6日目「抱擁と伝説は比例する」
『客足を増やす』ということは簡単ではないとは元より思っていたが、まさか『プロスタシアに入る』というスタートラインにすら立てないとは想像すらつかなかった。別に昨日の門番を恨んでいる訳でもない。仕事を全うしただけのこと。これも機会と考えるのが最高だった。
ざわめく木々の中を、枝に当たらないように潜りながら歩いていく。しかし、太陽は恥ずかしいという訳でもないのに顔を出さずに雲に隠れてしまっており、代わりに小さな涙のように小雨が降っている。
いつまでも流れに逆らわず、風の靡く方に、自前の傘は揺れていく。
「あっ……少し晴れ……てないか。まったく、いつまで続くんだ、これ。明日には晴れているといいか」
『俺』は少々ぬかるんだ地面を軽く、綺麗な洗濯したばかりのコートに泥が跳ねないように一歩を踏み出していく。虫も特におらず、寂しいようで嬉しい森の獣道は終わりを迎えた。
なぜなら、道の向こうにはある一つの大きめの家が。少し暗いためか、明かりがついてるのが外からでも分かる。
「……こっちにお邪魔するのは、久しぶりっちゃ久しぶりか。……今入っても大丈夫なのか」
ついにその家の前につき、扉をコンコンとノックする。
すると、雨の音の中に混じって家の中から『はぁ~い』と軽やかな返事が聞こえた。
一歩、また一歩が軽快なリズムを刻みながら、古くも新しくもない木の扉越しに聞こえてきて、ついにその扉が開かれた。
そして沈黙を破ったその扉の軋む音の向こうに一人の白い服を着た女性が。自分よりも大きく、目を惹き付けられるしなやかな身体には、狼のしっぽが見える。
そして目と目があった。淡くて、まるで日中に輝く綺麗な海みたいな色の瞳。見上げる瞳と見下げる瞳が同じものを見ている。
そして、目の前の女性が口を開く。
「……あら?」
「…………」
久しぶりの再開。と言っても、数年単位の再開ではないけど。『おかえり』、『久しぶり』、そんな単語を期待して──
「……誰かしら?」
「……なっ!?!?」
「……ふふっ、冗談よ~。お姉ちゃん、久しぶりだからって忘れたりしないわ~。ね、おかえり。なんだか見違えちゃった、アレクくん」
「はぁ……よかった。ともかく、お久しぶり、そして、ただいま、"シロさん"」
家に快く入れてもらい、靴を脱いでリビングに。家具や用具、微かに香るさわやかな木の匂い。キッチンには大きな鍋や、テーブル、四つの椅子。
しかし、すべてシロさんサイズのためとても大きく椅子に座っても足がつかない。
「さっ、積もる話もあるだろうけど、お姉ちゃんこれからお夕飯の準備なの。だから少しだけ待ってて?アレクくん。」
「手伝いますよ?一人分多くなりますし……」
「いいのいいの~。アレクくんは椅子に座ってて~」
「ですが……」
「も~いいのっ!お姉ちゃんに任せてっ!あと、敬語もめっ!そんなよそよそしくしなくていいのよ?」
「……分かった」
「うん!よろしい~」
そう言うとシロさんはキッチンへ向かっていった。リズミカルに野菜を切る音と、湯をグツグツと沸かしてる音が聞こえる。どうやらスープを作ろうとしているようだった。
「…………」
特に、何もすることがない。だけど、とても心地がいい。柔らかい雰囲気と、キッチンから聞こえる音が心を優しく包み込んでくれているようだった。
寂しさも、悲しさも、気持ち悪さも、ここにはなくて、ただ心が安らぐ不思議な場所。俺にとっては、この世界における第二の家と言っても過言ではない。椅子に座りながらふとそんなことを思った。
「…………」
長い長い沈黙。そんな中、シロさんの方を見る。料理してる大きな背中。まるで母親のようだ。
シロさん。……そういや、身長は220cm越えてるとか、言ってたっけか。狼系の亜人だと、とても身長の高い方、か?
いや、どうなんだ?確かに接客してきた亜人も軒並み身長が高かった。明確な身長は知らない。測ったことがないから。しかし、どんな亜人も基本的には2mを越えてるように見えた記憶がある。
獣の耳、尻尾……竜の鱗、瞳……毛皮、脚、翼、体格。人間とファンタジーな生物の特徴を足したような姿、声、なのに行動や発言は己の信念や思考、生物としての本能に従ったもの。
ならば、普通はもっと暴れるのもあり得なくはない。それでも自制心が皆強いのだろう。
しかし、いつかそれも限界が来るということ。それは知っている。
でもシロさんにはそんなものは一切感じさせない。会った時から、ずっと。ふさふさでよく整えられた狼の耳と尻尾は揺れるばかりで、野性的な側面など見たことがない。
それどころか、優しく、おしとやかであり、むしろ本物の、実在しないはずの『自分を弟のように甘やかしてくるあまあまお姉ちゃん』のような──。
「……って、何考えてんだ俺……」
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過去に、ここで長くお世話になった。
「思い出すな……初めて来たとき」
どれくらい前だったか。数ヶ月前かそれくらい。
目が覚めた時は、この家で、木の木目が見える、記憶にない天井が第一に視界に入った。それがこの世界で目覚めて初めて見た景色だった。ベットは思いの外フカフカで、寝心地が良かったのをじんわり感じた。
その時は、「何の理由もなく、目が覚めたら知らない場所」なんて、信じたくない事実でもあった。今はもう受け入れてしまっているが。
家に帰りたい。
会えない家族に会いたい。
そんな後悔は今もしている。
吐いて、吐いて、仕方がなかった。
帰りたい。帰して。枕を涙で濡らして。
泣きじゃくった夜。何もすることができないベットの上で、胃から出てくる液体を奥に戻すどころか吐き出して、身体の奥の奥が握りつぶされるような寒さに取り憑かれてどうしようもなかった。
「……ああ…思い出すだけで、身体が、寒い」
全身が氷のように、下からジワジワと暖かいはずなのに冷たい。周りの気温は全て冷やされて、俺に突き刺さってるみたいだ。
よくない。
過去を思い出すだけで身体が強ばるなんて。
どうせもう全部失ってるというのに。
寒い、寒い、寒い、寒い……
「……あっ」
意識が戻ってきた。ふわりと、後ろから暖かい熱が。しなやかで穢れを一切知らないような白い肌の腕が、包み込んでくれた。
腕の主はシロさんだった。リビング全体に出来立てのスープの香りが漂い、氷のようだった身体が溶けていくのを感じる。
「……考え事?お顔、真っ青だよ」
「……大丈夫。心配、かけた」
「いつでもお姉ちゃんのこと、頼っていいんだからね?一人で背負っちゃだめ。もっと甘えて欲しいんだから」
「……ははっ、考えておく」
「前向きに、ね?」
『ふふっ』と笑ってくれるシロさんの笑顔に救われる。吐いたあの日も、シロさんが一生懸命に介護してくれた。
『大丈夫、大丈夫。私がいるから。何も怖いものはないの。あなたを脅かすものも、貶すものも一つも。だから今だけは、私の音を聞いて……』って、不思議な安らぎを持つハグをしながら言ってくれた。あれにどれほど救われたことか。
「今日は良いお野菜がたくさん採れたのよ~。だから、このスープはとっても美味しいと思うわ」
「そう……なんだ」
スプーンを手にとって、ほかほかと湯気が立つスープを掬い、パンと一緒にパクッと一口。
「……美味しい。やっぱり、美味しいな」
「ふふっ、ありがとう。ゆっくり食べてね?あっ、ガラットもまだあるわよ~」
ガラットは所謂固めのパンのこと。
スプーンは止まらず、喉に血のようにスープが流れていく。自分で作るよりも圧倒的に美味しいし、今の俺にはとても染み渡るものだった。
「……なんだか、そうやっていっぱい食べてくれているところを見てると、お姉ちゃん思い出すわ~」
「何を?」
「アレクくんが初めて私たちと会った日。あの時はとってもビックリしたんだよ?だって、只でさえ見ない人間の男の子が海岸に打ち上げられていたんだもの。しかも息がないと来たら……」
「あはは……」
シロさんは懐かしさを感じたようで、そのまま優しい口調で話す。
「頑張って介抱して、目が覚めたと思ったら暴れだして気絶しちゃうんだもの。でも、落ち着いた時にご飯を上げたら、いっぱい食べてくれて、お姉ちゃん嬉しかったの」
「……あの時も、スープだったかな。今日みたく、こうやって染みるようなスープを一口、また一口と。"ティーネさん"も"ミィ"もいて、より賑やかだったから、より美味しく感じた」
そんな感じで、賑やかで二人きりの会話がどんどん盛り上がる。
怯えていたけど少しは甘えてくれたこと、まるでホントの姉のようで初めての感覚だったこと……。
そして、何でも屋を開店したはいいものの、客足が乏しく、『プロスタシア』に入ろうとすれば止められてしまったこと、様々。
「あらあら……だから今日うちに来たのね?そういうことなら、お姉ちゃん、力になれる自信があるかも」
「ホント!?」
「ふふっ、落ち着いて?演じている割にはいつもの口調が出てるわよ?」
「あっ……んんっ。……まぁ、気にしないでくれ」
「安心してるのね。嬉しいことこの上ないわ」
「……ああ」
ともかく、当初の目的であった『自身を人間だと証明してくれる人物を見つける』ことは達成した。……自信があるかも、というのはよく分からないが。
「……そういえば、アレクくんはプロスタシア、まだ行ったこと無いんだっけ?」
「……そうだな」
「じゃあ、お姉ちゃんがいっぱい案内してあげるわ~。ティーネもミィも数日間は居ないし、お姉ちゃんに1日頂戴?」
「……ほどほどに頼む。ところで、二人はどうして居ないんだ?」
「ん~っ……そうね。ティーネはちょっとよく知らないわ。あっ、ミィは多分、遺跡とかに行ってるんじゃないかしら~。あの子、大のお宝好きだし」
そんな話も皿のスープと共に終わった。口の中にはまだ暖かさが残っていた。スプーンを置いて、手を合わせる。寒さはない。じんわりと身体の奥から温かくなったようだった。
「……ごちそうさま」
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「で」
「で?」
「なぜ?」
「なぜって、どうしたの?お姉ちゃんのことじっと見て。あっ、もしかしてお姉ちゃんの顔に何かついてるかしら?」
「いや、そうじゃなく。」
「?」
「───なぜ添い寝されてるんだ……?」
時刻は明確には分からないが、辺りは暗く、街灯すらない暗闇の外は、もう何も見えなくなっていた。小さくも輝いて見える月はまるで一番星のように目立っていた。
俺はもう寝ようとしていた。シロさんに頼み、明日の昼頃に向かおうと、そういう約束。
また、今日はもう遅いため、部屋を借りることにした。部屋は以前、俺が使わしてもらっていた部屋と同じ部屋で寝ることに。シロさんにはシロさんの部屋がもちろんある。
「ベッドあるよ……な……」
「え~?お姉ちゃん知らないわ~?」
「いや、嘘だろ!?」
するとシロさんはまた『ふふっ』と、笑って、話す。それは少し寂しそうに、または嬉しそうに真後ろから声が聞こえる。どんな顔をしながら話しているかは分からないが。
「お姉ちゃん、ちょっと寂しかったのよ。アレクくんが自立しちゃって、一人減っちゃったんだもの。だから今日は、その分の寂しさの埋め合わせ。……お願い、出来ないかしら?」
「…………はぁ。分かったよ……」
「やったぁ♪アレクくんはやっぱり、こうやって抱き枕にするのがいいわね~」
「…………」
仕方ないが、飲むことにした。
後ろからはふんわりといい匂い。花のような、それでいて爽やかで心地のよいもの。添い寝……というより、俺は抱き枕にされているが、そんなことを考えるより、疲れから瞳が勝手に閉じていってしまっていた。
手から、足から、力が抜け、瞼に重さが。そして意識をいつの間にか手放し、深い眠りにつくことになった……。
「……おやすみ」
「……おやすみなさい。今日は、いい夢が見られると、願ってるわ……」




