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まるで犬みたいな人だ、とアンナは思った。それも、誰彼構わず愛想を振りまくような愛玩犬ではない。誇り高き番犬のような、凛とした佇まいである。
午前中、そわそわしながら御殿で待っていたアンナを迎えに来たのは、ヨミではなかった。カノと同じ官女の服装を身につけた女は、年の頃は三十過ぎ、といったところか。鋭い瞳にほんの少しの警戒心を映しながら、アンナに対して丁寧に礼を取る。
「皇后ザナさまのお使いで参りました、ミタマと申します」
玲瓏たる声である。自分の仕事に絶対的な自信があるのであろう。皇后の下で働くことに誇りを感じているに違いない。堂々とした佇まいに、アンナは感嘆の息を吐いた。
「ミタマ! 久しぶりじゃない!」
嬉しそうに声を挙げたのはカノである。生き生きとした瞳が輝き、突然の来訪者に喜びを隠せない、と言った風情だ。カノは一、二足跳びでミタマに駆け寄ると、彼女の白い手をきゅっと握りしめた。
「カノ、やめてちょうだい。仕事中よ」
「分かってる。でも、このくらいは許してほしいわ。本当に久しぶりなんだもの!」
アンナは二人の顔を交互に見て、ふふっと笑みを零した。その声にカノは慌ててミタマの手を放す。
「テラさま、御前で、その……失礼いたしました」
「ううん」
カノのプライベートな一面が見られて、少し得した気分である。
「二人は仲良しなんだ」
「ええ! 一緒に宮城に上がった仲なんです。ずっと顔を見せなかったから……心配していたんですよ」
後半の台詞は、ミタマ本人に聞かせているのであろう。ミタマが誤魔化すように咳ばらいをしたところを見ると、どうやら彼女もまんざらではなさそうだ。
「ヨミさまより許可をいただきまして、テラさまをザナさまの御殿にご招待させていただきたく参りました。急な誘いで恐縮ですが、足を運んでいただくことは可能でしょうか?」
アンナは考える。ヨミの許可を取ったということは昨日のヨミの願いはこの件であったのであろう。それならば、否をいう必要もない。
「勿論、伺わせていただくけど……その」
皇后ザナは療養中と聞いている。その最中にアンナが訪ねることで、問題はないのであろうか。
「大丈夫ですよ、テラさま。ザナさまはきっとテラさまのことをお気に召してくださいます」
「ええ。ザナさまは元々はお話し好きな方なのです。あなたさまの来訪を無下になさるような方ではございません」
それならば、尚のこと断る理由もない。アンナはこくんと頷いた。
ミタマの案内に従って、アンナは御殿の外に出る。柔らかい風が、アンナの結髪を飾る簪をしゃらしゃらと揺らす。よいしょ、と呟きながら、アンナは持ち重りする籠を握りなおした。
「わたくしが持ちます」
「ううん、大丈夫」
手に持つ大きめの籠の中には、ザナへの手土産がどっさり詰まっていた。沢山の果物や、野菜を柔らかく煮た汁物が入った壺、密漬けの干し果実。ほとんどはカノが用意してくれたものだ。それに加えて、アンナのお気に入りの飴も少量忍ばせてある。
カノは御殿で待つという。曰く、皇后ザナは気難しいところがあり、あまり大人数の集まりが得意でないのだという話であった。
祭宮の石畳を歩く二人分の足音が、まだ朝の涼しげな空気を震わせている。
「ねえ、ミタマ。ミタマはザナさまに仕えて長いの?」
前をゆるゆると歩く官女に声を掛けると、彼女は誇らしげに頷いた。
「先ほどカノも口にしていた通り、ザナさまは少々繊細な方でございます。あの方がなぜわたくしをお傍に置いてくださっているのかは分かりませんが、ヨミさまより、一番長く続いている官女であるとお褒めの言葉をいただきました」
答える言葉の端々からも、自らの仕事に対する誇らしさが透けて見える。おそらくこの官女は、主人であるザナを好いているのだ。気持ちの良い官女だとアンナは思った。
そよそよとそよぐ風を受けながら、アンナはザナについての情報を思い出す。
皇后ザナ。先王ナギの妻で、心を病み療養中である。ということは、テラの母、ということになるのであろう。彼女がなぜアンナを呼び、何を話すのか。今の情報量では推測がしにくい。ここは、目の前の官女から情報を引き出しておくのが吉である。
「ミタマ、気を悪くしないで欲しいんだけど、あなたの主人についてちょっと聞いてもいいかな」
「わたくしに答えられる範囲であれば」
「ええと……」
どこから聞こうか。アンナは唇を舐めた。
「ザナさまはなんで私を呼んだのかなって。ほら、私、身代わりだからさ……お心をお病みになっている原因は分からないけど、なにか言っちゃ悪いこととか、あったりしたら困るし。先に知っておきたいなって思って……」
ミタマはその問いに眦を緩めた。鋭い、きつめの瞳がやや柔和な印象になる。
「ありがとうございます。……そうですね、その件に関しましては、こちらから話しておかねばならないことでした」
目の前の官女は歩を進めると、石畳の広場までたどり着く。灌木の横に据えられた石造りの長椅子にアンナを誘うと、手巾を広げる。
「少々長くなりますので、こちらにおかけください」
アンナの衣が汚れないようにとの配慮であろう。細やかな気遣いが嬉しい。アンナは遠慮なく手巾の上に腰を下ろした。
「まず前提としてお話しておかなければなりません。此度のお呼びは、ザナさまご本人のご希望ではございません」
「えっ」
そうなってくると、話が変わってくる。
「それって、大丈夫なの!?」
その問いに、ミタマは答えなかった。アンナの横に立ち、視線をやや前方に固定したまま口を開く。
「……ザナさまは……お苦しみでいらっしゃいます」
(ミタマ……)
奥歯に物が挟まったかのような言い方に、アンナは横に立つ忠犬のような官女を見上げた。
あえて視線をずらし、遠くを見るような表情をする。こちらと顔を合わせないように話し始める。ミタマのこの話し方は、こちらの出方を伺っているときに見られる行動である。ザナの話を聞かせておきたい、しかし、アンナの反応が心配だ。自分の大好きな主人を、否定されたらどうしよう……。凛とした佇まいの中に、アンナは確かにその迷いを見る。
「ミタマ」
アンナは官女に呼びかけた。
「私なら大丈夫だから。あなたの主人のことを、あなたの忠誠心と同じくらい大切に扱うって約束する。だから、なんでも話してよ」
その言葉に、ミタマは目を見開き、苦笑する。
「テラ王は、背中にも目をお持ちである……。玉宮の官女たちから聞いたときは眉唾かと思ったものですが、本当なのですね」
いや、背中に目はないんだけれど。と、流石のアンナも突っ込みはできなかった。それくらい、ミタマは真剣な表情をしている。
「ザナさまがいつからお苦しみでいらっしゃったのかは、わたくしには分かりません。ただ、それが表面化したとき、という形でのみお答えするのであれば、それは先王ナギさまがお亡くなりになったときからでございます」
ミタマの瞳は遠くを見つめている。
「ザナさまは素晴らしい方です。お美しく、聡明で、わたくしのようなものにも優しくしてくださいます。しかし、ナギさまがお亡くなりになってからは……まるで人が変わってしまったかのようなありさまで」
「でもさ」
アンナは思わず口をはさんだ。
「先王ナギさまって、つまりザナさまの夫なわけなんでしょ? その方が……その、お亡くなりになってしまったわけだから。それは苦しんで当たり前だと思うんだけど……」
ナギの死の理由は分からない。しかし、尋常ではない方法で自らの近しい家族が亡くなったのであれば、ザナの嘆きもまっとうなことのように思えるが……。
「ええ。しかし、あのお苦しみようは尋常ではございません。ザナさまは、ナギさまがお亡くなりになってから、ほとんど物を食さなくなってしまわれたのです」
「物を、食べない……!?」
「もともとほっそりとした方でいらっしゃいましたが、今は輪をかけて肉が落ちてしまわれています。わたくし……心配で……」
ミタマは苦しそうに瞳を揺らしている。
「ザナさまは、あなたさまがテラさまの代わりであることをご存じではありません」
「えっ!?」
ヨミからは、祭宮の者は事情を知っていると聞いていたアンナである。思わず問いかけの視線を投げると、ミタマは瞳を伏せてしまう。
「どういういきさつで、なぜそういうご判断になったのかはわたくしからはお話しできません。ヨミさまのご配慮もあり、ザナさまは、テラさまがご不在であることをご存じないのです」
「ちょっと……待って、混乱してきた」
ザナはテラが失踪していることを知らない。つまり、アンナがこの宮で行っていることも知らない、と、そういうことか。
(事情は話せないって言うけど……)
なんとなく察したアンナである。先王ナギの死に衝撃を受け、臥せっている皇后に、テラまで失踪しているとは伝えられなかったのだろう。
「じゃあ、えっと……私はどういう体でいればいいの?」
てっきり、身代わりのためのご挨拶かと思っていたアンナである。しかし、身代わりの事情そのものを知らないのであれば、自分がザナと会うことは危険なのではなかろうか。
「ザナさまはただいま、この冥界におわす、すべての者との面会を拒否しておられます。しかし、あなたさまは厳密に申し上げると、この冥界に属さない稀人……。あなたさまだけが、ザナさまが拒否できない客人となりえるのです」
その口調に、アンナははっと顔を挙げた。
「ヨミさまはザナさまのことを気にかけてくださいます。きっと、わたくしの悩みも、ザナさまの現状もお判りであったのでしょう。あなたさまをお招きすることで、ザナさまが少しでも活力を取り戻すことになれば、と……」
なるほど、そう言うことか。アンナは手にした籠をぎゅっと握りしめた。
皇后ザナがどんな人物かは、ミタマの話を聞いただけでは詳細までは分からない。しかし、仕える者の姿を見れば、おのずと主人がどんな人物かもある程度は想像できる。
ミタマは優秀な官女であるとアンナは思っている。カノの明るさとは好対照の、落ち着きのある風情。こちらを気遣い、主人を気遣う性根の優しさ。凛とした佇まいの中に、礼儀を守る忠節も持ち合わせている。
おそらくザナも、気遣いのできる優しげな、誇り高き女性なのであろう。そして、誇り高いということは、対人への見栄を気にするということである。
この時間だ。きっとザナは訪ねてきたアンナをもてなし、お茶に誘うに違いない。そして、アンナの持つ籠の手土産たちは、みなどれも消化に良く、すぐに食べられるものばかりである。
客人から手土産を渡されたら、茶の席でそれを食べて見せ、感想を述べる。見栄を気にする方であるならば、おそらくそういう行動を取るに違いない。
「分かった。私は稀人として、ザナさまとお話すればいいんだね。一緒にお昼でもどうですか、って誘ってみてもいいかな?」
「……! ええ、そうしていただけますと、助かります」
ミタマはほっとしたように笑った。




