めかけている。その数、おおよそ百程度。

 アンナとウガ、そして報せをもたらした男は玉宮の奥からその様子を眺めていた。


「これは、いったいどういうことだ」


 ウガの問いに、報せをもたらした男は青ざめた顔で冷や汗を拭う。


「先日の即位の儀で、テラ王を射た男を解放せよ、と」

「馬鹿なことを言うな」


 ウガが鼻の頭に皺を寄せた。


「王族に矢を射っておきながら。解放できるはずがない」


 アンナは目を丸くしながらその様子を眺める。


(なんで、こんなに冥界の王族は嫌われているんだろう……)


 どこの国でも権力者は嫌われるものだ。しかし、今回の場合は話が違う。あの矢は、アンナを害する意図をもって放たれたものだ。その男を解放しろということは、人殺しを容認しろということと同義になるのではなかろうか。

 アンナの常識では、矢を射ったものは非難されてしかるべきである。

 黒大門では武官たちが平籍を押しとどめようとしている。しかし、彼らの勢いは収まらない。武官の一人が殴られ、血を出し土に倒れる。それに調子づいたかのように、殴る蹴るの乱闘となった。


「ヨミさまは……! ヨミさまはどこにいらっしゃるのですか!?」


 悲鳴を上げた男に、ウガは苦々しく首を振った。


「ヨミさまは、冥界の視察へ降りていらっしゃる。戻ってくるまでまだかかるだろう」

「でも、このままでは……!」


 死人が出るかもしれない。言外の懸念を感じ取り、アンナは浅く息を紡いだ。

 武官に取り押さえられ、血を流す平籍の者。その平籍に殴られ、気絶している武官もいる。このまま門が破られたら、おそらく無事では済まないだろう。


(なんで……こんなことに)


 これは芝居ではないのだ。目の前の乱闘は本物で、行けば危険が伴う。しかしこのまま放置するわけにはいかない。


「仕方ない、僕が行こう」

「ウがさま、危険です!」

「ヨミさまがいらっしゃらない以上、この場の収拾をつけられるのはある程度の役がなければだめだろう」

「私が行く」


 その言葉に、男二人がぎょっと目を見開いた。アンナも自分の発言に、自分自身でも驚いている。しかし。


(もし王なら、どうする?)


 通常の王なら恐らく何もしない。臣下に守られ、部屋の奥で指示をするだけでいいのかもしれない。だが、アンナはそんな王は嫌であった。


(本物のテラ王だったらどうするかなんて、分からないけど)


 拳を握りしめる。


(今この場では、私が王。それならば、私が王としてなすべきことをすればいい)


 役に入り込む、という瞬間がある。アンナは今まさに、その状態であった。

 まるで自分の体に演じている役の人格が乗り移った時のように。自分が何をすべきか、アンナには手に取るように分かっていた。


「ある程度の役、って、つまり立場ということでしょう。それならば、今この場では私が適任だ。だから、私が行こう」

「しかし! 危険です!」


 顔を真っ青にして言いつのる男に、アンナは首を振った。


「誰が行っても危険なのは変わりない」

「馬鹿ですか!?」


 ウガの声に、今度は言いつのっていた男がぎょっとした顔でウガを振り返った。


「浅慮にもほどがある! もしあなたが傷ひとつでもこしらえてごらんなさい、ヨミさまがどれほどお怒りになるか!」

「ヨミは私の臣下だ。なぜヨミの怒りが私の行動に関係する?」

「黙りなさい! あなたは自分の立場をわかっていない!」

「わかっていないのはどちらだ、ウガ」


 アンナは冷静に答えた。頭が冴え、目の前の風景がやたらくっきりと目に映る。その冴えに反比例して、体の奥底からめらめらと熱い気持ちが燃えているのが分かった。


(これは、私の中で育んできた王としての気持ちだ……)


 暴動を止める。

 人死にを出さない。

 そしてそれができるのは、立場のある者だけである。


「私は行く」


 そのまま足を動かそうとしたアンナに、ウガが切りつけるように言葉を放った。


「この偽王めが……!」


 その言葉をどこか意識の遠くでアンナは聞いていた。心の中でくすりと笑みを零す。


(偽王ね……)


 頭に血が上っているとはいえ、失言には違いない。よほどアンナはウガに嫌われているようである。しかし、今はそれを咎めるよりも先にやることがあった。

 アンナは姿勢を正し、目線を固定する。

 黒大門へ向かって、一歩足を踏み出した。

 ぎょっとしたのは黒大門で今まさに暴動を抑え込もうとしていた武官たちである。彼らはアンナの顔を知っている。先日即位したばかりの、背中にも目を持つとまことしやかに噂される王である。

 その王が、ひとりでのこのこと暴徒の前に姿を現したのである。

 武官の動揺は平籍にも伝わる。その動揺の原因を探し、近づいてくる小柄な女に目を丸くしたものだ。


「何の騒ぎだ」


 黒大門の奥にひしめく平籍たちを、アンナはじっくりと見つめた。


「テラ王……」


 武官の呟きが、さざめきとなって広がっていく。


「王か……?」

「本物の?」

「あの小娘が?」


 ざわざわと平籍たちが囁く声を耳にして、アンナは更に声を挙げた。


「いかにも私がテラだが。お前たちはここで何をやっている」


 まなざしはまっすぐに。動揺したところを見せてはいけない。アンナは地に足をつけ、しっかりと踏ん張った。


「私を射たものを解放してほしい、と聞いたのだが。それは本当か?」


 アンナはぐるりと平籍を見渡すと、一人の男に目をつけた。武官に抑えられてはいるが、目に不屈の光を宿し、アンナを憎々し気に睨んでいる。

 どうやらこの男が主犯格らしい。


「そこの男、答えろ」


 水を向けると、男は唸った。ひどく獰猛な唸り声に、武官たちが警戒を強める。


「……本当だ」


 絞り出すように男は呟く。


「なぜ」

「なぜ!? そんなの決まってる! あいつは俺たちの仲間だ! 不当に拘束されているなら助け出すのが仲間だろう!」


 これにはアンナも盛大に首を傾げたものだ。


「不当に、拘束……? あの男は私を矢で射たんだぞ。それなのに、不当に、拘束?」


 男がぐっと悔しそうに唇を噛む。


「冥界では人の命は軽いものなのか? あの男が射たのがお前やお前の家族だったら、それでも不当に拘束したと言えるのか?」

「うるさい! お前ら神籍や王族と平籍の命が同じなわけがないだろう!」


 男のその言葉で、暴徒に再び火がついた。


「馬鹿にしやがって!」

「お前らが悪いんだろ! 矢で射られて当然だ!」

「俺たちがどんなに大変か! 恵まれたやつに分かるわけがない!」


 その言葉と共に、アンナは頭に衝撃を受けた。

 なにががぐちゃりとつぶれて、頬の上を流れている。手で拭うと生臭い。どうやら腐った卵を投げつけられたようである。


「テラ王……!」

「騒ぐな」


 肌に纏わりついて異臭を放つその液体を眺めながら、アンナは武官を諫める。不思議と怒りは沸いてこなかった。

 そのアンナの静かな様子に、平籍の者も戸惑っているようである。

 懐かしい、とアンナは思う。

 著名人の娘であるアンナは、生前こういう嫌がらせを良く受けていたものだ。彼らはアンナを恵まれているといい、ずるい、卑怯だ、と罵り、影でこそこそとこういった嫌がらせをする。

 そのたびにアンナは彼らを見返してきた。卑怯だ、ずるい、と言っている暇があれば、その分努力をしたらいい。幸い門戸は開かれているし、彼らは彼ら自身の功績が実力であるとすぐに認められる環境にいるではないか。

 アンナは、何をしても認められない。

 どれほど努力しても、アンナ自身の力だと思われない。

 悔しい。憎い。

 ずるいのは、どっちだ!

 ずっと、そう思っていた。


(そっか……)


 アンナは目を閉じる。なぜだろう、胸が痛む。

 この人たちのやっていることはおかしい。それは確かだ。しかし、その正義をねじ伏せるほどの怒りや鬱憤が彼らを滾らせているのかもしれない。

 神籍は、生まれながらにして恵まれている、と冥界では言われている。生前の行いで振り分けられているとはいえ、その記憶を有して転生しているわけではないのだ。なれば、現行の冥界の仕組みは、ただの身分格差でしかない。

 恵まれたやつには分かるわけがない、と彼らは言う。

 その言葉にアンナは痛みを覚えた。


(冥界は……努力だけではどうしようもない線があるんだ)


 平籍だから、神籍だから、つけない職業がある。現世よりも明確に引かれた線が、人々を縛っているのかもしれない。

 アンナは口を開いた。


「あの男を解放することはできない」


 咄嗟に上がった非難の声をアンナは手を挙げることで諫めた。


「実際に命を狙われたのは間違いない。その者を解放するのは理にかなっていると言えるか?」


 平籍の者たちは視線をずらし、口ごもった。


「しかし、他の事なら話は別だ。王族や神籍に思うところがあると見受けられる。その件については話を聞こう」


 その言葉に、平籍の者たちははっと顔を挙げた。


「あの……本当に……?」

「二言はない。ただし、全員から話を聞くわけにはいかない。日頃お前たちが何を感じ、何に不便を覚え、それをどう改善してほしいのか。私はしっかりと聞くつもりだ。感情的な言葉はいらぬ。真に言いたいことがあるのなら、しかるべき手段を取り、正面から私に向かってくるといい。周りの者にも、言い含めておこう」

「しかし、テラさま!」


 声を挙げた武官を、アンナは一瞥する。


「私が決めたことだ、従ってもらおう」


 そのままアンナはぐるりと回りを見渡した。誰も何も言わない。ただ目を丸くし、卵まみれのアンナを呆然と見つめている。

 主犯格の男も目を丸く見開いたまま、アンナを眺めていた。


「……本当に、俺たちの話を聞くのか」

「そうだと言っている」

「そうか……」


 男は目に驚愕を残したまま、姿勢を正すと、アンナに向かって丁寧に拝した。


「それならば、信じよう。……帰るぞ」


 まるで波が引くように、黒大門に詰め寄っていた平籍の者が、ひとり、またひとりと後退する。一人残らず帰路に着いたことを確認すると、アンナは踵を返した。

 武官たちの視線が痛い。勝手なことを、という苛立ちが混じった視線を受けて、アンナは苦笑いする。


(どの世界も一緒なんだな……)


 あちら立てればこちらが立たぬ。ヨミのいった通り、神籍の者たちは、自分たちの権利を取り上げられるのが怖いのだ。


(でも、私、後悔はしてないから)


 そうだ、とアンナは頷く。

 どんな者にも機会は与えられて欲しい。自分が卑怯だと言われないためにも、同じ土俵で戦えるようにしてほしい。それがたとえ冥界であっても。


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