後
隣国の公爵令嬢に見初められたベルナードは隣国の学園に入学して彼女の家に婿入りすることになった。サルエル侯爵家からの申し出で両家の合意の元、婚約はあっけなく解消された。
一時はすっかり落ち込んで周りから心配されたセレンだったが「ベル以上に素敵な男性と恋をして幸せになる」と復活し、貴族たちが通う学園への入学に備えて張り切り始めた。アリアと両親は「セレンらしいわ」と笑ったが、兄だけはアリアにこっそりと「ベルのためにもこれで良かったよ」とこぼした。
学園に入学するとアリアはSクラス、ライルとセレンはAクラスに分かれた。優秀な生徒たちが集められたSクラスは身分も成績もずっと上の生徒たちばかりで。慣れるまでの2ヵ月間アリアは毎日疲れきり、婚約者のライルと会ってもセレンと一緒に学園生活を楽しむ彼とだんだんと話がかみ合わなくなっていった。
ライルとのすれ違いは寂しかったが。クラスメイトたちや隣国から留学して来たコルティーナ・ソネット侯爵令嬢とは仲良くなり、彼らにはずいぶんと助けてもらった。
ある日、ゆとりができたアリアは久しぶりにライルをランチに誘いにAクラスを訪れた。ライルは快く承諾してくれたが、一緒にいたセレンが当然のように付いて来ようとするのにもやもやしたものを感じた。
「セレン。申し訳ないのだけれど、ライルとは久しぶりに会ったし話したいことがたくさんあるの。今日だけは2人にしてもらえないかしら?」
「何よ、私とライルはいつも一緒にいるのよ。私だけ除け者にするなんてひどいわ」
「まあまあ。久しぶりだし、3人で一緒に食べよう」
うっとうしそうな顔で“自分がライルと一緒にいるのは当然だ”と主張するセレンにむっとすると、ライルもまたセレンを優先する。その仲睦まじい姿にアリアはこの2カ月間でできた溝を感じて胸がじくじくと痛んだが、Aクラスの生徒たちに好奇のまなざしで見られているのに気づいてぐっとこらえてうなずいた。
その後もセレンとライルは隣同士で座り、2人にしかわからない話で盛り上がった。その後も何度かライルを誘ったが、いつも当たり前のように付いてくるセレンと2人で仲良く過ごす姿を見て、アリアの心はむなしさでいっぱいになった。
(ライルはやっぱりセレンを信じているのね……)
入学して最初の頃はライルはいつも疲れきったアリアを心配し「何か困ったことがあったら頼ってくれよ」と励ましてくれたが、だんだんと寂しげな顔をするようになって「いつも忙しいんだな。まあアリアは優秀だからしょうがないよな」と距離を置くようになった。
そんなライルを見かねたセレンは「もっとライルを大事にしてあげて、彼の想いに応えてあげなさいよ!」とたびたび注意してきた。最初は素直に聞いていたアリアだったが、次第にセレンが“恋人たちの愛”とは“お互いを一番大切な相手として、いつも深く想い合う”という身勝手な自論をさも正しいといわんばかりの口ぶりで押しつけてくるのに苛立ちを覚えるようになった。
そして、ある日。いつもの説教をしてくるセレンに我慢の限界に達し「私だってライルが好きだしもっと会いたいわ! でも、今はこれが精いっぱいなのっ。あなたの思い込みを押しつけないでよ!!」と怒鳴りつけてしまった。
セレンは「アリアもそんなこと言うなんて、ひどい!」と泣きながら飛び出していき、それ以来アリアを無視するようになった。ライルもアリアと会うと気まずげな顔をして避けるようになった。
きっと今日の様子を見るにセレンは信頼するライルに泣きつき、ライルも傷ついたセレンと一緒にいるうちに、婚約者のアリアよりも気にかけるべき大切な存在になったのだろう。
ライルは友人のような存在で、セレンがベルナードに向けていたように熱烈な感情は持っていない。でも、かわいそうなセレンにだけ心を向ける彼とそれに当然のように受け入れるセレン、そんな2人を応援し自分に侮蔑の視線を向けるAクラスの生徒たちに心がすり減り、澱んでいく。
どんよりした気分で過ごしていたある日、心配したコルティーナに声をかけられ寮の彼女の自室に招かれた。
彼女が母国から持ってきたという自慢のハーブティーは母が作るものと似ていて。そのなじんだ味と聞き上手なコルティーナに、ライルとセレンとのことを打ち明けていた。聞き終えるとコルティーナは普段被っている淑女の仮面を投げ捨てて、憤怒の形相を浮かべた。
「アリアが自分をかまってくれなくて寂しいからすり寄ってきた妹と浮気したあげく、邪魔者扱いしたですって!? そんな人でなしども、私が消し去ってきてあげるわっ!!」
「お、落ちついてティーナ。怒ってくれるのは友達としてすごくうれしいけれど、あなたが危ない目にあうのはダメ!!」
透き通るような銀の髪に水色の目の可憐な妖精のようなコルティーナは、一族が生業にしている薬の素材の魔獣を自分で狩ってくる凄腕の魔術師だ。今にも自慢の魔術で2人を跡形もなく消し飛ばしに行きそうな勢いの彼女を慌ててアリアがなだめると、コルティーナは怒りを含んだ声で続けた。
「もうっ、アリアは優しすぎるのよ。その妹とやら、アリアが忙しいのを知っていて婚約者が寂しがっていてかわいそうだなんて、いかにも善い人ぶってあなたを精神的に追い詰めたあげく、婚約者にすりよってまんまと奪いとるなんてとんだ性悪ね。それに、あなたの婚約者も疲れきっているあなたから逃げたあげく、妹が吹きこんだくだらない“恋人との愛”を言い訳に浮気を楽しんでいるなんて最っ低!!」
コルティーナの辛辣な言葉に、心に澱んでいたものが形になってすとんと納得した。
この2ヵ月間。セレンとライルは毎日を楽しんでいて、いつもアリアにも自分たちの楽しい話をして幸せそうに笑っていた。しかし、2人がアリアの話に耳を傾けてくれることは一度もなかった。
(そっか。私、邪魔だったんだ)
この2ヵ月でライルとセレンは“お互いをいつも一番に想いあう”関係になったのだ。だったら、本当の愛とやらで結ばれた2人の間に自分が入る余地なんてあるはずがない。
そう冷静に考えて納得する自分にアリアは苦笑いした。思っていたよりも2人への情も期待もすり減ってなくなっていたらしい。
「ありがとう、ティーナ。あなたのおかげで、すっきりしたわ。……私にはセレンが言う“お互いを一番大切な相手として、いつも深く想い合う”というのはまったくわからないし、ライルのことをそんなに真剣に想ったことはなかった。セレンに負けるのも当然ね。あの子はいつも全力だから」
「そんなことない。私は婚約者と過ごす時間は幸せだと笑っていたあなたの“愛”が好きよ、アリア」
立ち上がったコルティーナがそっとハンカチをアリアの目元に当てる。それでアリアは自分が泣いていることに気づいた。そして、辛かった時を一緒にいてくれて、婚約者のライルや妹のセレンがついにくれなかった言葉をくれた彼女の言葉についに涙が溢れて止まらなくなった。
「アリア、私はね。辛い時には私に甘いお兄様とお姉さまに泣きついてう~んと甘やかしてもらうわ。その分、ちゃんと恩返ししているつもり。……ちょうど良い機会だし、我が家秘伝の甘やかしをあなたで試させてちょうだい」
そう言ってコルティーナは泣きじゃくるアリアに寄り添ってくれた。
―――
コルティーナに溜まっていた本音を吐きだしてすっきりしたアリアは、前から相談にのってもらっていた兄にライルとの婚約解消を打ち明けた。兄はセレンを止められなかったことを謝り、婚約解消に力を貸すと約束してくれた。
「アリアも俺もあいつにはきちんと情をもって接していた。だが、あいつは愛とやらを言い訳に自分勝手に振るまって、俺たちを良いように利用してきた。あいつの言う愛とやらがわからない俺たちがこれ以上あいつの尻拭いに付き合う必要はない。おまえには悪かったが、あいつにとっては自分を理解できるライルだけが大切な人間で、他はどうでも良い存在なんだと、よくわかったよ」
淡々と語る兄の目は冷え切っていて、アリアはひょうひょうとしている兄に家族の情を捨てさせたセレンに薄ら寒いものを感じた。同時に兄の言葉に納得するものもあって。アリアもまたセレンと距離を置くことにした。
機転の利く兄の協力のおかげで、久しぶりにセレンに邪魔されることなくアリアはライルと2人で会って婚約を解消した。ライルは「これからも友人としてよろしくな」と寂しそうに笑ったが、アリアは作り笑いを浮かべて「あの子が許してくれたらね」と返した。立ち会った兄には「いつもセレンに言い負かされて泣いていたおまえも言うようになったなあ」とからかわれ、アリアは「これがティーナに教わった淑女の仕返しなのよ」と胸を張った。
婚約を解消してからは、アリアはコルティーナと新しくできた友人のフォルテとともに忙しくも充実した日々を送るようになった。
フォルテ・コーディ伯爵令息はコルティーナの幼なじみで、一緒に留学して来た生徒だ。赤みがかった茶色の髪にくりっとした濃い榛色の目をした彼もまた同じクラスメイトで毎日会っているが、いろんな意味でいっぱいいっぱいだったアリアはあまり覚えていなかった。正直に謝ると彼は眉と目と口をめいいっぱい開いてショックを表し、その表情があまりにもおかしくてつい吹きだしてしまい、すっかり打ち解けた。
フォルテは普段はお調子者だが好きなことには熱中する気質でアリアと気が合った。3人で時には共通の趣味の植物学について熱く語り合い、出てきたアイデアを活かして試作品を作って見せ合い、日常の他愛のない話でいつまでも盛り上がった。陽気な2人といるうちにアリアは隣国の生活に憧れるようになった。
幸せな日々はあっという間に過ぎて、コルティーナとフォルテが帰国する日が近づいてきた。せっかく親しくなった友人たちと離れるのを寂しく思っていると、2人に「アリアも一緒に来て」と誘われて、心が弾んだ。
(私、フォルテとティーナともっと一緒にいたい。2人みたいにもっと広い世界を知りたい)
物知りな2人と話しているうちにアリアは自分が狭い世界しか知らないと恥じ入り、彼らのようにもっといろんなことを知りたいと望んでいた。植物学の研究が進んだ隣国で最新の知識を学べば伯爵家とそれを継ぐ兄のために役に立つし、何よりフォルテが教えてくれた場所や彼が好きなものを見てみたい。
そう思ったとたん胸にほんわりと火が灯る。その熱に浮かれるように急いで決意を固めたアリアはなぜかにやにや笑う兄に応援され一緒に両親にお願いしに行った。父は心配そうにしていたが、この国に留学したことをきっかけに嫁いだ母は「アリアは本当に私に似たわね。頼りになるお友だちもいることだし、しっかり学んで楽しんできなさい」と大喜びし、母国の実家と連絡を取ってアリアの留学の手続きを進めてくれた。
アリアの決意をフォルテたちは喜んでくれ、クラスメイトたちも「寂しいけれど、がんばって」と背を押してくれた。アリアは思っていたよりも大勢の人たちに応援してもらえたことをうれしく思い、彼らの優しさに心から感謝した。
しかし、その喜びはセレンが押しかけてきたことで曇った。
「ちょっと、留学するって本当なの?」
その時アリアは工房にこもってコルティーナへ渡すポーションを作っていた。強引に入ってきたセレンにそっけなく言い返す。
「忙しいの。出て行って」
アリアの拒絶にセレンは驚いたように固まったが、バカにしたように喋り出す。
「何よ。ライと婚約解消して学園にいづらくなったからって、わざわざ隣国に留学するなんて! まさか、あのフォルテとかいう男に浮気したんじゃないでしょうね?」
時間の無駄だとセレンの嫌味を無視していたが、おぞましい妄想に友人のフォルテの名前を使われてぷつんと切れた。
「二度とそのくだらない妄想で私の大切な友だちを貶めないで。今日はあなたに関わって無駄な時間を使わされたくないから見逃すけれど、次に同じことをしたらお父様とお母様に“私があなたに対して思っていること”を全部言うから。……あなたもやっと愛する人と結ばれたのだから。わざわざ私のところに来ないで、恋人と過ごせばいいでしょ」
セレンは途中までは小ばかにしたように薄笑いを浮かべていたが、アリアの脅しに悔しそうに口をつぐんだ。アリアはあからさまに自分を見下すセレンにうんざりした。
(ますます悪化して手が付けられなくなっているわね……)
両親はアリアが婚約解消を願った時に、アリアを裏切ったライルとセレンに激怒した。しかし、これ以上セレンたちに関わりたくないアリアが自分と家の名誉のためにも“2人を応援する”という美談にして身を引きたいと言ったことや、Aクラスの生徒たちの間でセレンたちの仲が噂になっていることを考慮し、アリアの望み通り穏便に婚約解消をしてくれた。
その後、両家は話し合いの末に婚約は認めたが、恋に浮かれる2人を厄介者として扱っている。
特に兄と母は「アリアと違って私はいつだってライを愛しているの。もちろんライだって私の気持ちをわかっていていつも応えてくれてるわ」と得意げにアリアに言い放ったセレンに激怒し、一切の情を捨てて厳しく接している。しかし、兄曰くセレンは「ライルとの“愛”があればいい」と上機嫌で過ごしているらしい。
セレンが母や兄の監視をくぐって何をしに来たのかは知らないが、わざわざ相手をしてやるつもりはない。アリアが「出て行って、人を呼ぶわよ」と冷たく言い放つと、セレンはやっとアリアが本気で怒っているとわかったらしく慌てて用事を口にした。
「ライと別れたんだから、ライからもらった物を全部私にちょうだい。昔、ライからプレゼントされたブレスレットもよ」
「……それは、まあ。いいけれど。ブレスレット? どれのことかしら?」
人からの贈り物を自分に譲れと恥ずかしげもなく言い張るセレンを軽蔑するも、この際だからすべて押しつけて関わりを断とうと思う。
しかし、セレンが念押しするブレスレットはどれのことかわからない。アリアが「後で探しておくわ」と会話を打ち切ろうとすると、セレンは顔を真っ赤にして怒り出した。
「何よっ、嘘つき! アリアがライと別れるって言ったのに、いつまでもライが贈ったブレスレットを着けて見せびらかしてるなんて、ひどいわっ!!」
獲物を狙うように桃色の目をぎらぎらと光らせるセレンの視線の先には、いつも着けているブレスレットがあって。アリアは眉をひそめた。
「まさか、これのこと? これは確かに昔ファディアス様に贈っていただいた物だけど、デザインや頼むお店を決めたのは私よ。それに、いつも使っていて傷んでいたから、この間今の私にあうように手直ししてもらったの。ファディアス様とはちっとも関係ないわ、あげないわよ」
アリアがいつも身に着けているブレスレットはかつてライルから贈られた物だ。しかし、ライルにデザインを考えてもらうとごねていたセレンがまた怒り出しそうなので、ほぼ自分が考えたデザインで作ってもらった。
気に入っていつも着けていたが、ライルと婚約解消してからはしまいこんでいた。それに気づいたフォルテが「大事な物なんだろ。だったら、今のアリアに似合うように作り替えてみるなんてどう?」と言って、アリアの希望を聞いて知り合いの店で作り替えてくれた。ブレスレットを知る家族やメイドたち、コルティーナといった友人たちにも「素敵だ」と褒められ、また着けている。
長年いつも着けている上に手直しした物など、贈ったライルですら自分と関わりがあるなんて思わないだろう。アリアがきっぱりと断るとセレンは嫌な笑みを浮かべた。
「ふんっ、勝手に作り替えたのは気に入らないけど。まあ、いいわ。アリアに似合うなら、ライに愛されてる私ならもっと似合うもの。さっさと寄こしなさいよ!」
素早く近づいてきたセレンは引きちぎるようにブレスレットを奪った。アリアは慌てて取り返そうとするも、セレンはにたにたと醜い笑みを浮かべてポケットにしまいこむ。
「何するのっ、返して!!」
「うるさいわね、ライの物は全部もらうって言ったでしょ。自分からライを捨てたんだから、いつまでも未練たらしくライにまとわりつかないでよっ。うっとうしい!」
「それはこちらの言葉よっ、婚約を解消したのだから私はファディアス様とは一切関係ないわ!! あなたこそわけのわからない思い込みで、私の邪魔をするのもいい加減にして!!」
「邪魔なのはあんたでしょ! いつも得意げにライからのプレゼントを見せつけてっ!! このブレスレットだってそうっ。これを作った時、ライは私のためにデザインを考えてくれるって言ったのに、嫉妬したあんたが邪魔したせいで、私はベルが考えた古臭くてちっとも似合わない物を使うしかなかったんだからっ!」
「そんなの当たり前でしょう! あの時のあなたの婚約者はベルナード様だったのだし、彼はあなたが言えばきちんと希望を聞いてくれたはずよ。自分のわがままが通らなかったからって、私にやつあたりしないで!!」
嫉妬をむき出しにして威嚇するセレンに、アリアもまたかっとなって言い返す。その何かが逆鱗に触れたセレンは憎しみをこめた眼でアリアをにらみつけた。
「何よ、いっつもそうやって人をわがままだって切り捨てて!! あんたもベルも人を愛したことなんかないから、そんなひどいことを平気で言うのよ!! ベルは冷たい人だったわっ。私は寂しくても一生懸命我慢してたのに、やっと会えてもいつも疲れた顔をして。話だって全然あわなくてっ。それでもライが励ましてくれたから、私だってベルに優しくしてがんばってたのにっ。それなのにっ。ベルが好きにして良いって言ったから、ライが考えてくれた私に似合う素敵なデザインを持っていったら、ベルは2人で考えようって嫌がって。でも私はこれがいいって言ったら“君は君にしかわからない“愛”が欲しいんだな”って怒って! 結局、浮気して私を捨てて、自分だけ幸せになったのよ!!」
あんなに愛していると言っていたベルナードを罵るセレンの醜い顔を見て、アリアはセレンに悪者にされて罵られることへの激しい怒りも、いくら心をこめて言っても聞き入れられない悲しみも、それでも共に育った妹なのだという情も。すべての感情がふっと消えた。
ベルナードは優しい人だが、貴族としての責任感が強く公平な人だ。空想の世界でしかあり得ない恋を夢見て人一倍愛を求めたセレンは、彼自身のことを考えずにただただ甘えて自分のためだけに尽くすことを求めたのだろう。そして、弱い者に愛情深く接するライルに自分が信じる“理想の恋人の愛”を見いだしたことで、いつまで経っても自分が求める愛をくれないベルナードを憎み、傷つけ、彼に捨てられたのだろう。
――セレンには求める愛以外は必要ない。
いつかの兄の言葉がよぎる。
セレンとベルナードが婚約している時。兄は面倒そうにしながらもセレンの話を最後まで聞いてアドバイスをしていた。母はいつまでもごねるセレンを叱りながらも機嫌をとっていた。自分も落ちこむセレンのためにできることをしていた、と思う。そして、それはベルナードも同じだったはず。
――でも、セレンにとっては何よりも大切な愛が手に入れば、何のためらいもなく捨てられるものだったのだ。
アリアにはセレンの愛はわからないし、もう理解したいと思わない。
「……そう。もう一度だけ聞くけれど。そのブレスレットはあなたも知っている通り私が大事にしている物で、大切な友だちに作り直してもらった宝物なのだけど。返すつもりはないのね?」
「ふんっ、いくら言っても無駄よっ!! ライの気を惹こうとしても、ライは私を愛してるの!!」
アリアはため息をつくと、夢中で自分とライルの“愛”を喚き散らすセレンを無視して通り過ぎ、ドアを開けた。驚いて黙ったセレンに、冷ややかに促す。
「もうお互いに用は済んだでしょ。出て行って。それとも叩き出されたい?」
ぐっと拳を握って圧をかけると、警戒していたセレンは本気だと伝わったらしくのろのろと動き出した。外に出てアリアの手の届かないところまで行くと、振り返ってぎろりとにらむ。
「ふんっ、いつもみたいにあんたに甘いお母様とお兄様に泣きついたって無駄よ。これは絶対に返さないから。他の物も早くしてよね」
アリアは返事の代わりにドアをきっちりと閉めて鍵をかけた。作業台に戻ってセレンが撒き散らしていった毒を吐きだすように深くため息をつくと、コルティーナへのお礼の品のポーションをそっと撫でる。
「あなたの言う通りだったわ、ティーナ」
コルティーナに留学を持ちかけられた時、彼女はお守りとして彼女が作ったポーションをくれた。
「これは我が家に伝わる“恋火忘れの薬”。自分では手に負えない強い感情を昇華させる薬なの。例えば、恋心を忘れられないまま別人に嫁ぐ令嬢が、身を焼き尽くすような想いを消して生涯自分を支える優しい思い出に変える、とかね。まあ、逆に熱が冷めて破局することもあるけれど。使う人の心次第ね」
「それは、すごい薬ね……。本当にこんな貴重なものをいただいても良いの?」
「ええ、アリアは優しいから、あの甘ったれた妹の嫌がらせでストレス溜めこみそうで心配なの。だから、お守り。もし、そのバカな妹がまたあなたの前にのこのこ現れて憎たらしいことを言ってきたら、それを飲んで“あんたなんか顔も見たくない、絶交よ!”って思いっきりビンタしてやりなさい!!」
ぐっと拳を握ったコルティーナに、アリアも笑顔を浮かべた。
「ふふっ、ありがとう、ティーナ。うん、もしセレンがわがままを言ってきたら、やっつけてやるわ」
今まではセレンとケンカになると最後はアリアが折れてきた。でも、今度は違う。
「私にとっての愛は、ライルとの思い出とフォルテからの優しさがこめられたこのブレスレットだったわ。私の大切な物を奪ったのだから、あなたからもそれと同じ物を奪わせてもらうわ」
――あなたは本物の愛を知っているのだから、また愛を作ればいいでしょう。
アリアはそっと目を閉じて最後までケンカにすらならなかった妹に別れを告げると、コルティーナへの返礼品を仕上げた。
―――
翌日、何事もなかったかのようにライルからのプレゼントを取りに来たセレンはお茶に仕込んだ“恋火忘れのポーション”を飲んだ。
その後もセレンは変わらず過ごしていたが暗い顔をするようになった。ある時、学園で追いかけてきたセレンに無理やり呼びとめられた。アリアは断ったが人目のあるところで泣きそうな顔ですがられ渋々付き合った。
「お母様もお父様もお兄様も、ライルの家の人たちも皆忙しいと言って冷たいの。ねえ、どうしたらいいと思う?」
「さあ、悪いけれど私も忙しいの。ファディアス様に相談してちょうだい」
手助けを期待するように目を潤ませるセレンにそっけなく答えるとなぜか傷ついた顔をした。アリアはかまわず「がんばってね」とだけ言い残して去った。それからセレンはアリアの元へ現れることはなくなった。噂によるとライルにべったりと張りついて少しの間でも離れるのを嫌がっているらしい。
それを聞いたアリアは少しだけ憐れみを覚えた。
セレンは幼い頃から理想の愛を信じ、それを手に入れるための自分の行いをすべて正しいと信じ込んでいた。その愛を得たことで満たされた幸福感がポーションによって消えた今、今まで見えていなかったライル以外からの人間から向けられる“嫌悪”や“無関心”に気づいて動揺しているのだろう。
しかし、ライルがいればいずれまた愛が芽生える。そうすれば、またセレンは幸せになるだろう。今度は邪魔者もいないのだから。
――ライルとお幸せに。
アリアは落ち込む妹を祝福すると、自分の未来へと歩み始めた。
留学後、アリアはフォルテに「俺が考えたブレスレットを受け取ってほしい」と、新しいブレスレットと共にプロポーズされた。アリアの瞳の桃色の魔石とフォルテの色の榛色の魔石がはめこまれたブレスレットにアリアは心が喜びで満たされるのを感じ、フォルテに「私にもあなたに似合うブレスレットを贈らせて」とありったけの想いをこめて答えた。
アリアは母方の祖父母の養女になり、隣国の学園を卒業後フォルテの家に嫁ぐことに決まった。両親と兄はお祝いに訪れたがセレンだけは来ず、皆も「ライルと2人で変わらず過ごしている」と口を閉ざした。
アリアは本物の愛で結ばれた2人の幸せを遠く離れた地から願った。その願いが届いたようにセレンからも連絡がくることもなかった。双子の姉妹はそれぞれ愛を見つけ愛する人とともに過ごした。
たくさんの方に読んでいただきありがとうございます!
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(25.2.24)投稿から1週間以上経ちましたがたくさんの方に読んでいただき、ポイント・リアクション・ブックマーク・誤字報告をいただきありがとうございます! とてもうれしいです。