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否はない。アンナはありがたく手巾の上に腰を下ろした。
「先ほどの話だが……」
ヨミの言葉に、アンナは目をぱちりと瞬かせる。神籍の話のことか。てっきり流されたものだとばかり思っていたのだが。
「神籍の優遇制度の違和に関しては、どうしようもないのだ」
「どうしようもない……って、どういうこと?」
アンナの問いかけに、ヨミは苦々しく笑った。
「王には最も大切な仕事がある、と言ったことを覚えているか」
「うん。冥界の仕組みを作ること、でしょ?」
アンナは思い出す。確か、代替わりにしか発することができない勅命である、と聞いたと思う。そう告げると、ヨミは満足そうに頷いた。
「今の冥界の仕組みはナギ王が制定したものだ。しかし、王族は基本的には不老である。一度放たれた勅命が世相に合わなくなっていたとしても、王在籍の内は仕組みが変わることはない。だから、先ほど見たように違法が罷り通り、あらゆるところで仕組みが歪んできてしまっているのだ」
アンナは頷く。
「つまり、王の代替わりである今は平籍の者にとって起死回生の機会に当てはまる。新しい王の勅命次第では、彼らの命運ががらりと変わるかもしれない。逆に、神籍の者は戦々恐々としているはずだ」
ヨミは重々しくため息を吐いた。
「テラ王は……どんな勅命を下すのだろうと、皆が一挙手一投足に注目している。だからこそ、早く本物の王を探し出さねば……と思っているのだが」
「前途多難なんだ」
「何せ、手がかりが少ないからな」
「ふうん……」
ヨミの言葉に、アンナは違和を覚える。
王の身代わりを、という話のときには、そこまで深く考えなかったが。今思えばあらゆるところが少しずつ、おかしいのだ。
先王ナギの毒殺に関しての追及の甘さもそうである。誰かが殺され、誰かが姿を消した。となれば、サスペンスドラマでは姿を消したものが犯人である、または姿を消したものは既に死んでいる、というのが定石だ。
当てはめれば、本物のテラ王がナギ王を毒殺したか、または殺されているか、をまず疑って然るべきである。
テラ王が犯人だと疑っているのであれば、そもそも王座にはつけようとしないだろう。逆に、テラ王がすでに殺されているのでは、と疑っていれば、捜索をもっと大々的に行うはずだ。
しかし、ヨミの口調からはその緊迫感は感じられない。行方不明の重要人物を何が何でも探さなければ、と言う気概は感じられるものの、テラ王の捜索を大々的に行っていない件に関しては、やや不自然のように思われる。
また、先ほどの言葉もある。
手がかりが少ない、とヨミは言うが、そんなことは有り得るのであろうか。
仮にも王族である。祭宮からほとんどでなかった、と彼は言うが、で、あれば突然冥界の街に放り出されたテラ王が綺麗に街に溶け込めるとは思えない。
普段外に出歩いているヨミですら、平籍の変装が苦手なのである。王として育てられているのであれば、どんなにうまく変装してもぼろが出る。平籍や神籍に混じって姿をくらますのは容易ではなかろう。
(なーんか、怪しいんだよね……)
「何を考えている?」
おっと、いけない。アンナは目を瞬かせた。ヨミは首を傾げてこちらの顔を覗き見ていた。少し困らせてやりたくなって、アンナはにやっと笑ってみせる。
「ヨミはさあ、私に隠し事してるんだろうなあって。何隠してるんだろって考えてた」
「そうか……」
「否定しないんだ」
「しても無駄だろう」
予想に反してヨミは落ち着いた声で言葉を返す。
「アンナは勘が鋭いからな」
「お褒めに預かりまして」
「だが、お前に言っていることに嘘はない。隠し事はあるが、騙してはいない」
あまりにもきっぱりとした口調に、アンナは声を挙げて笑った。
「いいよ。騙してないなら問題なし」
アンナは目の前の草を撫でる。実際、隠し事を暴き立てても仕方がない。大切なのはアンナ自身の望みを叶えることだ。
「でもまあ……なんにしても、早く本物のテラを探し出してもらわないと。生き返りがどんどん遅くなっちゃうじゃん」
「それは、そうだな……」
眉を下げてほほ笑むヨミの表情に、アンナはどきりと胸が騒めく。
(なんでそんな顔するんだろ)
「……アンナに聞きたいことがある」
ヨミの声に真剣な響きを感じ取り、アンナは思わずつばを飲み込んだ。
「お前は……なぜ」
その時である。
ヨミの視線が前方で固まった。目を驚愕の形に見開き、何かを見つめたまま口を閉ざした。
アンナもつられて前を見るが、何も変わったことはない。
花畑も、その花の蜜を集めている男たちも、アンナがここに来たときと同じだ。
――いや、ちがう。花の蜜を集めている男たちの中に、一人だけ見知った顔を見つけた。
(うそ……やばい!)
稀人の保護という名のもとに、アンナを神籍に売り飛ばそうとした張本人――オウミが、そこにいた。
アンナとヨミには気づいていないようで、せっせと瓶を傾けて密を集めていた。
ヨミの視線は、オウミに注がれている。彼の唇が小さく動き、何やら祈りの言葉を呟いているようであった。
「アンナ、すまない」
視線を前方に固定したまま、ヨミが口を開く。
「このまま宮城に戻ってくれないか」
「えっ!?」
「急用だ。各宮の見学は、俺の部下に声を掛けてもらえればいい」
有無を言わせない口調であった。アンナが頷くと、ヨミはほっとしたように息を吐く。
「それと、俺はしばらく、冥界にいる、と伝えておいてくれ」
「わかった」
オウミに気づかれないように、アンナはそっとその場を立ち去った。宮城への道を戻りながら、ヨミの視線がオウミに注がれていたことの意味を測りかねていた。
(オウミと……ヨミ……)
二人は知り合いなのだろうか。それとも、もしかしたら。
心に浮かんだ推測を、もう一度心の奥にしまいなおす。
詮索しても仕方がない。ヨミは自分を騙してはいないのだ。なれば、自分は自分の役である『テラ王』を、お役目いっぱいまで演じきればいい。
「よし」
宮城に帰ったら、一度着替えて各宮の見学である。アンナは気合を入れて、目抜き通りを通り抜けたのである。




