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藤咲天音と布団の中で、

 肩までお湯に浸かり、ふぅー、と細く長く、体の中の邪気を追い出すようにため息をつく。少し熱めに設定したお湯が体中の細胞に染み渡って気持ちがいい。


 リラックスをすると、空っぽになった頭の中に先ほどの光景が浮かんでくる。


 華奢な体でソファに押し倒され、ふっくらとやわらかい唇が私の唇に触れた。今度は私が上になって深いキスをした。舌を藤咲さんの中に滑り込ませると優しく受け入れてくれて、息をするのも忘れるくらい夢中になった。


 その感覚はまだ鮮明で、記憶と現実が混同して今も彼女と触れ合っているのかと錯覚してしまう。


 藤咲さんが触れた場所を指で軽くなぞってみる。指と唇とでは全然違うな、なんていうあたりまえのことを考える。


 あの感触はきっと、他の誰でもない、藤咲さんの唇でしか再現できないだろう。

 他の唇を知っているわけではないけれど、あれは唯一無二だ。それほどまでにやわらかくて温かく、私に馴染んでいた。


 初めてのキスだった。


 人生で一度しかないファーストキスを、私は藤咲さんに捧げた。いや、奪われたというべきか。どちらにせよ、私は一生記憶に残ることをしたのだ。


 藤崎さんは朝起きたら今日のことを覚えているだろうか。覚えていてほしいと思う反面、忘れてほしいという気持ちもややあった。


 初めてのキスは藤咲さんからしてくれたのもあって私にとっては嬉しい記憶となった。もちろん、彼女からしているのだから嫌々でもないだろう。

 でも、そのあとの行為については彼女がどう思ったのかはわからない。されるがままになって本当は嫌でした、なんて言われたら私はすぐにベランダから飛び降りる自信しかない。


 いくら考えたって真偽は定かではないが、すべて杞憂に終わるのだろう。泥酔すると記憶をなくすとも聞くし、藤咲さんはきっと覚えていない。


 そんなことを考え思い出していると、また顔が熱くなる。これはお風呂の熱さじゃない。のぼせるような温度でもないのに、額から変な汗が吹き出してのぼせそうになる。


 私はお湯に浸かったのも束の間に、栓を抜いて早々にお風呂を出ることにした。



 髪を乾かしスキンケアなどもすべて終えて自室へ戻ると、私のベッドでは藤咲さんが寝返りも打たず、連れてきた時の姿のまま寝息を立てていた。


 私はカーテンの隙間から漏れる月明かりに照らされた部屋を突き進み、藤咲さんが眠るベッドに入った。


 ベッドに潜ると、布団の中は彼女の温もりで暖められていた。ゆっくりと体の力を抜いていくと、全身が沈んでいく感覚に陥る。沈み切ったところで頭だけを動かし、藤咲さんの方を見る。


 スヤスヤと眠るその横顔がとても愛おしい。


 さっきまであんなことをしていたとは思えないほど、私の隣で気持ちよさそうに眠っている。そのことを思い出すと顔が熱くなって、理性がどこかへ飛んでいきそうになる。私は慌てて彼女に背を向けるように寝返りを打った。


 初めてだったというのにいとも簡単に奪われて、ムードの欠片もなかった。それでも嫌ではなかった。むしろもっとしたいと思うのは、私のこの気持ちのせいだろう。


 私は飛んでいきそうな理性を抑え、跳ねる心臓を落ち着かせて彼女の方へと向き直る。


 結局この気持ちを伝えられないまま彼女は寝てしまった。タイミングを逃してしまったそれは、いつ言うべきか私には教えてくれない。


 藤咲さんの温もりを感じながら、布団の中の彼女の手を手探りでそっと握る。


 私に握られたその手は小さくやわらかくて、少し力を入れれば簡単に壊れてしまいそうだった。


 繋がれたてのひらから藤咲さんの体温が直に伝わる。今でも気を抜けば理性が飛びそうになってしまう。キスした相手が、好きな人が隣で無防備に寝ているのだから当然だ。でも寝込みを襲うほど私も野蛮ではない。


 藤崎さんの顔を見るとドキドキする。


 藤崎さんの髪から漂ういい匂いが私の鼻孔をくすぐってドキドキする。


 繋がれた手が温かくてドキドキする。


 一つのベッドで一緒に寝ているという事実にこれ以上ないほどにドキドキする。


 改めて意識すると、自分でも呆れるくらいに藤咲さんのことが好きなんだなと自覚する。


 藤崎さんのことが好きだ。とてつもないくらい好きだ。声に出して叫びたいくらい好きだ。

 でも本人に伝える勇気はもうない。小さじ一杯程度の勇気を振り絞った一世一代の告白も失敗に終わってしまった。


 明日からの私はどうなるのだろう。気持ちを伝えられないまま藤咲さんを返してしまっていいのだろうか。


 そもそも、彼女のいない生活に耐えられるのだろうか。たった三日しか一緒にいなかったというのに、私にはもうすっかりその生活が板についてしまっていた。


 ただいまと言ってもおかえりと返ってこない家を想像するだけで胸が締め付けられる。でも寂しいのは最初だけで、きっとすぐに慣れてしまうのだろう。もともとはずっと一人だったのだから。


 一人の生活には慣れている。

 もとの生活に戻るだけなのだから何も心配はいらない。


 そんなことを考えていたら、繋がれた手がキュッと小さく握られていることに気付いた。


 ――離したくないな……。


 私は握られた手に少しだけ力を入れて、強く握り返した。


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