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 ***



「ちょっと……もっと強く押さえて……っ」


 燭台に火が入り、うっすらと灯りの灯る御殿の一室。男と女はひとつの敷布に転がっていた。


「これ以上強く? きついんじゃないのか」

「いいの……! そのくらいきつくしてくれないと……!」


 アンナの息は上がり、顔には朱が上っている。苦しい。でも、この苦しさがやがて快感になることを彼女は知っている。


「百九十九……! 二百! あー! もう無理っ」


 そのまま敷布にあおむけで転がるアンナの両足を押さえたまま、ヨミは呆れたように溜息を吐く。


「……俺は、いったい何をさせられているんだ……」


 日課の柔軟体操と、筋肉トレーニングは風呂上りが一番効果がある。たとえヨミが来訪しようと、アンナは自分のスケジュールを変更する気は毛頭なかった。

 普段通りに敷布を敷き、柔軟体操を始めたアンナを、ヨミは呆れた顔で見ていたものだ。


「ありがとね、ヨミ。やっぱり男の人だからかな。力、強くて助かる」


 腹筋は、誰かに足を押さえてもらうと効果が上がる。ここに来てからはカノに手伝ってもらっていたのだが、彼女の力はアンナの足を押さえるのにはやや弱い。立っている者は親でも使え。その精神に則って、ヨミに自分の足を押さえてもらっていたのである。


(勿論、補助なしで筋トレできるのが一番なんだけどね……そこまではまだまだ)


 カノには下がってもらっている。彼女にとっては、ヨミも従うべき主であるのだろう。迷いもなく自室へ下がる様子に、アンナはカノのヨミに対する信頼度が高いことを感じ取る。


 ヨミはアンナの足から手を放すと、そのまま敷布に胡坐をかいて座りこんだ。


「お前は、毎日こういった訓練をしているのか」

「うん。そうしないと体がなまっちゃうでしょ」

「なるほどな。見上げた根性だ」


 ヨミの言葉に、アンナは笑みを零すことで答えた。些細なことでも、褒められるのは嬉しい。

 当初感じていたヨミへの威圧感や、恐れの気持ちはほとんどなくなっていた。

 男性と一つの敷布にこうして一緒にいるのも不思議な心持ちである。常ならば多少の緊張感は持ってしかるべきだが、どうにも気が緩んでしまう。

 ヨミの仕草や態度、口調に構えている様子は見えなかった。オウミの御殿で出会った不埒者とは違い、アンナにあれこれしてやろう、という下心も感じない。だからであろう、アンナも安心して警戒を解くことができる。

 気を張っていたからであろうか。疲労がたまっているのが分かる。発声練習をしないで声を張ってしまったものだから、喉も少しばかり傷めてしまった。明日はカノに頼んで、なにか喉に優しいものを整えてもらおう。

 そんなことを考えながら敷布に転がっていると、とろとろとした睡魔が襲ってくる。


「おい、まさか寝るんじゃなかろうな」

「……だめ? 私、今日頑張ったと思うんだけど」

「確かに、お前の今日の働きは目を見張るものがあった。だからこそお前に聞きたいことがあったんだが……その前に、これを」


 そう言って、ヨミは袖から木箱を取り出した。アンナは敷布から体を引きはがすと、両の手で木箱を受け取る。海老茶色の木箱には細かな木彫りが施されていた。随分と軽い。軽く振ると、中からからからと音がする。

 何かが入っているのだ。


「開けても?」

「勿論」


 それじゃ遠慮なく、とアンナは木箱をぱかりと開ける。

 中に入っていたのは、綺麗な琥珀色の塊である。親指の先ほどの大きさで、木箱の中にいくつも重なり合って入っている。


「これ、もしかして、飴……!?」


 一つ取り出して灯りに透かすと、きらきらと屈折した光が指先に散る。ほのかに香る甘い香りがアンナの鼻腔を擽った。


「花の蜜を固めたものだ。今日の褒美に、と思ってな」

「……めっちゃ嬉しい! 今、食べてもいい?」

「そのために持ってきたんだ」


 お言葉に甘えて、アンナは飴を口に放り込む。優しい、滋味に満ちた甘味が口の中いっぱいに広がり、喉を潤していく。生前の飴よりも柔らかく、舌で転がすたびにほろほろと溶けてしまう。


「美味し……!」


 自然と漏れ出た言葉に、ヨミは目を細めて満足そうに笑った。

 思いもかけない優しい笑顔に、アンナはどきりとする。今までこの男が笑っているところは何度か見かけた。しかし、そのどれもが皮肉気な笑みであったことは否めない。

 そんな男の心の底からの笑顔に、アンナも自然と笑顔になる。


「疲れているところ申し訳ないが。少しだけ話を聞かせてくれないか」


 美味な差し入れに、極上の笑顔も見せてもらった身である。否を言うのは人の道にもとると言うものだ。

 アンナは頷くと、敷布の上に座り直した。



「単刀直入に聞くが。なぜ分かった?」

「なぜ……って、何が?」

「今日のことだ。男を見て、すぐに矢を射たものだと断言しただろう。宮の者はお前の後ろには第三の目がある、とまことしやかに噂をしていたが……」


 ヨミはまじまじとアンナを見やる。


「俺はその場にいたからな。お前が射られたときに正面を向いていなかったことを知っている。噂を信じたわけではないが、不可解だ」

「あの時の事ね。あ、……飴食べながらでもいい?」


 ヨミは肩を竦める。その仕種を諾と捉え、アンナはもうひとつ飴を口に放り込んだ。

 行儀が悪いと思われてしまうかもしれないが、この飴の美味さの前では行儀など気にしていられない。何しろ、喉の痛みに効果覿面なのである。


「あの人、平籍だったでしょ」


 アンナの言葉に、ヨミは目を丸くする。


「……まさにその通りだ。しかし、どうやって分かった?」

「服の着方と、雰囲気で」


 アンナはその時のことを思い出す。

 あの場に集まっていた神籍のものは武官と違い、揃いの衣を着ていたわけではない。しかし、人間観察が得意のアンナである。特に集団の中で違和のあるものに気づくことなど造作もない。


「前、官女の違いのときに、彼女たちは化粧を使い分けてるって言ったと思うんだけど。それとおんなじ。平籍と神籍も多分、無意識下で衣の着方が違うの」


 アンナは飴を転がしながらヨミの衣に目をやった。


「神籍の人たちは衣の襟の抜きが深いのね。多分、衣の下に着ている襦袢……でいいのかな? 下の衣の襟の色を見せるためにそうしてる。でも、平籍は違う」


 ヨミの衣も襟の抜きが深い。襟の色も同じ黒だが、恐らく素材が違うのであろう。黒の明暗が分かれていて、情緒のある着こなしだ。基本的に神籍の者は洒落者である。


「平籍の人たちは、衣をきっちり着てるの。襟も抜かない。衣そのものは同じ作りだけど、着方が違う。あの男も一生懸命衣の襟を抜いて、着こなそうとはしていたけど……。慣れていない着方をすると、違和感が出ちゃうものなんだよね」


 アンナは敷布に転がると、ヨミを見上げた。

 さらさらの黒い髪が黒の衣の上で揺れている。彼は顎に手を添え、何かを考えこんでいるようであった。


「衣の着方は分かった。では、雰囲気とは?」

「うーん、それはなんというか、勘としか言えないんだけど」


 ごろごろと敷布の上を転がりながら、アンナは言葉を口に乗せる。


「ヨミはさ、人に見られているときに、なんとなくこの人は自分に害を与える人だ、って分かるとき、ない?」


 問いかけると、ヨミは首を傾げてしまう。


「……目の前の者が腹の底で何を考えているか、ということか?」

「そう」

「それで言うと、気にしない、と言った方が近いだろうな。実際に害があれば排除するだけで、目の前の者の心のうちを考えたことはない」

「……ふーん」


 思わずじっとりとした視線を向けてしまったアンナである。その視線に気づいたのであろう、ヨミはきょとんとアンナを見返したものだ。


「なんだ?」

「ううん、無自覚なんだなって」


 先ほどヨミが言った言葉は、一部の支配階級にしか言えない言葉だ。

 生前のアンナは、こういう発言をする人たちを知っていた。大物俳優、有名プロデューサー、著名な脚本家……。発言力も影響力もあり、一声で業界をひっくり返せる力の持ち主だけが持てる、一種傲慢な意見である。

 しかし、アンナは違う。

 有名な親を持つことで気苦労が多かった。自分にすり寄ってくる人が、自分自身に対しての興味なのか、それとも親に目を掛けてもらうためなのか。幼い頃から他人の人となりを穿って見ていた人生である。だからこそほんの少しの言葉回しや所作で、相手の考えていることや狙いを見抜く力が育ったと言ってもいい。

 自分を害する人を素早く察知し、遠ざけ、煙に巻く。


 アンナのこの能力は、立場の弱い者だけが有する処世術である。


 自分自身に害を与えられることは、親の経歴に傷がつくことと同等だ。アンナが傷つけば親が傷つく。その親の名誉にも泥を塗ってしまうことになる。そんなことはアンナの矜持が許さなかった。

 発言力もあり、影響力もあるのは親だ。アンナ自身の力ではない。そしてその親の唯一の弱点がアンナである以上、彼女は注意深く振舞う必要があった。

 著名な親を持つ二世の子役。

 その事実はアンナを慎重にさせていた。だからこそ、率直に「気にしない」と言えるヨミのような人物が眩しく見える。

 しかし、これで分かったことがある。


(ヨミは、ただの護衛じゃない)


 目の前の麗人は、自らの発言で白を黒と言い換えることができる力を有している。アンナのような処世術は、この男には不要なのだ。


「……お前が何を言っているかは俺には分からん。しかし、お前が言うことは信頼できる」


 そういうと、ヨミは置いてあった木箱から飴をひょいと摘まむと、自らの口に放り込んだ。


「あー! 私の飴!」

「まだ沢山あるだろう」

「私へのご褒美でしょ?」

「そうわめくな。また持ってきてやる」


 それなら、まあ……と口を閉じたアンナに、ヨミは呆れたように笑みを零す。


「そんなに気に入ったのなら、今度別の味も持ってこよう」

「本当!?」

「ああ。……今日はすまなかった」


 唐突に謝られて、アンナは目を瞬かせた。ヨミは笑みを消すとアンナの頬に手を添える。一の字に走った鏃の傷を、親指の先でそっと撫でた。


「あのような儀礼祭典の場で、不埒なことをする者はいない。その思い込みがこの傷を作ってしまった。すまない」


 真摯な声色。黒々とした瞳に自分の顔が映り込んでいる。急に恥ずかしくなって、アンナはぱっと顔を背けた。敷布の上をごろごろと勢いよく転がると、十分に距離を取って起き上がる。


「いっ……いきなり触るのは、よくないんじゃないかな!?」

「そうか、それは重ねてすまない」


 対するヨミはひょうひょうとしたものだ。


(なに、今の!)


 止まっているはずの心臓がばくばくと鳴っている気がする。心なしか顔にも朱が上っている。


(待って、ちがう。これはそういうのじゃないから!)


 不覚にもときめいてしまった。アンナとて十八歳。淡い恋のひとつやふたつは経験があるが、如何せんそこも二世の悲しい性である。慎重さと頭の回転の速さが彼女の恋路の邪魔をして、生まれてこの方プライベートで男性とのお付き合いをした経験がないのである。

 端的に言うと、耐性がないのだ。


(でも、ちがう! ちょっとびっくりしただけだから!)


 アンナの態度に何を思ったのであろう、ヨミは面白そうに目を見張り、ややあって笑った。

 そろそろ、と立ち上がったヨミは衣を整える。帰り支度を始めるヨミをぼんやりと見つめていたアンナは、はたと思い立って声を挙げる。


「そうだ、ヨミ」


 アンナの呼びかけに、ヨミは視線だけで「なんだ」と問うた。


「私、冥界の街に出てみたいんだけど」

「街に?」


 ヨミは訝し気に眉を寄せる。


「うん。あとは、各宮も回ってみたい。もう少し、冥界や冥府のことを知っておきたいの。まだこっちの常識とか、考え方とかが分からないから。……だめかな」


 遠慮がちに尋ねると、ヨミは逡巡しているように見えた。顎に手を添え、思い悩む姿に、やはり軽率な提案であったかと落胆を覚える。


「……いいだろう」

「本当!? やった!」


 思いがけず返ってきた諾に、アンナは手を打って喜んだ。


「その前に、俺からも頼みがある。明日時間を作ってほしい。そうだな……午前中でいいだろう。宮城や街の視察は、そのあとだ」

「分かった、カノに伝えておく」


 ヨミは満足そうに頷いた。

 アンナは御殿の入り口までヨミを見送ると、帰路に就く背中を見守った。こちらを振り返りもせずに歩く姿はたちまち夜の闇に溶け込み、曖昧になる。


「明日か……」


 明日もヨミに会えるのだろうか。そんなことを考えると、ほんの少しだけ胸が温かくなる。その感情に気づかないふりをして、アンナは手元に忍ばせていた飴を口に放り込んだ。

 甘い、花の香り。このざわざわとした興奮にも似た気持ちは、飴の美味さのせいだ。自分を納得させて、アンナは御殿の中に戻る。

 気にしたことはなかったのに、今はその御殿の広さが妙に寂しく感じられた。



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