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誰も救えない天使の話

異世界天使解決譚~消えたダイヤの謎~

作者: 錆井

注:本作は、同作者の『誰も救えない天使の話』の外伝となる短編ですが、本編を読んでいない方でもお楽しみいただけます。

 ミステリーのつもりで書いているのですが、本格とかそういった物でもないので、温かい目で見ていただけると幸いです。



・主な登場人物

愛ヶ崎天使まながさき てんし:この物語の主人公。活発で元気な明るい少女。


光峰壱子みつみね いちこ:ワンコ先輩。愛ヶ崎の先輩。低い身長と元気で独特な口調が犬っぽい女子生徒。


神繰麻貴奈かぐり まきな:愛ヶ崎の後輩の女子生徒。機械のようなしゃべり方の上、表情がロボットのように変わらない。


神繰英晴かぐり ひではる:麻貴奈の父親。同人ゲーム制作を生業としている。真面目そうな外見だが、しょうもないことが大好き。


リック:英晴のゲーム制作仲間兼エンジニア。ともにゲームを作ることもある。おちゃらけた話し方の青年。


テレン:英晴のゲーム仲間の女性。もっぱらプレイ専門。普段は営業職でストレスをためている。


横溝河正乱よこみぞがわ せいら:麻貴奈の姉である理央の友人。理央は県外に出たが、時折英晴たちと交流している。

 小さな町があった。おそらく、その市に住む人々は皆、自分たちが居を構え、日々を過ごしている町並みに対して、そうした過少な評価をすることだろう。


 大都市へのアクセスは悪くないが、良いというほどではない。相当に都市へのあこがれがある者か、この町への思い入れがある者でない限り、わざわざこの町から頻繁に大都市へ行くような人はいないだろう。実際、そうした人間は少なく、大都市の生活はどこか他人事のように話されている。しかしながら、誰に聞いてもこの町に住む明確な理由は語られない。


 ただ、人々は口をそろえてこう言う。「この町は、どこか縁起がいい」と。


 それほど深い歴史もなく、目立った著名人もいない町、それがこの台典(だいてん)市なのであり、だからこそ、「この町には天使がいる」という噂は、長い民間伝承のごとく、住民の深層意識に染み付いているのだった。たとえそれが、町の名前が大天使(だいてんし)と読み替えられるからだという程度のことだとしても、あるいはその程度のことだからこそ、子供の夢を優しく肯定するように、その町の天使の噂は絶えずに人々の心の底に流れているのかもしれない。


 閑話休題。そんな天使の話も、夏休みともなれば息を潜めてしまう。誰もが海に山にその足を伸ばし、羽が生えたように浮足立つものだ。


 果たして、この物語の主人公もまた、夏休みを謳歌するべく、未知の世界へと羽を伸ばすのであった。





 台典市にいかなる天使がいたとしても、その翼は町を日射からは守ってくれないらしい。外気のうだるような暑さに、自宅の玄関から顔だけを出して、一人の少女がため息をついた。それは長いため息を一つ。混声合唱の一番低いパートかの如く、口全体から放たれた息は、しかしながら蒸れた外気から彼女を守ってはくれない。全身が軽く湿ったように感じるのは、きっと錯覚ではないのだろう。


 少女は、一度開いたドアを閉じて、先ほどまで荷物をまとめていた玄関へと身を隠す。外はまだ、普段と同じ休日の予定であれば寝ていたかもしれないほどの時間ではあったが、それでも茹で上がりそうな熱気が、アスファルトへの視界を妨害する蜃気楼によって感じさせられた。


 玄関に戻ったものの、電気代を渋ってエアコンをつけていない彼女の家は、外気との気温差はそれほどない。ただ、普段は心地よいはずの風が運んでくる湿った熱気をしのげるだけましではあった。


「……ジャージでもいっか。ダメかな」


 少女は、左手に着けた細い時計を見て、着替えるだけの時間はまだ残されていることを確認した。普段から外出時に来ているとはいえ、散歩や買い物が用事でない今は、その着衣の正当性には審議が必要だった。


「友達の家って、何着ていけばいいんだろ……」


 少女は思いつく限りの友人の家について考えを巡らせたが、思い浮かぶ友人との光景はすべて、学校の帰りの情景であった。休日に訪問するような記憶は一度としてなく、また訪問されたこともないのである。


 読み物の中の先例を辿って出された最適解は、少なくともジャージではない。しかし、じとりと湿っていく掌の中のドアノブが、すでに重たくなりつつある肌着が、少女に選択を迫っている。


 少女——愛ヶ崎(まながさき)天使(てんし)は、焦燥の原因である二週間ほど前の誘いを思い出していた。





 台典市立台典商業高等学校。それが愛ヶ崎の通う学校である。全日制の普通科と商業科を四組ずつ擁する、市内では指折りの公立高校だ。昨年度末に生徒会執行部の副会長に選出された愛ヶ崎は、気の置けない友人でもある生徒会のメンバーと、夏休み中であるにもかかわらず、生徒会室で資料整理に追われていた。二年生である彼女は、まだそれほど勉強に追われることもなかった。特段、日中に時間を取るような趣味も持たないため、むしろ退屈な夏休みの予定が埋まって良かったと笑うのだった。


 七月末、生徒たちは終業式を終えると、各々の夏休みへと向かっていく。そんな中で、生徒会執行部の生徒は、生徒会室で五人が一堂に会していた。


「あ~、自分で蒔いた種とはいえ、夏休みも仕事があるとかブラックすぎだぞ」


 生徒会長である三峰(みつみね)壱子(いちこ)が、心の底から出たようなため息を吐く。彼女が目を通している資料は、彼女自身が企画し解決に導いた、校内でのいじめ問題の報告書だ。これまでの年度でもその存在は確認されていたが、彼女の代に変わった際に生徒指導の教師たちを奮起させ、被害生徒たちの心身ケアと共に、加害生徒への処罰を行なった。その行動を聞いた教育委員会や他校の生徒会執行部から、その顛末に関する情報提供を求められている状況だ。


「まあ、それだけすごいことだったってことですよ! 私も、去年の文化祭の後は、商業科の先輩に長いことインタビューされましたもん」


「はは、愛ヶ崎さんの勧誘能力、いや魅力と言った方がいいのかな、は素晴らしいからね。ああ、なるほど。そのインタビューが嫌で、今年は勧誘も控えめだったのかい?」


 愛ヶ崎と同じ二年生で、生徒会書記を務めている藍虎(あいとら)が、優しくそう尋ねる。


 昨年度の文化祭において、生徒会執行部に入ってすらいなかった愛ヶ崎は、近隣の住民との世間話の中で、ほんの何気ない世辞の一つとして文化祭に誘っていた。その結果、二日目の一般開放日には、例のないほどの人々が大挙し、当時の執行部の生徒たちは来客の整理に難儀したのだった。


「それは違うかな~。あの後、先輩に結構真剣に怒られたというか、怒らないことで私の代で苦労してほしいって感じの顔だったからさ」


「天使ちゃん、一回失敗したことはもう失敗しないもんな」


「ふっふ~ん」


 言外にお転婆な性格を咎められていることには気が付かずに、愛ヶ崎は自慢げに鼻を鳴らす。手がかかる子供を見るような目で、三峰は薄く笑った。


「忙しいと言っても、この仕事が終わるまでです。お盆までに終わらせて、残りはきっちり休みましょう」


 三年生の副会長である丸背(まるせ)が、雑談をまとめるように発言する。


「って言ってもなぁ、特にやることもないし、夏休みの終わりまでみんなで話しながらゆっくりやりたいぞ。どうせ他の学校の担当も休んでるぞ?」


「それもそうかもしれませんが、毎日学校に来る方が大変ですよ。目標がないとやる気が出ないというのは、概ね賛成ですが」


「目標、目標ですか……」


 執行部の面々は、資料に向かわなくてもよい大義名分が見つかったとばかりに、お盆前後の予定を考え始めた。執行部の仕事が終わらないのは、単に量が多いからというだけではなく、アイデアや議論の膠着状態の緩和として挟まれる雑談が、必要以上に長引いてしまうからでもあった。


「そういえば、お盆前なのですが、私の父がゲームの製作発表会をするそうなのです。よろしければ皆さんでいかがでしょうか」


 五人の中で一番若い一年生であり、校則上の正規部員ではないが、現在は手伝いとして甲斐甲斐しく業務を学んでいる少女、神繰(かぐり)麻貴奈(まきな)が極めて無表情にそう尋ねた。彼女がそうして無表情に提案するのは、普段通りのことだったため、誰も訝しむことは無かった。むしろ、彼女の冷たい顔の向こうに隠れた温かい内心を見抜きつつある一同は、彼女の言葉にわずかに楽しげな様子を感じ取って興味を示す。


「そういえば、麻貴奈ちゃんのお父さんはゲームを作ってるって言ってたね。制作発表会……って私たちでも行って良いものなの?」


「はい。むしろ父から皆さんをお誘いするように、度々言われておりまして、もしご都合がよろしければぜひと」


「そうなんだ! やったぁ、行くよ、ぜひ!」


 愛ヶ崎は楽し気に腕を伸ばした。まだ冷静な三者は、詳細をきちんと聞いておこうと気を引き締める。愛ヶ崎が気楽に話を締めようとしているとき、大抵その後ろに面倒ごとがあるのだ。


「えっと、制作発表会って何をするんだ? 楽しそうだけど、堅苦しいのなら、私たちは場違いかもだぞ」


「すみません、私の言い方が大雑把すぎたでしょうか。制作発表会と言っても、メディア向けというか、外向けの物ではなく、内輪で集まるくらいのものなのです。普段は父の知り合いだけでなく、知り合いの知り合いも来たりして、父も知らない人が来ることもよくありますから、迷惑などはむしろこちらが心配することで……」


「なるほど、それじゃあ、人は何人かだけ来る感じなんだね。そんなに大人数で遊べるゲームなのかい? あるいは並行でプレイする感じなのかな」


「そう、ですね……父の専門はヴァーチャルリアリティと言いまして、並行……大人数……そうですね……今回の物がどういう趣向になっているのか、私も詳しく知っているわけではないので答えかねるのですが、少なくとも、ヘッドセットを着ける没入型のゲームということは確かです」


 麻貴奈がそう言いながら、顔の前で両手の指先を合わせ、ヘッドセットの形を示す。遠くを覗くように、真剣な表情でジェスチャーをする彼女に空気が少し和やかになる。


「没入型……ってやったことないんだけど、どんな感じのゲームなの?」


 愛ヶ崎の質問には、藍虎が反応する。


「いわゆるVRだよね。拡張現実と言われるくらい、仮想の世界に感覚を任せて遊ぶゲーム——というのは少し誇張した言い方だけど、現実みたいなことができるゲームってことだね。と……申し訳ないのだけど、実は、私は3Dのゲームはダメなんだ。VRも含めて、画面酔いが酷くてね。せっかくのお誘いなのに申し訳ない」


「すみません、私も厳しいかと。というのも、お盆前の時期は、家にいるように言われていまして」


「それでお盆までに終わらせようって言ったのか、ようやく腑に落ちたぞ」


「藍虎先輩、ニャンコ先輩。お気になさらないでください。そもそもが急なお誘いですから」


「はいはい! 私は行くよっ。ワンコ先輩も行きますよね?」


 藍虎と丸背が誘いを断った空気を入れ替えるように、元気な調子で愛ヶ崎は三峰に聞いた。


「ああ……まあ、行ってみるかな。弟にバレたら着いて行きたいって言いそうだから、天使ちゃんもしーっだぞ」


「分かりましたっ」


「では、父に伝えておきます。それから、また場所もお伝えしますね」





 回想を終えたものの、何一つとして有益なことは思い出すことができない。結局のところ、カジュアルな服装はしない方がいいのだろうか。内輪の集まりと言って、実は仮面舞踏会でした、なんてことがあったら赤っ恥だ。いや、仮面舞踏会なら顔を見られるわけではないから大丈夫か。


 もう逡巡する時間も無駄に思い、いっそのこと三峰に聞いてみようと思い立った愛ヶ崎は、スマートフォンを開いてメッセージを送信した。


「今日って、どんな服着てます?」


「ん? 普段着だけど」


 よしっ、ジャージでいい……のか? ダメな気もしてきた。普段着って何だろう。少なくとも制服でないことは確かだ。もしみんなラフな格好だったらどうしよう。


 愛ヶ崎は、自分が着ているやや正装寄りの——ドレスコードのない結婚式に行けるくらいの——着飾った服装に目を落とす。自分だけキメ過ぎたら、それも赤っ恥だ……


 迷った末、愛ヶ崎はジャージに着替えて家を飛び出した。結局のところ、今の時間から遅刻しないようにするには、ジャージで走るほかになく、それが合理的であるからだ。


 駅に着いた愛ヶ崎は、改札を出たところにある、彫像を中心とした広場に向かう。待ち合わせ場所に入った彼女は、すぐに三峰を見つけ渋い顔を作った。不思議そうな表情で、遅れて愛ヶ崎に気づいた三峰が近づいてくる。


「今日は、スポーティーだな。まぁ、その……いいんじゃないか?」


「そですね、すみません……」


 三峰は、普段着——シルエットの整ったジーンズとしわのないシャツ——をゆったりと着て、余裕のある様子だった。なんだか自然な着こなしだ……という感慨を抱えながら、愛ヶ崎は合流した三峰と共に、神繰麻貴奈の家へと向かった。


 数駅と数分の徒歩で着いたそこは、想像以上に大きな家だった。生垣は綺麗に整えられ、表札もなんだかオシャレな文字で書かれている。麻貴奈の長姉の名前がないところを見るに、大学進学とともに引っ越したらしい。そのときに変えたのだろうかと邪推してしまうほど、大理石のようなナニカで作られた表札は綺麗に光を反射している。


 表札の下にあるインターホンを鳴らすと、すぐに麻貴奈の声が聞こえてくる。まるで案内音声のような無機質な声に、安心と緊張が同時に襲ってくる。思わずジャージの背筋を伸ばした愛ヶ崎の横で、三峰は相変わらず飄々としたまま、門扉の隙間から庭を覗いている。


「お待たせしました」


 しばらく待っていると、重たい入り口の扉が開かれ、中から小柄な少女が姿を現す。普段と違い、フリルのついた半袖と、軽いロングスカート姿の麻貴奈は、荘厳な家の背景も合わさって深窓の令嬢のように見える。首元から胸元へ消えていくネックレスの銀の筋が、礼儀正しさを引き締める。


「こちらこそ、ちょっと予定の時間より遅れちゃってごめんね」


「父も準備万端で、天使先輩が来るのを待っていました。ぜひ中へ」


 麻貴奈の誘導に従って、廊下を進む。幾度か分岐を進むと邸宅から離れへと通じる連絡通路に出た。離れと言っても細く長い床が伸びて繋がっており、愛ヶ崎は、平安時代みたいな家だな……と薄暗い通路を見回した。三峰は特に気にすることもなく、小間使いのように粛々と先導する麻貴奈の後を進む。


 離れの小屋に入ると、そこは居室というよりもアトリエのような空間だった。大きな黒色の筐体がいくつか半円形に並ぶ前には、すでに数人が椅子に腰かけ、歓談している。


「父さん、先輩たちをお連れしました」


「ああ、ありがとう。どうぞ、お二人もそちらの椅子に」


 麻貴奈の父親と思われる細身の中年男性が、スクエアグラスを軽く押し上げてから、二つの空席を示した。すでに彼の向かいには三人が着席していた。リムレスの白い眼鏡からは理知的な印象を受ける。VRと言いながら、怪しげな実験に参加させられるかもしれないと、愛ヶ崎は内心でウキウキと期待を始める。その一方で、掛け値なしのつまらない知育ゲームが飛び出す可能性もまた、頭の隅によぎった。


「では、全員そろったようですから、自己紹介でもしましょうか。この度はお集まりいただきありがとう。本日の主催の、神繰英晴(ひではる)です。こちらは、娘の麻貴奈」


「ご紹介にあずかりました、神繰麻貴奈と申します。これまでは皆さまと同じくプレイヤーとしての参加でしたが、本日は父とともにモデレーターを務めます」


 麻貴奈が軽く会釈すると、参加者たちは微笑ましいといった様子で拍手する。愛ヶ崎たち以外の参加者もまた、麻貴奈の表情や口調の特性を良く知っているようだった。


「いやあ、せっかく正乱(せいら)君も来てくれているのだし、本当なら理央(りお)にも来てもらいたかったんだが、彼女にはどうにも嫌われているようでね」


「そりゃあパルさん、理央ちゃんは昔っからゲーム嫌いだったでしょうに。思春期ならなおさら来ないって」


「それ、言えてます。理央ちゃん、今は県外の大学でしょう? お父さんの趣味に付き合うより楽しいことばっかりよねぇ」


「でもほら、親心としてはねぇ……」


 愛ヶ崎の横でかなりの猫背で膝の上で頬杖を突いていた男が、茶化すように言うと、その横で姿勢よく座っていた女性が賛同した。緊張した雰囲気を勝手に感じていた愛ヶ崎は、三人の穏やかな会話に安心する。麻貴奈の父親もまた、厳格で冷淡そうな見た目に対して、砕けた性格のようだった。


「おっと、自己紹介だったな。俺はリック。パルさんのゲーム仲間っつーか、クリエイター仲間っつーか。一応エンジニアやってるんで、バグとか見つけたら俺に教えてほしいね。まぁ俺が見つける方が早いかもだけど。ともかく、そんな感じ。よろしく」


 リックと名乗った青年は、落ち着きのない身振りでそう自己紹介した。麻貴奈の父親とも遠慮のない会話をしているあたり、古参なのだろうか。


「次は私でいいかしら。私はテレンよ。同じく、パルさんのゲーム仲間。あっ、パルって言うのが、神繰さんのハンドルネームで、コミュニティを作ってゲームを作ったり新作のゲームを品評会したりしているの……あはは、なんだか対面でご挨拶するのって気恥しいわね」


 テレンと名乗った女性は、異なるコミュニティにいる愛ヶ崎たちにも分かりやすいように話を広げた。


「では、次は私が。三峰壱子と言います。本日は麻貴奈さんにお招きいただきました。あまりゲームには詳しくなく、ご迷惑をおかけするかもしれませんが、本日はよろしくお願いします。後輩たちには、壱子という名前のもじりでワンコと呼ばれているので、ハンドルネーム代わりに、お気軽にお呼びいただければ幸いです」


 三峰が手馴れた動作で頭を下げて着席するのを、愛ヶ崎はわずかに呆気にとられて眺めた。これが、外向けのワンコ先輩か。普段見ているぶっきらぼうながらやさしさのあふれる様子とは打って変わって、由緒正しい家系の令嬢のようなお淑やかな雰囲気だ。思わずこちらまで背筋が伸びてしまうと思ったところで、すっかり自分は気が緩んでいたことに気が付く。ジャージを着てきたせいだろうかとなんだか少し気恥しい。


「ワンコくんだね。よろしく。むしろ、ゲーム制作というのは、普段やらない人にやってもらう方がいい刺激をもらえるものなのだよ」


「そうそう。面白くなかったら、遠慮せずに言ってくれていいからな。よろしく、ワンコちゃん!」


「はい、よろしくお願いします」


 座りながら会釈した三峰が、肘で愛ヶ崎を小突く。慌てて愛ヶ崎も自己紹介を始める。


「あっ、じゃあ次、私は愛ヶ崎天使って言います! 麻貴奈ちゃんと同じ台典商高に通ってて、今日はお誘いを受けました。えっと、ゲームは好きなので今日はとってもワクワクしてます! よろしくお願いします!」


 愛ヶ崎が元気よく名乗り終えると、ゲーマーたちは値踏みするように薄くほほ笑んだ。


「天使……ってHN(ハンネ)? まあどっちでもいっか。台典市でゲームやってたら誰でも一度は心惹かれるもんな」


「ああ、あなたが天使先輩ですか。麻貴奈から聞いていた通り、実に魅力的な、創作意欲を刺激されるオーラのようなものを感じますな」


「ちょっとパルさん、それセクハラじゃないです? おじさんみたいな感想やめてくださいね」


「これは失礼。では、最後に正乱くん、自己紹介を」


 英晴が軽く手で促すと、愛ヶ崎から見て一番遠くに座っていた少女が立ち上がる。外見から見るに、自分よりは年上——大学生くらいに思える。細いスクエアタイプの眼鏡が、どこか気難しい印象を与えるが、きっとここに来るくらいなのだから、優しいのだろう、と愛ヶ崎は楽観的にそう考えた。


横溝河(よこみぞがわ)正乱と言います。麻貴奈ちゃんのお姉さん、理央に呼ばれて、二年前くらいから参加させてもらっています。えっと、ハンドルネームはビーグル、です。ワンコちゃんとは犬被りだから、ちょっとシンパシー感じるかも。よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


 話題に出された三峰が愛想程度に頭を下げる。


 愛ヶ崎は、思っていたよりも固い印象が抜けなかったので、なんだか私立探偵みたいな人だなと感じた。裏が読めないミステリアスな少女……ビーグルというハンドルネームもなんだか捜査を得意としているみたいで格好がいい気がしてきた。


「それじゃあ、全員自己紹介も終わったことだし、発表会に移ろうか。といっても、リーフレットがあるわけでもないし、気楽に聞いてくれたまえ」


 英晴が軽く腕を上げると、麻貴奈がゴーグルのような装置を脇の机から取り上げて掲げた。


「それがVRゴーグルってやつですか?」


「ああ、お二人は初めてだったね。そうとも。私の制作しているゲームは、3Dグラフィックを中心としたオープンワールドのゲーム……つまり、何といったら分かりやすいかな……現実みたいなゲームってことだね」


「そう言うとなんだか古臭く聞こえますね」


 テレンがクスリと笑うと、英晴は参ったという風に肩をすくめる。


「まあ最近では、脳科学の分野の先生とも交流ができてね。前までは夢物語だったゲームの構想が現実のものとなりつつあるんだ。つまりは、フルダイブ——という言い方も古臭いかな?要するに、感覚もリンクできるようなゲームをね」


「まあ、結局ヘッドセットしてゲームすりゃあ、誰だって視覚と聴覚はハックされてるんだから、後は体をどうにかするようなハードの問題だけだと思うけどね、ソフトを作ってる側としては」


「まあ、今のところは白昼夢というところかな。君たちの後ろに、大きな機械があるだろう。その中でヘッドセットを着けてもらうわけだが、別にやることはテレビジョンに向かってコントローラーを操作するのと変わらない。匂いが出ることも、刺激が加えられることも無いから、その点は安心してくれたまえ。強いて言えば、金属とゴムのアレルギーが無いことは先に確認していると思うが、念のため再度通知しておこうか」


 愛ヶ崎は、椅子に座ったまま体を半身よじらせて、背後の大型機械を見た。巨大なメガネケースのような黒色のそれは、フィクションの世界のような期待感を想起させる。大きく後ろに開かれた天井部が隙間なく閉じられ、真っ暗な筐体内に閉じ込められる情景を想像する。もしかしたら、どこかの噴出口から毒ガスが噴き出したり、下から業火で焼かれて蒸されたりしてしまうかもしれないと思ったが、そうした機構は内部についておらず、見たところ、外観だけのハリボテの様だった。


「内容については、ゲームが開始した後で、システムを通じてお教えすることにしよう。その方が、エンターテインメントという感じがするだろう?」


「好きだねえ、そういうの。まあでも、今回はその方がいいのか」


「そうよね、私も初めての時は驚いたもの」


 愛ヶ崎は、自分たちを置いて内輪の共感を広げる三人に少し疎外感を感じたが、それ以上に、これから体験できる未知に対して、好奇心が抑えられないでいた。


「説明はとりあえず以上にしよう。何を隠そう、私も早くプレイしてほしいのだよ。何しろ、このゲームは利用者が多いほど良いからね」


 複数のケーブルがつながれたパソコンの前に座った英晴と入れ違いで、麻貴奈が参加者を筐体——この際、コフィンと言おう。その方が、気分が上がる——に案内した。腰を落ち着かせると、胸くらいの高さまである壁越しに、他の全員が中に入ったことを、愛ヶ崎は確認した。内部は外側の無骨な印象に対し柔らかく、このまま眠ってしまえそうな感覚だった。


 コフィン内部の凹凸に合わせて、ダ・ヴィンチの書いた人体図を思い出しながら、体をセットする。手の先に当たる部分には、球状の出っ張りがありちょうど五指がはまるくぼみがあった。おそらくは、これがコントローラーなのだろう。とりあえず操作感を確認しようと適当に握ってみると、吸い込まれるようにボタンは沈んでいき、力を抜くと自然に戻っていった。


 愛ヶ崎が指先の運動に気を取られ始めたところで、コフィンのそばに立っていた麻貴奈が、全体に連絡を伝える。


「皆さん、コントローラーの位置は見つけられたでしょうか。僭越ながらご説明させていただくと、左手が移動、右手がアクションのボタンとなっています。それぞれの対応する行動については、起動後に説明があると思いますので、そちらに従ってください……あっ、テキスト送りは、右手の人差し指というのが共通です。起動時のテキストメッセージは、そのボタンで、お願いします。

 ゲーム内では、音声認証を採用していますので、通話感覚——というより現実感覚でお話しいただければ、チャットを打っていただかなくて構いません。筐体内は完全防音ですので、音漏れもお気になさらないでください。もし、不備や緊急の体調不良等ありましたら、私か父に呼びかけてくだされば、すぐに対応いたします。その際も、口頭でお呼びつけください」


 愛ヶ崎は、わずかに体を起こし、コフィンのそばに立つ麻貴奈を見上げた。その横顔は相変わらず冷たい鉄の仮面の様だったが、やはりどこか楽しそうな雰囲気が読み取れた。世界に入ろうと、体を寝かしかけたとき、彼女の顔から下げた視線が、胸元で光るネックレスに吸い寄せられる。白く大きな宝石のような何かが縁取られたそれは、いつの間にか服の中から出てきていたようだ。ダイヤモンド——にしては大きいが、その半透明の硬質な輝きは他に適切な宝石が思い浮かばない。


 麻貴奈の首に提げられたネックレスの輝きは、愛ヶ崎の心に心拍音のように揺らぎをもたらしたが、手渡されたヘッドセットに視界を奪われ、すぐにその疑念は彼方へと消えていく。


 ヘッドセットを装着し、筐体に仰向けになった愛ヶ崎の耳に、静かな駆動音が聞こえた。おそらくは、筐体が閉じているのだろう。すでに真っ暗な視界は、天蓋に覆われても様相を変えない。


「それでは、心行くまでお楽しみを」


 麻貴奈の声が、細い隙間に入るように小さくなり、固いものの衝突で締め切られる。いよいよ筐体に閉じ込められたのだと、緊張感のない興奮を覚えてしまう。



 …………



 ……



 …………脳波測定中——世界の構築を開始します



 影に覆われたような暗さが、画面によってもたらされる黒さに変わったと思うと、目の前に文字列が現れる。驚いて顔を軽く振ってみても、文字は世界における位置を変えず、視界についてくることは無かった。


(これがVRか~)


 なんだかよく分かってはいないが、とりあえず何かが始まろうとしていることだけは予感できた。目の前の空間で、白点が時間という流れを忘れたように何度も増えては減っていく。



 …………



 ……



 …………世界の構築完了



 ————HELLO WORLD————



 眼前の文字が変わると同時に、周囲の暗闇が明るく開けていく。明るい夢を見始めるように、愛ヶ崎は軽く目を瞑り、光に順応した。


「ハローワールドなんて、言いたいのはこっちだよ——!」


 遠くまで地平線が伸びている。はるか遠くの山は、電子世界の産物でありながらも、頂上で自分を待っていると言わんばかりにそびえている。


 愛ヶ崎は思わず、これが現実なのかをどうかを確かめるために、視線を落とした。そんなことをしても、これはゲームなのであり、現実ではないのだが、少なくとも彼女にとって、夢でないということの方が、よっぽど重要なことなのであった。


「手が、動いてる!」


 愛ヶ崎が視線を落とすと、仕様なのか、現実ではコントローラーを握ったままであるのに、両の手が軽く上げられ、手のひらを開く。現実というにはきれいすぎる気持ちもあるが、ゲームとしてみればかなりの高品質だ。画面ギリギリのところに体らしきものも見えるが、筐体の構造上、それ以上頭を動かせない。


「天使ちゃん、何やってるんだ?」


 声に顔を正面に戻すと、三峰——のアバターが、愛ヶ崎の方を見つめていた。服装はゲームの序盤らしい、単色の簡素な服だ。体は現実世界を忠実に再現しているのに、おしゃれのかけらもない服装をしているところが、むしろ非現実的な現実を象徴するようで、愛ヶ崎は幻獣を見つけたように興奮してしまう。


「うおおおっ! ワンコ先輩、体、すごいですよっ。面白―い!」


「いや……天使ちゃんもだからな。ともかく、無事にログインできたみたいだな」


 愛ヶ崎は、何とか自分の体が見えないものかと跳びはねたりボックスステップを踏んだりしたが、視界と共に体が動くため、視認は難しいようだった。


「それにしても、良く出来てますね。ゲームみたい、なのはそうですけど、そういう場所があるって言われたら信じちゃうかもっていうくらいのリアリティです」


「そうか? 単に、画面の枠が見えてないから現実っぽいってだけだと思うぞ」


 三峰の指摘に、まあ確かにこんな輪郭の明るい現実は無いかと我に返る。


 愛ヶ崎が少しだけ気分を落ち着けて、アクションボタンを適当に押してみようかと考え始めたとき、突如脳内に直接声が流れ込んで来た。


「あ、あ~。天使先輩、聞こえていますか、麻貴奈です。こちらは管理システム越しに、オンライン通話機能を用いて話しかけています」


 脳内に直接、だと思ったのは、眼前の三峰の声が距離相応の遠さを含んでいたのに対し、麻貴奈の声がヘッドセットから直接聞こえたからであった。おそらく、世界内の音声は通話機能に距離感の補正が入るのだろう。


「うん、聞こえてるよ!」


「良かったです。無事に世界を構築できたようですので、アクションボタンの説明を行いたいと思います」


「おっ、待ってました」


「すでに移動操作については、慣れておられるようですね。さすが天使先輩です」


「えへへ、ネットゲームと似た感じだよね。WASDっ! と、ジャンプもあるんだ」


 愛ヶ崎は、自慢するようにその場でぐるぐると動き回り、ジャンプして視界を揺らして見せた。


「はい、その通りです。ジャンプのボタンをスクロールしていただければ、しゃがみ動作も行っていただけます」


「しゃがみ……あっ、できた!」


 愛ヶ崎が指の感覚を頼りに、コントローラーの上をなぞると、視界が崩れ落ちるように下がった。しゃがみこんだまま三峰のアバターの下に擦り寄ると、影になって視界が暗くなる。


「なんだ? 挑発なら受け取ってあげるぞ」


「ああああ、違いますって、煽りじゃないです!」


 とっさに離れた愛ヶ崎を、三峰が腕を上下に振って追い立てる。リアルな体がコンピュータのような挙動をするのが面白いと思いながら、愛ヶ崎にはまだその行動の出し方が分からないため、反撃に転ずることはできなかった。


「あはは、今ワンコ先輩が使っておられるのが、アクションボタンです。このゲームにおいては、右手親指のアクションボタンが、あらゆる行動を発生させるコマンドとなっております。ターゲットした対象、あるいは装備品に応じて行動が決定されます」


「それ以外のボタンは使わないの?」


「右手の他のボタンは、ショートカットボタンになっています。画面——視界の下方にいくつかの四角い枠があるのが分かりますか? メニューからショートカット登録していただければ、その枠に収まります。任意のボタンを押していただければ、メニューを開かずにそのアイテムが使えるという仕様です」


「なるほどね……で、メニューってどうやって出すの?」


 愛ヶ崎は説明を聞きながら、むしろ一番気になっていたコマンドについて聞いた。


「おっと、失礼しました。メニューは左手コントローラーから指をすべて離していただければ、切り替えができます。グッパーしてもらえれば」


 麻貴奈は、説明が分かりづらいと感じたのか、わざわざ言い直した。愛ヶ崎は、姿が見えなくとも、彼女が顔の前あたりで無表情に手を閉じて開く様子がありありと浮かび、思わず笑顔になる。と同時に、視界が半透明のメニュー画面で埋まった。


 メニュー画面を開いても、視界が遮られるというほどのことはなく、透けて地面が見えている。ざっと三〇ほどのボックスが三列に並び、空き枠の列の上には、俯瞰された自分のアバターの様子が映っている。三峰同様、単色の上体と下半身を持つ、人型のアバターであった。顔はこのポリゴン数なら良く自分に似せられているといった完成度だ。いったい、いつの間にモデリングしたのだろう。アバターの横には、正方形に詰められた九つの枠がある。アイテムボックスとは異なるようだが、何に使うのだろう。


「そうでした。もう一つ大事なことを言い忘れていました。天使先輩、親指のアクションボタンを押し込んでみてください」


「こう?————って、わっ!」


 愛ヶ崎がメニューを閉じ、指示通りにアクションボタンを押し込むと、突然視界に細長い何かが現れる。自分の右手から伸びているそれは、どうやら弓の様だった。白く細長い弦に花のような桃色の飾りがつき、ギリシア神話のハープのような嫋やかで神々しい雰囲気を纏っている。


「これ、武器なのかな?なんだかすごそうな感じ……」


「それが天使先輩の固有能力(アビリティ)です」


固有能力(アビリティ)——!」


 愛ヶ崎は、理性の先の本能を駆り立てるような響きに、思わず復唱してしまう。


「どんな能力かは、使ってのお楽しみ……と言いたいところですが、メニュー画面から詳細を確認することも可能です。敵を知り、己を知れば百戦危うからずと言います。ぜひご確認を」


 麻貴奈はそう淡々と言い残すと、通話から去っていった。去っていったかは定かではないのだが、何となく聴覚にかかっていた負荷のようなものが軽くなったように感じたために、愛ヶ崎はそう思ったのであった。


「要するに、3Dのクラフトゲームみたいな感じなんだな」


「みたいですね。でも、VRってだけで全然違いますよ!」


 愛ヶ崎は、採掘と工作を基本とする似たようなシステムのゲームを見たことがあったものの、プレイしたことは無かった。理由は簡単で、地道な作業が肌に合わなかったのだ。


「確かに、主観視点なのも一緒なのに、空が広く感じるぞ」


 三峰の指摘に、愛ヶ崎も空を仰ぐ。青空はリアルなようでいて、その先に手が簡単に届きそうなほど近くも感じてしまう非現実な様相である。しかし、そうした非現実さがかえってこの世界の現実を示しているようで、愛ヶ崎は嬉しくなるのだった。


「とりあえず、いろいろ見て回ってみませんか?もう少し、この世界のことを知ってみたいですから」


「そうだな、とりあえず……あっちに街みたいなところがあるから、行ってみるぞ」


 三峰が指した先には、周囲の土色と緑のテクスチャの盛り上がりとは異なる、カラフルな空間があった。描画の曖昧さからそれなりに距離はありそうだが、なにしろここはゲームの世界。いくら歩いても疲れないのだ。と意気込んで歩き出した後で、かなり遠くまで世界が描写されていることに、愛ヶ崎は感嘆した。コフィンはコントローラーのついたリラックスシートみたいなものだと思っていたが、頑健な見た目を支えるCPUがその背後には接続されているのだろう。


「そういえば、ワンコ先輩の固有能力(アビリティ)は何でした?」


 街へと歩く中で、そう言えば確認しなかったと思い、愛ヶ崎はそう聞いた。


「私のは、守護獣みたいな感じだな。天使ちゃんにもターゲットが向いてるぞ」


 三峰の体の周りに、一匹の白い毛並みの狼——いやきっと犬なのだろう——が奇妙な重力法則で漂っている。その眼光は鋭く、現実での二人の関係値など知る由もなく、一人の敵対プレイヤーを見るようだった。


「ええっ⁉ 攻撃はやめてくださいっ。でも、かっこいいですね」


「そうだな。傍に並び立つということから、その名を————まぁ、なんか弟に似てるし、優二(ゆうじ)って呼ぶか」


「ネーミングが雑すぎる……」


 二人が歩いていると、開けた土地の左右に森が見え始めた。街を取り囲むように森が連なっているらしい。愛ヶ崎は、森を分けて入り口に誘う街への道に、またしても現実的な意趣を感じて嬉しくなる。まるで、住人が土を踏み鳴らして作ったみたいな歴史を感じる構造だ。


 愛ヶ崎が、奥の見えない森の方をよそ見していると、不意に三峰が話しかけてくる。


「天使ちゃん、ちょっとこれを見てほしいぞ」


「何ですか——ってわあっ⁉」


 森から意識を戻して、愛ヶ崎が振り向くと、視界が赤褐色のエフェクトで埋まった。思わずジャンプすると、しずくが流れるように画面の染みが落ちていく。さっきまでは視認できなかったが、なにかしらの攻撃を受けたことで、自分の体力のようなものが、視界の端に表示された。十個のハートマークが明滅している。どうやらダメージを受けるほどのことではなかったらしい。


「な、なんですか今の」


「何ですかと言われても、天使ちゃんの方はどうなったんだ?」


「急に視界が塞がれて、ドッキリのパイ投げみたいになりました! ジャンプしたら、すぐに回復したんですけど……」


「なるほどだぞ……天使ちゃん、ちょっとその辺の地面にアクションボタンを押してみてほしいぞ」


「地面にですか?」


 愛ヶ崎は、何を指示されているのか分からないまま、とりあえず視界を下げてアクションボタンを押してみる。視界の端で、自分の手がせわしなく振られている。


「……何も起きないですね」


「しゃがんだ方がいいかもだぞ」


 愛ヶ崎が言われた通りしゃがんでみると、先ほどとは違い、地面から水しぶきのようにドットが噴き出し、軽快な効果音と共に、自分の眼前の地面五十センチ四方——現実で換算するならば——ほどが四角く抉れた。同時に、視界に二つの選択肢が表示される。それぞれ「取得する」「装備する」と書かれている。誰が土を装備するんだ……と思いながら、「取得する」を選択した。


「土を取得できたか?」


「できました……あっ!」


 愛ヶ崎は、今が土を装備するタイミングではないかと閃き、メニューを開くと1とストック数の表示された土を選択し、装備した。先ほどの弓と同様、愛ヶ崎の右手に土が装備された。


「えっ……?」


 愛ヶ崎の右手に現れた土は、地面にそうあったように四角い状態であった。四角い土の塊を、方法は不明だが手の先に乗っている。メニューにどう入っていたんだという困惑した感情と、この質量が砂礫として装備できても困るかという納得が入り混じり、愛ヶ崎は三峰を、助けを求めるように見た。


「そうそう、そうやって装備して積み上げていくんだぞ。でも、今はそうじゃなくてだな。メニューの上の魔法陣みたいなところに、土を置いてみてくれ」


「ここですね……あっ……」


 愛ヶ崎が、魔法陣——魔術的なものではなく、数学的な意味の——のような四角の集合に土を運ぼうとすると、うっかり枠外でアクションボタンを離してしまった。取得していた土が、所持品から消えどこかへと言ってしまう。とっさにメニューを閉じたものの、先ほどのキューブ状の土塊は見当たらない。


「どこに……あ、あった」


 愛ヶ崎が地面を見回すと、やや前方の地面に小さくデフォルメされた土塊が浮遊していた。近づいただけで、体に吸い込まれるように取得される。


「えっと、改めて魔法陣に……ワンコ先輩、何か表示が変わりましたよ!」


「そうそう、その小窓のアイテムを取得するんだぞ」


「これですね……えいっ!」


「うわっ、やったな~!」


 愛ヶ崎は、魔法陣の端に表示されたアイテムが泥団子であることを確認すると、概ね先ほどの三峰の行動を理解し、即座に装備するとアクションボタンを押して投げつけた。残念なことに、愛ヶ崎の投げつけた泥団子は、三峰の固有能力であるところの守護獣が振り払ってしまった。三峰が無邪気に愛ヶ崎を追いかけると、今にも噛みついてきそうな面構えで、守護獣は愛ヶ崎の動きを注視している。


「普通に怖いですよそのワンちゃん~!」


 笑いながら追いかけっこをしていると、いつの間にか街の入り口までたどり着いていた。追いかけあったまま門をくぐると、三峰の守護獣も姿を消した。愛ヶ崎は自分を追い立てていた眼圧が消え、一息をつく。


「本当に街みたいですね」


「先行体験ってだけあって、まだ開発途中みたいだけどな」


 街の入り口にあたる門には、歓迎の意味らしき文字列が記され、その向こうから石造りの地面が広がっていた。試しに石造りの地面にアクションボタンを押してみると、手が空振りするだけで、地面を取得できそうには無かった。


 街の中を見渡すと、カフェやレストランのような場所が、建設途中なのか、ところどころポリゴンの断面を見せたまま佇んでいる。キャラクターはリアリスティックに作ってあるが、やはり基本はドットを繋ぐ建設や、アイテムを組み合わせることが中心となるゲームなのだろう。


「おっ、お前らもようやく街についたか。どうだ、このゲームは。すごいだろう?」


「はいっ、すごいです」


「まだ慣れませんが、楽しませていただいています」


 街の中を散策していると、路地で立ち止まっているリックに話しかけられた。アイテムの合成で作ったのか、読みかけていた本にしおりを挟んで楽しげな様子だ。服装も愛ヶ崎とは違い、現実と似たような、パーカーにジーンズの姿だ。


「そうかい、そりゃあ良かった。そうそう、街の真ん中に広場があってよ。そこに面白いもんがあるから、見に行ってみると良いぜ」


「はいっ、分かりました」


 リックの言葉に従って街の通りを進むと、視界が開け、大きな広場に着いた。


「うわああっ! ワンコ先輩、あれダイヤモンドですかね⁉」


 円形の広場の中央には、ラウンドブリリアントカットに整形されたダイヤモンドのモニュメントがそびえたっていた。本物——この世界における——かは分からないが、大きさと輝きは見るものを圧倒させる。


「……みたいだぞ。豪華だけど、なんだかお金持ちの道楽みたいでちょっと気が引けるな」


 三峰は、やや不愉快そうに目を細めてモニュメントを眺めた。


「こんにちは、天使先輩、ワンコ先輩。ここは街の中央広場です。よろしければ、この街について、ご説明いたしましょうか?」


 モニュメントの近くまで寄ってみると、台座のそばに佇んでいた麻貴奈に声をかけられた。ゲームの世界でも無表情なのは変わらないようだ。先刻の通話と違い、今度は彼女の方から声が聞こえてきている。


「うんっ、お願いします!」


「かしこまりました。この街はいわゆる始まりの街です。これからプレイヤーが増えるにしたがって、皆様に交流やそれぞれの充実した生活をしていただくための憩いの場となる予定です。現在はカフェテラスやレストランと言った施設は開店準備中ですが、街並みについては、近未来でいてどこか落ち着きのある雰囲気で調整を続けています。なお、街の地面については、プレイヤーの皆様による破壊行為を防ぐために、プロテクトが敷かれており、ほしいははるほうぐをほふぃいへほ——」


「何してるんだ、天使ちゃん」


 三峰が怪訝そうに見つめる前で、愛ヶ崎は麻貴奈の頬をつまんでいる。愛ヶ崎が不思議そうに見つめても、麻貴奈は説明を止める様子は無かった。もはや言語として聞き取れないほど息が漏れ出しているが、関係なしに話し続けている。


「何か目が合わないな~って思ったんで、つねってみたんですけど、やっぱり麻貴奈ちゃん本人じゃなくて、説明をしてくれるbotだったみたいです」


「別に、教えてくれるんならどっちでもいいだろ。邪魔しないであげるんだぞ」


「はぁい」


 愛ヶ崎が麻貴奈——の姿をした説明端末の頬から手を離すと、聞き取りづらかった発音が元に戻る。おもちゃのように扱われていたことに微塵も注意を払わないまま、端末は説明を続ける。


「そして、この広場についてですが、目玉は何といってもこちらのダイヤモンドのモニュメントです。一ストックの最大値に当たる64個のダイヤインゴットを使用しており、このワールドで最も価値が高いと言って良いでしょう」


「へ~……ワンコ先輩、インゴットって何ですか?」


「えっと、多分素材の名前だから形状のことだと思うけど……合ってるかは分かんないけど、さっき取得した土とは違って、金属の取得には鋳出すとかの過程が必要なんだろ。それで、純粋に金属だけになったのがインゴットってことじゃないかな」


「な、なるほど?」


 愛ヶ崎は、やや理解に時間をかけて曖昧に頷く。内容としては理解できても、実際に体験したわけではないので、いまいち想像がついていないのだ。


「そうそう。それで合ってるぜ。ついでに補足すると、ダイヤモンドの出現率は今のところ一兆分の一に設定してある。だから、このダイヤの価値はこのゲームをプレイしてる奴にとっては恐ろしく高いってわけさ」


 いつからそこにいたのか、三人(あるいは二人と一端末)の後ろからリックが飄々と現れた。ゲーム制作に関わっているだけあって、訳知り顔で解説をしている。


「恐ろしく高いって、ゲームの中でだけですよね?」


「そりゃあお前、時価ってやつだよ。数年後に終わるゲームのキャラクターでも何万も出す奴はいるし、増版されるアイテムを何万で買い取ろうとするやつもいる。このゲームをやりたいってやつがこのダイヤにどれだけの価値を——どれだけの自己顕示欲をぶつけるかって話だよ。このゲームがビッグになって、大富豪がやりたいって言いだしたりしたら、何十億、いやもっと値が跳ね上がるかもな」


 愛ヶ崎はお金に対してそれほど執着は無いが、それでもリックの言った額には驚きを隠せなかった。ただのゲームのアイテムにそんな価値が付くものだろうか。しかし、この世界の美しさや風景の描かれ方を思うと、それだけの癒しや現実性を求める人が出るのかもしれないと思えてしまう。ただでさえ、人と人の争いというものはどこで起こるか分からないのだ。虚構の世界の中だとしても、それが宝石という形を取っているならば、執着してしまう人もいるかもしれない。


「……にしては、警備というか展示が杜撰なんですね。取られたりしないか不安なものですが」


「取るってんなら簡単だろうぜ。別に、ダイヤモンドだから固いってわけもねえだろうし。でも、この世界にログインしてるのは、まだ世界で俺たち五人だけなんだから、無くなったなんて話になればすぐに分かっちまうだろうが。何せ、取得したならアイテム欄に表示されちまうからな。だからこんな展示方法でも大丈夫なのさ。盗まれたりしても、誰が犯人かはすぐに分かる」


「————今っ、犯人と言いましたか!」


 リックがダイヤモンドについて話していると、広場の向こうから、誰かが走ってきたかと思うと、話に割り込むようにそう叫んだ。


 チェック柄のトレンチコートとハンチング帽をかぶり、眼鏡の代わりにモノクルをした少女は、アバターの顔から察するに横溝河正乱(ビーグル)の様だった。


「おっとすみません。事件の匂いに敏感なもので。それで、何のお話をされていたのですか?」


「いやさ、あのダイヤが盗まれないかって、嬢ちゃんたちが心配してただけだよ」


「なるほど、では私の早とちりでしたね。インゴットとはいえ、あの塊を装備しては目立ちますし、かといってアイテム欄に入れても丸わかりですから、探偵の私でなくてもすぐに解決してしまいます。まあ、もし事件が起こったら、私が先に解決しますが。それでは、事件の匂いがする方へ向かいますので、失礼っ!」


 ビーグルは口早にそう言い残すと、どこかへと走り去ってしまった。


「正乱さん——いえ、ビーグルさんって、あんな感じなんですね」


「ビーグルは、ゲームだと人格変わるタイプだからな……まぁ、楽しそうだしいいんじゃねえか?」


 困惑して呆然とビーグルの消えた先を見つめながら言った愛ヶ崎に、リックも半笑いで答える。彼も初めは驚いたのだろうというのが伝わってくる。


「まあ、とにかくあのダイヤを盗むのは不可能ってわけだな。そんなにダイヤが欲しいなら、街の外の地面を掘り進めてみたらいいんじゃねえか? 一応、可能性はゼロってわけじゃないんだからよ」


「それはそれで夢がありますね……そういえば、リックさんは街で何をしていたんですか?」


 愛ヶ崎は、ビーグルが事件を探すと言っていたのが気にかかり、そう尋ねる。リックは不思議そうな顔で右手のしおりを軽く振った。


「別に何もって感じかな~。採掘とかもあんまし気性に合わねえし、採取も大方やり終えたから、マジで息抜きってトコだね。静かな町で本を読むってのも乙だぜ?読みたい本があったら、パルさんに言えば取り込んでもらえるしな」


「なるほど……あっ、そうだ。良かったら、リックさんの固有能力を教えてもらえませんか?私たち、まだよく使い方が分かってなくて……」


「ん? ああ、いいぜ」


 そう言うと、リックは左手に杖のようなものを現出させる。愛ヶ崎は、自分の弓が右手に現れたことを思い出し、彼の利き手は左なのだろうかと推測した。


「俺の固有能力は『増殖(コピー)』。ストックできる消耗品の所持数を増やすことができるんだ。ほら、見てみ」


 リックが右手のしおりをマジシャンのように軽く振ると、あっという間に握られたしおりが二つに変わる。愛ヶ崎は、どちらかというと二つしおりを持つと外見に変化が反映されるのかということの方が驚きだった。


「しおりって消耗品なんですか?」三峰が納得のいかない様子で聞く。


「消耗品の定義は『無くなるもの』だぜ。こいつにも耐久力があるからな。まあ、外で持ち歩いたりしなけりゃ消えたりしないけどよ」


 リックは、続いて固有能力を見せた二人に、説明を続ける。


「固有能力にはいくつか種類があってな。ワンコちゃんのは補助型で、自立して一緒に戦ってくれるタイプ。天使嬢ちゃんの方は、俺と同じで特別な力を持つ道具を呼び出すタイプだな。まあ、使ってみればクセとかはすぐわかるだろ」


「分かりました、ありがとうございます!」


「そういえば、テレンさんをまだ見てませんが、どこにいるかご存じですか?」


「テレンか……まあ、どっかでモンスター倒してんじゃねえかな。あいつおっとりしてるようで戦闘大好きだからなぁ」


「なるほど、探してみます」


「おうよ。あんたらの固有能力も、街の外なら使いやすいだろ。まずは楽しむこと、だぜ」


 リックはそう言うと、再び街の入り組んだ方へと戻っていった。


 愛ヶ崎たちは、麻貴奈の姿をした情報端末にも一応の挨拶をしてから、広場からまっすぐ伸びた通路を進んで街の外に出た。


 入り口側は森に囲まれた草原のようなエリアだったが、今回出てきた方向には、砂漠のような地形が広がっていた。一面黄土色の大地が視界の果てまで続いている。水平線の向こうには、先ほど同様に山の外形がうっすらと見えており、どこまでも砂漠が続くわけではないようだった。


「砂漠かぁ……麻貴奈ちゃんのお父さんが言っていた五感のリンクがあったら、きっともっと楽しいんでしょうね」


「いや、砂漠なら景色だけの方がいいと思うぞ……暑いし息もしづらいし」


 二人は景色を楽しみながら、砂漠を練り歩く。現実とは違い、歩行に少し癖があるだけで体力が減ることも無い。この仕様ならば、観光目的で少しくらい危険な場所に行くこともできるだろう。現状では肌で空気を感じることはできないが、五感での体感もカバーされれば、現実での旅行と遜色ない体験になるかもしれないと愛ヶ崎は思った。


「——天使ちゃんっ、後ろ!」


「へ?——わぁっ!!」


 不意に叫んだ三峰に愛ヶ崎が振り向くと、そこには球状の器官を抱えるように長い手を上に伸ばす怪生物が跳びはねていた。体が小さい分、腕の長さが目立つ。愛ヶ崎がとっさにアクションボタンを押すと、自動的に攻撃のモーションが起動し、愛ヶ崎の拳が当たったモンスターはわずかに後退し、硬直した。わずかに薄黄色の体が赤く点滅している。


「あ……ひゃあああっ!」


 愛ヶ崎が危険を察知して、数歩後ろに下がると、眼前で怪物は爆発四散した。怪物の居た場所には、肉のような簡略化されたアイテムが浮遊している。近づいて取得すると、やはり『怪物の肉』の様だった。


「な、なんですか、今の……」


「モンスターだろうな。そう言えば、テレンさんはモンスターと戦ってるって、リックが言ってたぞ。もしかしたらこの辺にいるのかもな」


「こ、こわぁ……注意深く進みましょうね」


「それより、弓を出したらいいんじゃないか?」


「弓……? あっ、固有能力の!」


 愛ヶ崎は、三峰の忠告に、すっかり忘れていた固有能力を使う。確かに、武器があった方が心強いだろう。


「ついでに、さっきは忘れてたけど、動作感も確認した方がいいと思うぞ。私のは自立式だけど、天使ちゃんのは違うんだろ?」


 愛ヶ崎がアクションボタンを押すと、アバターが弓を構える。視界にスコープのような円形の印が現れ、やや動作が緩慢になる。


「これで……えいっ」


 さらにアクションボタンを押すと、矢が放たれる——! と思ったが、弓から離れた矢はその場で重力に敗北し、情けなく砂漠の砂に飲まれていった。


「あれっ?」


 再度アクションボタンを連打した愛ヶ崎だったが、やはり矢は勢いを得ない。理由も分からずポリゴン片となっていく矢から視線を戻すと、目の前にはゾンビのような人型の怪物がゆっくりと近寄ってきていた。もしかすると、変な衣装を着たテレンかもしれなかったが、すでに愛ヶ崎は、敵モンスターは体の輪郭が赤く縁どられていることに気が付いていた。


「ちょーっ、ワンコ先輩、助けてくださ~い!」


 とっさに矢をつがえるが、当たる気もしない。助けを求めたものの、返答は無かった。


「う~ん、どうしたら……」


 愛ヶ崎はゆっくりと後退しながら照準を前方の怪物に合わせる。そして、アクションボタンをゆっくりと押し込んだ。すると、スコープの円が絞られ、弓のしなるような音が聞こえる。


「押し込むのか——!」


 アクションボタンを押すと矢が放たれ、今度こそ勢いよく飛び出していく。照準で狙われたゾンビの胸部に命中した矢は、相手を貫き霧散させた。アイテムは落ちなかったらしい。


 敵を撃退した愛ヶ崎が、三峰を探して辺りを見回すと、少し離れたところで複数のゾンビに襲われているところだった。


「この距離でも——!」


 愛ヶ崎が狙いを定めて矢を放つと、光の軌跡を描きながら矢はゾンビを貫き、見事に撃滅した。三峰の守護獣——優二が残りのゾンビを噛み散らし霧散させると、三峰も愛ヶ崎に気が付いて近寄ってくる。


「いやあ、湧いてくるゾンビを優二が勝手に追うから、はぐれるところだったぞ。天使ちゃんはもう弓の扱いには慣れたのか?」


「ええ、ばっちりです!」


「それなら、これとか狙ってみるぞ」


 そういうと、三峰は金色に輝くコインを取り出して掲げた。


「なんですか、それ?」


「さっきのゾンビたちが落としていったんだぞ。的にするのに良さそうじゃないか?」


 三峰がコインを高く放り投げたのを見て、愛ヶ崎は慌てて矢をつがえる。矢のスピードと落下地点を予測しながら照準を合わせ、矢を放つ——!


 カキンと小気味いい音と共に、矢はコインに当たり奥の砂漠へと消えていった。三峰が落下したコインを拾う。


「このコイン、結構頑丈なんだな」


「多分、私の矢が敵にしか効かないからじゃないですかね? ……あっ、説明ありました。『天使の矢』はアイテムを破壊することはないみたいです。一応、木を切ったり、土を掘ったりするのにも使えるみたいですけど、ダメージ効果は最初に当たったモノにだけ発動するみたいです」


「だから、アイテムのコインは壊れなくて、落下地点の地面が掘れたりすることも無いってわけか。でも、外したら地面は掘れるってことだな」


「ですね……さっき地面が掘れなかったのは、やっぱり撃てていなかったからってことなのかな……」


 だんだんとゲームの仕様に慣れてきた二人は、何となく数が増えてきたような敵性生物を倒しながら、砂漠を散策した。しばらく歩いていると、オアシスのような水と少しの植物の生えた場所を見つける。


「わぁ、オアシスだ!」


 愛ヶ崎が、泉を目指して駆け出すと、追いかけっこのように風景は遠くなっていく。次第に砂にとられた足取りは重くなり、前に進むことすら困難なほどの砂嵐で視界が塞がれてしまった。


「オアシス……これが蜃気楼ってやつですか?」


 とぼとぼと引き返すと、呆れたような顔の三峰が小高い砂丘の上で座っていた。


「まあ、結構遠いっぽいぞ。それこそ、矢を撃ってみたらいいんじゃないか?」


「撃たなくても分かりますよ……」


 仮想の世界ではあるが、神経性の疲れがたまり、二人は砂丘で座り込んで休憩する。影もなく、現実では愚か極まりない休憩の仕方だが、仮想現実の中では大丈夫なのだ。



 二人が他愛のない会話をしながら、まだ行っていない方向へ向かっていると、誰かが戦っているような音が聞こえてきた。丘を越えて窪地を覗くと、そこには武器を手に複数の敵に大立ち回りを見せるテレンの姿があった。


 二人が近づくと、気配を察知したのか大きな斧を構えたまま、テレンが振り向いた。


「あら、天使ちゃんにワンコちゃんね。こんなところでどうしたの?」


「観光中です! テレンさんは、何をしておられたんですか?」


「私は憂さ晴らし……かしらね。砂漠のエリアは敵の出現率が高めだから、ブラブラしてるだけで結構出会えるのよね~っと!」


「そ、そうなんですね……」


 会話しながら、近寄ってきた敵を斧で両断する。血液の代わりにポリゴンの光子が立ち上り、怪物は消えていった。残酷さはないものの、ためらいなく人型の怪物を切り刻む彼女の姿に、わずかに愛ヶ崎はたじろぐ。自分が狙われたらひとたまりもない威力だ。


「そう言えば、二人はもうクラフトにも慣れた?」


「いえ、まだあんまり素材もよく分かってなくて……」


「それなら、とりあえずこれだけあげるわ」


 そう言うと、テレンの体からデフォルメされたアイテムが二つ飛び出した。二人がそれぞれ受け取ってみると、アイテムはベッドの様だった。これまでのアイテムとは違い、ストックができないようだ。大きさの問題だろうか。


「ベッド、ですか?」


「そうよ。もうすぐ夜になるから、辺りが暗くなったら設置して、アクションボタンで眠れるわ。今は開発途中だから、みんなが寝ないと夜が明けないのだけど、夜はモンスターの出現率も上がるから、二人のためにみんなで寝ようって決めたのよ。それに……いえ、何でもないわ。とにかく、夜になったら使うこと。いいわね?」


「分かりました!」


 愛ヶ崎は、テレンから受け取ったベッドを忘れないようにショートカットに登録して、モンスターと再び戦い始めたテレンに別れを告げた。


「それで、これからどうする?」


「そうですね~、私はもうちょっと弓をうまく使えるようになりたいですっ」


「そっか、それなら夜になるまで敵を探しつつ練習だな。私がコインを出したら、すぐ撃つんだぞ?」


 そう言いながら、三峰はコインを掲げた。


「あっ——!」


 とっさに愛ヶ崎は弓を構えてコインを狙ったが、照準のぶれた軌跡は砂漠の彼方へと消えていった。


「ざんね~ん」


「むぅ……次は当てます!」


 そうして二人が砂漠を散策していると、遺跡のような石柱が所々で砂面から露出している地帯に行きついた。夕暮れ泥む空が哀愁を漂わせる。体感ではまだ二時間も経っていないので、この世界の一日はかなり早いようだ。


「なんだか歴史を感じますね~」


「作られた歴史だけどな。でも、ゾンビみたいなやつもいたし、ここにも国家があったっていう構想なのかもだぞ」


「夢が広がりますね。でも、むしろ現実の遺跡に行ってみたくなります」


「確かにな。さっきリックも大富豪がどうのって言ってたし、旅行好きな人からしたら垂涎だろうな」


 愛ヶ崎は、会話をしながら遺跡地帯を歩き回り、祭壇のような場所にある盃に目を留めた。壁画のような曖昧な文様が描かれた石の板の前に掲げられた盃に視点を合わせると、『取得』の文字が現れる。


「さすがにそれは良くないでしょ~」


 愛ヶ崎がクスリと笑いながらアクションボタンを押すと、アバターの腕が動き、盃をつかみ取った。


「……え?」


 その瞬間、地中深くから地響きのような音が鳴り始め、次の瞬間には遺跡の中央から大きな羽を持った人面の怪鳥——ハーピィが現れた!おそらくはこの遺跡の主だろう。素早く盃を戻したが、変化は無かった。


「天使ちゃん、何かしたな?」


「いや、あの……お宝を取っちゃいました」


 てへ、と可愛くウインクしたかったが、エモートの出し方が分からず、現実の視界がやや狭まっただけだった。少し離れた場所で遺跡を物色していた三峰がため息をついた音が聞こえた気がした。


 遺跡中にハーピィの金切り声が響く。明らかに愛ヶ崎に敵意を示している。


 愛ヶ崎は弓を呼び出し、ハーピィに向けて射った。矢は怪鳥の腹部に命中すると光子となって消える。ダメージは入っているような気はするが、先ほどまでのモンスターと違い、体力がかなりある様だった。


 三峰に攻撃してもらおうと視線を送ると、高所の敵への有効手段がないためか、諦めたように首を横に振られる。あるいは、自己責任でどうにかしろと言いたげな目だ。


「ええいままよ——!」


 愛ヶ崎は高く照準を合わせたまま、何度も矢を放つ。ハーピィは時折身軽な動きで回避しては、青い炎の球をいくつも放ってきた。


「うわぁぁぁああああっ! ちょっ、これっ、当たったらダメそう!」


 慣れないゲーム世界でも、適切なキャラコントロールで炎弾を躱していた愛ヶ崎だったが、反撃のために照準を絞りながら移動していると、視界が動かないことに気が付いた。


「あれ、なんかつっかえて……やばいやばい当たる————!」


 素早く矢を放ち視線を足元に落とすと、小さな遺跡の出っ張りが段差となり、進行を妨げていたようだった。視線を怪鳥の方に戻すと、放たれた矢が炎弾をすり抜けて命中し、金切声と共に墜落していくところだった。しかし、矢は炎弾を消滅させることはなく、勢いと熱エネルギーを湛えた攻撃が愛ヶ崎に命中する。


「いったーい!」


 五感がリンクしていたらどれほど苦痛だろうかと考えながら、むしろそのリスクに期待してしまいもする。痛覚が共有されているとしたら、こんなヘマは決してしないだろう。


 アイテムを拾うために、怪鳥の墜落地点へと歩きながら、体力を確認すると、三分の一ほどが減少していた。防具を着けていないわりに軽傷な気がする。


「まあ、倒せたしいいか。次はノーダメージで倒せるもんね」


 愛ヶ崎はそう呟きながら、ハーピィの戦利品と思われるデフォルメされたアイテムがいくつか落下している場所を歩いて横切る。


「強かったけど、特別なアイテムでももらえるのかな……あれ?」


 愛ヶ崎がメニューを開くと、そこには先ほどまでと変わらない、あまり埋まっていないアイテムボックスが目に入った。振り返ってみると、戦利品は砂漠の地面の上に浮遊したままだ。不思議に思って再度通過してみても、落下しているアイテムは自動で取得されず、水面に波を立てるように、アバターの体の横へと移動するばかりだ。


「あれ、もしかしてバグ……?」


 愛ヶ崎が不安と期待を胸に再度メニューを開くと、先ほどは見落としていた通知のバナーが目に入った。「アイテム取得禁止状態」と書かれた赤字の表示が、アバターのステータス画面に点滅している。状態異常の表示なのだろう。間違いなく、これが原因だ。理由は明白で、先ほどのハーピィによる攻撃以外にはない。


「待たないとダメってことかな」


 頭では分かっていても、やはりじれったくなり、愛ヶ崎は落下しているアイテムに視界の焦点を合わせる。すると、これまで同様に「取得」と「装備」の二つの表示が現れた。しかし、「取得」の方は、やや暗くなっており、選択することはできないようだった。


「装備、してみるか……?」


 装備したところでどうなるわけでもなかったが、怪鳥の肉と思われるアイテムに焦点を合わせて「装備」を選択する。すでに弓は解除していたため、空いていた手にデフォルメされた肉が握られる。


「生肉を素手で持つのはどうなんだろうか……」


 写実的ともいえる世界観故に、非合理な行為をするとやや不気味さが際立ってしまう。ちょうど状態異常から回復したのか、付近に散らばっていたアイテムが磁石のように吸い寄せられた。一応メニューを開いてみると、取得したアイテムはメニュー内に存在したが、装備しているはずの生肉はどこにも見当たらなかった。そもそも生肉を装備しているとはどういう状況なのだろうか。


(生肉で戦えたりするのかな……)


 愛ヶ崎は、内心でそんなバカげた考えが浮かび、生肉を装備したまま、アクションボタンを押してみることにした。すると、予想は外れたようで、アバターの顔の方に手が近づき、視線が少し下がった。現実なら少し不快な気持ちになるくらいの咀嚼効果音が入り、手に持っていた肉は無くなる。体力は少しだけ回復していた。生肉のわりに腹を下したりはしないようだ。新鮮なのだろうか。


「……なんでわざわざ肉を、素手で食べてるんだぞ……? 原始人か……?」


「あ……いや、状態異常になっちゃって、それで……」


 今の場面だけは見られたくないと思っていると、折悪く三峰がやってきてしまった。愛ヶ崎はしどろもどろになりながらも、自分がかかっていた状態異常について説明した。


「『アイテム取得禁止』ねぇ……あぁ、もしかしたらレストランの副産物なのかもな」


「レストランですか?」


「そうそう。この先開発が進んで街にあった施設が完成したとして、街のアイテムが勝手に取得されたらダメだろ? 食べ物を食べようとして、アイテムボックスに入ったらお笑いだぞ」


 愛ヶ崎は、三峰の話を聞きながら、先ほど取得した丸底フラスコのアイコンの回復薬を使用してみた。先ほどの生肉と違い、特別なモーションは発生せず、体力だけが回復した。便利だが、回復したという実感はなかった。


「レストランの中を『アイテム取得禁止』にしたら、現実みたいに食べれるってことですね」


 それ以前に食べるモーションを増やす必要がありそうだと愛ヶ崎は思ったが、苦難するのは開発陣の役目だろう。


 そんなこれからの発展に話を弾ませていると、二人は周囲がすっかり暗くなっていることに気が付いた。


「ワンコ先輩、そろそろ眠った方がいい気がします」


「確かにだぞ。ベッドを設置して……と」


 愛ヶ崎が設置したベッドにアクションボタンを押してみると、アバターが自動的に眠りにつき、視界がうっすらと暗くなる。真っ暗にならないのは安全のためだろうか。


 ふと、視界の端で三峰のアバターがベッドに入っては出ている様子がちらつく。思わず愛ヶ崎は起き上がる。


「……何してるんですか?」


「みんな寝ないと寝れないから、他の人が寝るのを待ってるんだぞ」


「横になってたらその内寝れますって」


「でも優二が敵に反応して起きちゃうんだぞ」


 会話しながらも就寝を試みている三峰は、言葉通り敵が近寄ってきたタイミングで守護獣が自動的に召喚され、ベッドから弾き飛ばされていた。


「どっちみち、普段は就寝時間をきっちり見てるから、寝た時間はちゃんと覚えておきたいんだぞ」


「別にここなら————」


 睡眠時間に意味はないだろう、と言いかけて野暮な提言かと言葉を切る。愛ヶ崎は視界の端に表示されたゲーム内時間をぼんやりと意識しながら、ベッドに戻った。


 それほど疲れているわけでもなかったが、敵性生物から攻撃を食らったことが、精神的に疲労を呼び起こしたのか、眠気が襲ってくる。これは現実の自分の眠気だ……


 ほんの少しだけ瞼を閉じただけのような、長いうたた寝から覚めたような、不思議な気分で視界が明るい光に包まれる。プレイヤーの眠気や怠惰と関係なしに、アバターは朝と共にベッドを降りた。


「よし、朝だぞ。もうちょっと武器の練習するか?」


「先輩、朝から元気ですね……」


「いや、夜から一分ぐらいしか経ってないぞ」


 一分という時間がゲーム内で長いのか短いのかも分からず、愛ヶ崎は大きなあくびをする。視界が、世界のスケールでズレる。口を大きく開けすぎてヘッドセットが少しだけズレてしまったようだ。顔の筋肉を小刻みに動かして位置を戻す。


「おっと————!」


 愛ヶ崎は、現実での些事に気を取られながらも、三峰がコインを掲げていることに気が付き、素早く射抜いた。三峰は、満足げにほほ笑んでいる。


「段々慣れてきたみたいだな」


「そりゃもう、任せてくださいよ」


 愛ヶ崎が調子に乗って鼻を鳴らすと、三峰はエモートを使いこなし、コインを様々な高さに動かす。


「そんなにエモート多いんですか!?」


「設定からいじれるぞ。それよりほら、当てれるかな?」


「わっ、ポケットに入れるのはずるですよっ」


 愛ヶ崎は、三峰の動きをつぶさに観察しながら、何度も練習を重ねた。三峰が動き始めてからは、三度に一回ほどの命中率であった。


「天使ちゃん、生き物は動くんだから、これくらい当てられないと流鏑馬はできないぞ」


「しませんからっ。それに、先輩の動きは予測しにくいですしっ————!」


 三峰が砂丘の上で見せびらかすように上に掲げたコインに、愛ヶ崎は渾身の矢を放つ。この力の入り具合なら、降ろすまでに矢がコインを貫くだろう。


 しかし、ゲームの世界に現実的な予測は意味をなさないようだった。瞬く間にポーズを変えた三峰の腕のはるか上を矢は飛んでいく。


「あっ」


「すごい飛ぶんだな。ほら、今あそこに飛んでるぞ」


 彼方へと飛んでしまった矢に、半ば諦めて三峰の元に戻ってきた愛ヶ崎は、砂丘の頂上から、砂漠の空に引かれる一筋の軌跡を眺めた。その直線は徐々に高度を落としながら、街の方向へと飛んでいく。


「……なんか嫌な予感がします」


「するぞ」


 二人が落下地点を目で追うと、どうやら街の中心辺りのようだった。街にいる人間は少ないだろう。しかしながら、なぜだか愛ヶ崎には、この矢が何か事件を引き起こす嚆矢となってしまったという、奇妙な確信があった。


「い、行ってみましょうか」


「……仕方ないぞ」


 二人は、直線の最短距離で街へと向かった。代り映えのない砂漠を走る間、愛ヶ崎の頭には、麻貴奈の姿をした端末の頭に突き刺さった矢とあふれ出る血のような光子の情景が駆け巡っていた。


 果たして、街に戻ってきた二人を迎えたのは、結果としては愛ヶ崎が想像したものよりは何もない情景であり、その何もなさがありありと異様さを伝えていた。


「……あの、ワンコ先輩」


「言いたいことは、分かるぞ。ここで間違いないと思う」


 街の入り口から、まっすぐな通路を通ってきた先には、円形の広場と大きな台座。それから、台座に斜めに刺さった矢があった。


「————()()()()()()()!!!!」


 ゲーム内の時間で言えば昨日までは、いやらしいほどの絢爛さを放っていた巨大なダイヤのモニュメントは、台座の上に一片のかけらも残さず消え去っていた。愛ヶ崎は広場の入り口で立ち止まり、叫び声をあげたが、すぐに最悪の可能性が頭をよぎる。


「天使ちゃん……あの矢、天使ちゃんのか?」


「……」


 目の前の台座に刺さった矢は、細く金色の光をささやかにたたえている。遠目で見る限りでは、自分の放ったものと酷似している。


「近くで見てみましょう——って、うわあっ!?」


 愛ヶ崎が、真偽を確かめるために台座へ向けて踏み出そうとすると、その動きをけん制するように、何者かが目にも止まらない速さで飛び出してきた。愛ヶ崎が驚いて立ち止まると、あっという間に台座の周りに虎のように黒い縞模様のある黄色のテープが張られていく。おそらくは固有能力なのだろうそのテープは、支えもなく空中に固定されると、台座の周りを一周囲み、内部を立ち入り禁止であると主張した。


「事件、事件、事件ですよ~! こちら現場ですので、立ち入りはご遠慮くださいっ!」


 ようやく立ち止まったビーグルは、二人に向かってそう胸を張った。前に会った時よりも生き生きとしているような気がする。


「じ、事件……!?」


「ええ、これは間違いなく事件です。題して、ダイヤ消失事件っ! ……いえ、事件名はもう少し練るとして……とんでもないことが起こったようですね……」


 ビーグルは考え込むように顎に手を当てる。愛ヶ崎が、冷や汗を垂らしながらなんとか台座の様子が見えないかと背を伸ばしていると、広場の反対側の入り口からリックがやってくるのが見えた。相変わらずパーカー姿で片手をポケットに突っ込んで、ポーションのようなものを飲んでいる。すっかり街に住んでいるような様子だ。


「おいおい、なんだこの物騒なテープは……って、ダイヤのモニュメントがねえ!?どうなってんだよこりゃ!」


「おはようございます、リック。これは事件です。すぐにこの探偵ビーグルが解決しますので、ご安心を。すぐに、テレンさんもお呼びしますので、このままお待ちを」


 ビーグルは困惑した様子のリックにそう説明すると、麻貴奈——の姿をした端末に、話しかける。それから、体感で五分ほどの後にテレンが砂漠の方の入り口からやってきた。相変わらず巨大な斧を抱えていた。あの後も狩りを続けていたのだろうか。


「何かあったって聞いたけど……って、ここってダイヤの広場よね?」


「ああ、それが盗まれたって話だ。だろ、探偵さん?」


「ええ、砂漠や森にはアイテムを奪うモンスターもいますが、この町の中にはモンスターが入ってくることはできません。すなわち、ここにあったダイヤのモニュメントは何者かに盗まれたということになるでしょうね」


「ぬ、盗まれたって、そんなのどうやって……」


「ふっふっふ。それは犯人に()()聞けばよい話ですっ!」


 ビーグルはそう高らかに宣言すると、右手に持った虫眼鏡のようなものを掲げた。


「犯人って、そんな……」


 テレンは困惑したように他の四人を見回したが、どこかその顔には余裕があるようにもうかがえた。


「皆さん、落ち着いて聞いてください。この街は、モンスターが入ってくることのないように設定されており、また現在のプレイヤーは我々五人だけ。そして、我々がログインして以降、他の誰かがログインしたことも、ログアウトしたこともありません。そうですね、麻貴奈さん?」


「はい。ゲームの内の入出記録は以下の通りです。また、現在のプレイヤーは以下の五名となっています」


 ビーグルが促すと、麻貴奈の見た目をした自立端末が、入退室のログとアクティブユーザーの一覧を表示した。麻貴奈や英晴が入っていないことを見るに、二人はプレイヤーではないのだろう。目の前の麻貴奈のようなアバターは、完全にNPCのようだ。


「つまり——犯人は、この中にいるっ!」


 愛ヶ崎は、画面が適度に五分割されそれぞれの切羽詰まった表情がカットインされることを期待したが、ゲーム内とはいえそんなことにはならなかった。胸を張ったビーグルと対照的に、四人はどうしたものかと口をつぐんだ。


「と、意気揚々と宣言したものの、これは大した事件ではないでしょう」


「そうなのか? ダイヤが盗まれるなんて、大事件だと思うぞ……多分」


 三峰が純粋な疑問を呈すると、ビーグルは得意げな顔で人差し指を振った。


「この世界——ゲーム内において、もっとも程度の低い事件が窃盗です。なぜなら、窃盗は簡単に足が付くためです。この、『探偵三つ道具』によってね——!」


 そう言うと、ビーグルは再び虫眼鏡のようなものを掲げる。


「探偵三つ道具ですか?」


 愛ヶ崎は、聞きなれない言葉に首をかしげる。そういう時は十徳とか七つ道具とか、それくらいの数があるものではないかと思ったが、言葉にはしない。


「よく聞いてくださいました。本当は七つほど欲しかったのですが、固有能力の限界と言われましてね。三つの優れた相棒を設定したのです。そのうちの一つがこの『ホルスの目』! この虫眼鏡を使うと、モンスターが何のアイテムをドロップするのか分かるのです」


「まあ、便利ね」テレンがほほ笑む。


「それだけではありません。プレイヤーに使えば、アイテムボックスを覗き見ることができます」


「なるほど。それで窃盗ならすぐに分かるってわけだな。さっさとやってほしいぞ」


 三峰はそう言ってビーグルを軽く促した。


「もちろんです! では、お一人ずつ行かせていただきます」


 ビーグルは、四人それぞれに近づき、虫眼鏡を近づけると何事がつぶやいていたが、次第に元気をなくしていった。最後にリックを見て、明らかに肩を落とした様子だ。


「ポーションと、本、それにしおり……おかしいです、誰もダイヤを持っていません……」


「そ、そんなぁ!」


 愛ヶ崎は、盗んでいないと分かっていても、彼女の審査を通過して自分が安全だと証明された気でいたために、落胆の声を上げた。困惑した様子のビーグルに、三峰が指摘する。


「いや、まだ持ってる可能性がある奴がいるぞ」


 ゆっくりと顔を上げたビーグルに、三峰は歩み寄った。


「その『ホルスの目』は誰にでも使えるのか?」


「ええ、私の固有能力は『探偵三つ道具を作り出す』ことですから、作った道具は誰でも使えます……って、まさか……」


「そうだな、犯人はこの中にいるってんだから、探偵さんもその中に入ってるだろう?」


「ま、まま待ってください! 私は探偵です! 疑われる筋合いはありませんよ!」


 三峰は慌てた様子のビーグルから『ホルスの目』を受け取ると、すぐに彼女のアイテムボックスを覗き見た。


「なるほど、こういう風に見えるのか……無い、ぞ」


「本当か? ……確かに、無いな」


 三峰が確認した後で、『ホルスの目』を受け取ったリックが改めて持ち物を検める。


「まったく……持ってないならそんなに動揺しないでほしいぞ」


「確かに。露骨に怪しかったわね」


「そ、そんなことはありません! 探偵が疑われたことがショックだっただけです! ……しかし、おかしいですね。確かにダイヤは無くなっていますが、誰も無くなったダイヤを所有していないとは」


 ビーグルは不思議そうに顎に手を当て、考え込むようにしながら立ち入り禁止テープをくぐると、台座の周りをぐるぐると歩き回った。


「そうですね……まずは、アリバイと現場検証が必要だと思います。幸いにもこの現場には検証の余地のあるものが多いですから」


「現場って言えば、そもそもどうやって、犯人はあんな大きなモニュメントを消し去ったのかしら」


 テレンの疑問にビーグルが答える。


「では、まずはその点から整理していきましょう」


 ビーグルは、再び台座の周りをぐるりと回ると、右手にメモのようなものを装備した。あれも『探偵三つ道具』だろうか。


「まず、この台座に乗せられていたモニュメントをいかにして持ち運べる形にしたのか。今更言うまでもないかもしれませんが、確認のために言えば、十中八九、破壊したということでしょう。ダイヤは消耗品ではありませんから、ダメージを与えて破壊すれば、アイテムの形に戻り所有することで持ち運びができるようになります」


 ビーグルの手元からメモがひらりと飛び、五人それぞれの眼前に壁があるかのように張り付いた。メモにはビーグルの証言が書かれている。


「ここにあったモニュメントは、ちょうど64個のダイヤで作られていたから、アイテムの圧迫も一枠で済むってこった。にしてもよ、ダイヤのモニュメントなんてそんなに簡単に破壊できるもんか?ダイヤって言やあ、大抵は相当練度のある装備じゃなきゃ壊せないだろ」


 リックの言葉にわずかに緊張が走る。その場の視線が、テレンの担いだ大斧に集まった。


「え、もしかして、私が疑われてる? ……どうなんだろうね、実際。私、モンスターしか攻撃していないからさ、鉱石の固さとか分かんないだよね」


「むむむ……怪しいですね。しかし、実はその点について、私も知らないのです。プレイは数度目ですが、探索はあまり行なっていないもので。麻貴奈さん、モニュメントの強度はどのくらいだったのですか?」


 ビーグルが近くにいた麻貴奈のアバターに尋ねると、答えを算出するように端末の動きが固まり、やがて静かに回答を始める。


「通常、鉱石を掘り出すには同等級かそれ以上の装備が必要となります。最高等級となるダイヤ鉱石の採掘には、相応の採掘用具が必要となるでしょう。しかし、建築物についてはその限りではなく、掘り出した後、精錬を終えた鉱物インゴットを建材として使用した場合でも、その解体は素手でも行なっていただけます。なお、街の建築につきまして、こちらでご用意させていただいている建築物は、破壊不可能の保護措置を行う予定ですが、現在は建築途中ですので、路面及び各エリアの土台にのみ保護措置を施しております」


 麻貴奈の姿の情報端末が静かに回答を終えると、各々が情報を飲み込むために街の景色を眺めた。周囲は建築途中の建物とむき出しになったその内部が見えている。また、ダイヤのモニュメント以外にも、像や花畑が設置されており、そうしたランドマークは通常の路面よりも一段高く設計されている。


「えっと、つまりは、モニュメント自体は誰にでも壊せるってことだよね」


 テレンが静まった空気を割るように話を切り出す。


「そのようですね。破壊は誰にでも可能だった。『探偵メモ』に追記しておきます」


 愛ヶ崎は、目の前に浮遊したメモに情報が増えたことを確認した。これで『探偵三つ道具』は二つ目だ。あと一つは現場に張ったテープなのだろうか。


「じゃあ、怪しいのはその台座に刺さってる奴じゃないか?」


 三峰の言葉に、その場の視線が台座の上に刺さった矢に向けられる。愛ヶ崎は気まずい気持ちになって目をそらした。


「そうですね。では次の疑問はこの矢についてです。先ほど確認したように、ダイヤのモニュメントの破壊は素手でも可能。すなわち、弓で矢を放って破壊することもできたわけです。まるで、的当てのようにね。……ホワイダニットは分かりませんが、この矢は現場の限られた証拠です」


「——ちょっと待った」


 ビーグルが矢を引き抜こうとしたとき、リックが制止した。


「その前にアリバイってやつを整理してもいいんじゃねえか? まあ、基本はばらけてたみたいだから、どれだけ意味があるかは分からないがね」


「……そうですね。どのみち、アリバイをはっきりさせれば、この矢を放った弓の所在も分かるでしょう」


 ビーグルの手からまた一枚メモが飛び、アリバイという文字が書き足された。この固有能力は、事件がなくても便利そうだと愛ヶ崎は思う。


「んじゃ、まずは俺から言わせてもらうぜ。昨日——つってもここの時間でだが——ログインしてからは、街のカフェテリアの予定地のところで本を読んでたな。それから、そこの二人と探偵さんに会って……後は一人で街をぶらついてたな。そんときも探偵さんと会ったっけか」


 リックは右手に持ったポーションをあおりながら、愛ヶ崎の方を手で示した後、ビーグルに肩をすくめる。


「ええ、今朝もお会いしましたね。あれは日が変わってすぐでしたか……私はログインしてからは、ワールド内を探索していました。どこかに事件の匂いがすると思ったのですが、まさかこんなところとは……」


「私と天使ちゃんは、まず街の方に向かってきて、それからリックが言ったように、この広場でビーグルとリックに会ったぞ。その後は砂漠エリアを探索して、そこでテレンと会ったよな。……でも、ダイヤが無くなる前のアリバイって意味あるのか?そもそも、犯行時間がはっきりしないぞ」


 愛ヶ崎は三峰の証言に内心安堵した。その先を話していたら、愛ヶ崎が矢を街に向けて誤射したという事実によって、モニュメント破壊の容疑をかけられてしまうところだった。


「犯行時間で言うと、そうですね……私がダイヤを最後に見たのは、今朝のことです。リックも一緒に居ましたから、証言としては有意なものかと」


「そうだな。起きてすぐだったか」


「ねえねえ、私のアリバイも言ってみていい?」


 犯行時間の推定を始めた二人に、テレンがじれったそうに割り込む。


「どうせテレンは砂漠でモンスターを狩りまくってたんだろ?」


「それは……そうなんだけどさ……」


 テレンはそれ以上語る言葉がないらしく、口惜しそうに閉口した。


「では、アリバイをまとめます。私はほとんどアリバイがなく、リックは街に滞在。愛ヶ崎さんとワンコさんは街を出て砂漠に向かい、それから先ほど戻ってきた。テレンは砂漠に滞留していた……事件発覚後の到着順は、ワンコさんと愛ヶ崎さんが最初で、次いで私が、それからリックが、最後にテレンという順番ですね」


 ビーグルが順番に一同を指さして確認していくと、メモにも同様の記載が追加された。


「アリバイで言えば、テレン以外は怪しいって感じか」


「ちょっと! 私だって頑張れば行けるわよ!」


 リックの言葉に、なぜかテレンがむきになる。


「現状は、アリバイだけでは絞れなさそうですね。当然、共犯がいる可能性もありますから……では次に、現場についてですが、こちらは私が到着後、異変を確認してすぐにこちらのテープで現場保存をさせていただきました」


「現場保存ねえ、そんなこと言って、証拠隠滅に都合が良いようにしたんじゃねえのか?」


「なにか意見があるなら、はっきりとどうぞ。探偵ですので、自己弁護くらいはできますし、先ほどダイヤを所有していないことは、あなたが確認したことです」


「つまりよ。このゲームには描画距離ってもんがあるだろ。ダイヤを破壊して台座の上に所有せずに置いておく。それが見える範囲をテープで囲えば、誰もダイヤがあることに気が付かない」


 リックの言葉に、ビーグル以外の四人も、テープを越えて台座の付近に寄ってきた。


「ない、わね」


「ダイヤが無いとアピールしてから、推理しているふりをして、回収すればいいだろ?なあ、探偵さん?」


「……では、『ホルスの目』を使えばいいでしょう」


 リックは右手に持っていたポーションを飲み切ると、『ホルスの目』を受け取った。手慣れた昆虫学者のように、片手をポケットに突っ込みながら、虫眼鏡でビーグルを覗く。


「……ちっ、無いな」


「探偵が犯人、などという邪道な物語ではないというわけです」


 ビーグルは、今度は自分の疑いが晴れるのは当然だというように、勝ち誇った笑みを見せた。


「では、話を戻しましょう。ダイヤが無くなっているほかは、この矢が刺さっていることが主な異変ですね」


「矢って言うと——」


 愛ヶ崎はすぐにでも自分への詰問が始まると思うと、緊張で背筋が冷たくなるような感覚だった。議論を挟むゲームで愚かな発言をしたときのように、絶望と諦念が脳内に満ちていく。いや、無くなったダイヤは時価で数億円相当と言っていた気がする。これはゲームであっても、この事件はゲームの中だけのことではないのだ。


「——テレンは、弓って使えるのか?」


「私? う~ん、やったことないな~。敵が使ってるのは見たことあるけどね」


 愛ヶ崎は、議論の矛先が自分に向かなかったことに心から安堵した。そもそも、自分は何も盗ってはいないのだ。そうだ、そうじゃないか。盗んでいないのだから、弱気になる必要もないのだ。


「あ、あの、その矢なんですけど……」


「何か心当たりが?」


「じ、実は……私が撃ったものかもしれなくて」


 とはいえ、そこまで開き直れるほどの自信もなく、幾段かの譲歩を付けて話し始める。むしろ、それは正しいことのはずだ。この矢が自分の物である確証はまだないのだから。


「おいおい、ここで真犯人の登場か」


「ち、違いますっ! ……けど、今朝、ワンコ先輩と固有能力の練習をしていて、砂漠エリアの方から、街に向かって矢を撃ってしまったんです」


「……砂漠エリアから、ですか」


「ずいぶん遠いわね。弓の射程って、せいぜい敵の描画距離程度じゃない?」


「まあ、固有能力ならあり得ない話じゃないが……」


 愛ヶ崎は、矢が自分の物でないとしたら、どれほど嬉しいことだろうと思ったが、むしろ自分の固有能力の性能を疑われていることの方が気にかかった。確証はない、が届くと思うのだ。なにしろ自分の固有能力なのだから。


「天使ちゃん……」


「と、届きますよっ!私の矢は、絶対届きます!」


 三峰が諫めようとしたが、天使はそう高らかに宣言した。ビーグルが、観念したように頷く。


「では、愛ヶ崎さんが容疑者として最有力ということになりますね」


「え⁉」


「ま、そうだよな。どうやってダイヤを持ち出したかは分かんねーけど、破壊したのがお前なら、そこもセットだろ。お前らは二人で行動してたんだし、やりようならいくらでもある」


「そうね~、矢にダイヤをくくりつけて……とかできるのかしら」


「え、あ、あの……」


 自分はやっていない。自分だけはそのことを確実に理解できたが、その簡単な真実を他の全員に証明するだけの論理を、動揺した愛ヶ崎の脳は導き出せなかった。


「それでは、このダイヤ消失事件の犯人は、愛ヶ崎さんということで、皆さんよろしいでしょうか」


「よろしくないですっ! わ、私、やってないですもん!」


「まあまあ、今ならダイヤを返せばそれで済むわよ」


 テレンが優しく言葉をかけたが、愛ヶ崎の耳には届いていない。


「——結論を出す前に、少し検証をしてみてもいいんじゃないか?」


 弓を構えた愛ヶ崎と、戦闘を始めんばかりの様相の一同に、三峰が切り出した。


「検証って、具体的にどういう?」


「要は、本当に天使ちゃんの矢はここまで届くのかってことだぞ。怪しいのはともかく、私もそのこと自体は半信半疑だからな。私たちが見たのは、天使ちゃんが矢を放って街の方に飛んでいったってところだけだ。それがここまで届いたのかは分からない。天使ちゃんが犯人だって言う論の肝はここなんだから、その検証くらいしてもいいんじゃないか?」


 三峰の提案に、全員が吟味するように黙り込む。


「私は賛成かな。砂漠エリアでしょ?体動かしたかったところだし、護衛と場所確認を兼ねて着いて行くよ」


 テレンが最初にそう切り出した。


「私はここに残るぞ。天使ちゃんと二人でここを離れたら、誰かさんに疑われるからな」


「けっ……俺も残るぜ。わざわざ砂漠なんて行ってられないからな」


「私も残りましょう。もう少し、現場も調べたいですから」


 検証を行うことになり、改めて『ホルスの目』で持ち物が確認された。


「そうだな……ゲーム内の時間で、このぐらいになったら撃ち始めてくれ。今朝起きたところに、まだベッドがあると思うぞ」


 本当に愛ヶ崎が撃った矢かを確かめるために、時間を決めたのち、二人は街を後にした。


 砂漠へ向かう道すがら、愛ヶ崎は出会ったモンスターを弓で蹴散らす。うっ憤を晴らすように矢を放っていると、ふと自分が犯人でないことを示す証拠に気が付いた。一度気が付いてしまえば、証拠はいくつもあったが、それを今テレンに話しても仕方がないように思えたので、忘れないように心で唱えながら、今朝起きた場所へと歩を進めた。


「あ、ここです」


 しばらく歩くと、砂漠の中に二つのベッドがあるのが見えた。茶色の風景に不釣り合いなその白いベッドは、確かに愛ヶ崎と三峰が回収し忘れていたベッドだった。


「本当に届くのかな~?」


「届きますよっ」


 道中のモンスターを倒して、感覚も掴みなおした愛ヶ崎は、自信気に返答する。しっかりとアクションボタンをホールドし、照準を街の方へと合わせる。その時、愛ヶ崎の目には、三峰がコインを弾く音が聞こえたような気がした。


「ここっ!」


 天命に導かれるように射角を決定し、渾身の思いを込めて矢を放つ。


「おお~、すごっ。本当に届いてるんじゃない?」


 テレンが、空を裂いて街の方へと飛んでいく矢を見て感嘆の声を漏らした。


「そ、それじゃあ、戻ってみましょうか」


 愛ヶ崎は、届いてほしいような届いてほしくないような複雑な心境で、帰路に着いた。






 砂漠の復路で、愛ヶ崎は他人事のように、これはミステリーみたいだなと感じた。自分が容疑者、それももっとも疑われている存在になるのは心外だったが、この謎の真相には心惹かれる。


 だが、ミステリーとしては何かが足りない気がした。


「そうか、読者への挑戦だ……」


 愛ヶ崎は、自分でもこの物語が終盤に近付いていることに気が付いていた。正義のヒーローなら赤いランプを点滅させながら必殺技を放つところだ。


 愛ヶ崎はこの世界の中で起こった出来事を振り返りながら、誰が犯人だと言えるのかを考えてみようと思った。もちろんそれは、これがある程度ミステリーの条件を満たしており、自分以外の四人の中に犯人がいるという仮定の上での思考だった。いないかもしれないが、その点は確信している。確実に犯人は()()()()にいて、誰かが()()()()()()()()()。そして、そのダイヤの場所は、建物の上とかチェストの中とかそういった興ざめするようなものではないはずだ。


 そこまで考えて、愛ヶ崎は天を仰いだ。果たして、読者は犯人を当てることができるのだろうか。そもそも読者とは誰なのか。この場合は、結局ゲーム世界を俯瞰して見ている愛ヶ崎天使なのではないか。


 ともかく、ここで読者への挑戦というものが挟まれるべきだと、そう愛ヶ崎は思った。挑戦というか、丸投げである。愛ヶ崎は正直お手上げであった。なぜなら、ミステリー作品を読むときに、愛ヶ崎はいつも犯人を当てられないからである。もう当てることを諦めて、探偵が推理する様子を楽しむことにしているからである。


 けれど、この事件はなんだか、もう少しで解けそうな気がしているのだ。もしかしたら、ワンコ先輩なら、もうとっくに真相に気が付いているのかもしれなかった。


 そう考え始めると、街で愛ヶ崎の矢を待つ三人の様子が、まるで自分のことのように目の前に浮かんでくるのであった。






 解決編



 愛ヶ崎とテレンが広場を後にすると、三人の間には奇妙な沈黙が生まれていた。それぞれがそれぞれを疑い合うような空気。テレンと愛ヶ崎が発していたほがらかな空気が消え、三人の注意深さが露わになったのだ。


「にしても、本当に届くのかねぇ?」


「どうですかね。私は届かないと思いますが。そんなに照準がうまく行くとも思えません」


「俺も届かないと思うね~。そこんとこ、あんたはどうなの、共犯者さん?」


 リックが聞くと、三峰は顔色一つ変えずに返答する。


「私のことか? 絶対届くぞ。天使ちゃんの矢なんだからな」


「へぇ? それって、あの子が犯人だって思っているってことかい?」


 リックの煽るような口調に、今度はにやりと笑って三峰はリックに近づいた。


「いいや? 私は、()()()()()()()と思ってる、リック」


「ふーん、何か根拠でもあるのかい? 無けりゃあ、ただの犯人の悪あがきだぜ?」


 三峰は台座に近づくと、台座に突き刺さっていた矢を引き抜いて取得した。


「あっ、証拠品がっ!」


「まず、天使ちゃんが犯人でないという証拠だぞ」


「その矢がどうかしたのか? むしろそれは、あの子が犯人だっていう証拠じゃないのか?」


 三峰は右手に掲げていた矢をしまうと、今度はコインを見せる。


「天使ちゃんの矢には、ある特性がある。まず一つは、天使ちゃんの矢は建築物を破壊することは無いということだぞ。リックの『増殖』が消耗品限定であるように、天使ちゃんの能力で作られた矢は、敵や自然の物にしかダメージを発生させない。つまり、矢が当たったとしても、モニュメントが壊れることは無いってわけだぞ」


「だが、現にそこに矢が刺さっていた。それはどう説明するんだ?」


「そこが二つ目の特性だぞ。天使ちゃんの矢は、ヒットした後、あるいは外れて地面に落ちた後、実体を残すことは無い。能力で作り出された矢は、こういう風に()()()()()()()()()()()んだぞ。つまり、この矢は真犯人がダイヤを盗んだ時に、その場に飛んで来た矢の主に罪を擦り付けるためにわざと残した、偽物ってことだな」


「なるほど、それなら矢がちょうど台座に刺さっていることの説明もつきそうです」


 ビーグルが納得すると、リックはやれやれと言った風に肩をすくめる。


「おいおい、それでもお前らがこの場に来て、近くから矢を放ったことを否定する材料にはならないだろ。その矢だって、一本だけ作ったのかもしれないぜ?そのあと、どこにダイヤを隠したかは分かんねえままだがな」


 三峰は、片手をポケットに突っこんだまま反対の手で指をさすリックに近づくと、静かに武器を装備した。


「つまりは、ダイヤが見つかればそれで容疑は晴れるってわけだな」


「おっと、今度は暴力かい? 別に、負ける気はないけどよ。俺がダイヤを持っていないことは、そこの探偵さんが確認してくれただろ? なんなら、もう一度見てみるか?」


 リックの指摘に、殺気に怯えていたビーグルがびくりと震える。


「その必要はないぞ。なぜなら、犯人はダイヤをアイテムボックスには入れていないからな。もっとフィジカルでプリミティブな方法を使ったんだ」


「それは、いったい……」


「リック、ポケットに入れてる手を出してみろよ。エモートを解除するだけだろ?」


 リックは、心の読めない笑顔を張り付けたまま動かない。


「さっきまで飲んでいたポーションは、おそらく『アイテム取得禁止』のデバフを()()()()()するものだな。あんたはダイヤを破壊し、一つのストックにまとめた後、一度持ち物から捨てた。捨てたアイテムはデフォルメした形、建築用の素材でも小さな形になる。『アイテム取得禁止』状態なら、その()()()()()()()()()()()()できるよな。あとは装備している手が隠れるように、ポケットに手を入れているエモートを設定する。取得状態でないアイテムは、装備していてもステータスにも現れないから、『ホルスの目』にも映らなかった——なにか間違っているところがあるか?」


 三峰が淡々と犯人の足跡を述べると、リックは観念したように笑いだした。エモートを解除した左手には、小さな立方体としてデフォルメされたダイヤが握られている。


「あ~あ、大正解! なんだよ、せっかく天使ちゃんに擦り付けられたってのによぉ」


「バレたんだから諦めるんだな。すぐにモデレーターに連絡してモニュメントを戻してもらうぞ」


「おっと、そうはいかねえ。このゲームにはよぉ、俺だけが知ってるセキュリティーホールがあるんだわ。そこにこのダイヤをしまって、価値が高くなったら売り払う。コツコツ制作するのが馬鹿らしくなるような金だぜ? 別にアンタらはビギナーだ。ダイヤを盗んだってなっても、パルさんは怒んねえよ。だから、な。ここは見逃してくれよ。なんなら、分け前をくれてやってもいいぜ」


「……つくづく下衆な考えだぞ。言いたいことが終わったんなら、とっとと力で決めるぞ」


 リックは、口角をこれでもかと上げ、高らかに笑う。


「言い忘れてたが、俺の『増殖』は増やしたものを覚えておけるんだぜぇ?」


 リックの手に、巨大な斧が現れる。おそらく、どこかでテレンの斧を『増殖』させたのだろう。


「出しなっ、お前の固有能力(アビリティ)をっ!」


 三峰が武器をしまい、周囲に静かに白い霧が湧きだしたかと思うと、守護獣が現れる。優二と名付けられた白い毛並みを持つ狼のような犬が殺気立った表情で主の指示を待つ。


 一瞬、三峰はにやりと笑うと、いつの間にか右手に持ったコインを高く弾く。放物線を描いたコインが頂点に差し掛かり、落下していく。コインが地面に落ちた瞬間、戦いの火蓋が切って落とされるのだと、ビーグルは息をのみ、リックは地面を踏みしめる。


 その刹那、コインが空中で甲高い音を立てて弾け飛ぶ。まだ中空にあるはずのコインが発した音に不意を突かれたリックがコインの方に視線を向けようとすると、音の反響が消えないうちに鋭い衝撃が肩に走る。突然の不意打ちに、リックは吹き飛び、地面を転がる。


 態勢を崩し、状況を確認しようと顔を上げたリックの前に、三峰の影が落ちた。


「だから言っただろ? 天使ちゃんの矢は、絶対届くってな」


 勝ち誇るような嘲るような、そんな三峰の笑みがリックの見た最後の表情だった。


 これにて一件落着である。愛ヶ崎は無事に事件が解決したことに安堵した。良かった良かった。自分の放った矢は、きちんと届いたのだ。しかし、何か大切なことを忘れている気がする。


 愛ヶ崎は、映画のエンドロールを見ている気分だったが、視界が真っ暗であることに気が付いて、違和感を覚える。


 自分は今まで、3Dのゲームをしていたはずで……砂漠エリアから街に帰る途中だったが、謎解きパートが始まったのだった……なんだか夢みたいな構成だ。夢、夢……そもそもどうしてこんなゲームをすることになったのだったか……



 密閉空間が開くような排気音が耳に聞こえるのに少し遅れて、視界が眩しい光に包まれる。思わず目を瞑った愛ヶ崎は、顔に温かな手の感触を覚える。


「天使先輩、お疲れ様です」


 明るさに順応した愛ヶ崎が目をゆっくりと開くと、そこにはわずかに口角を上げて自分を覗き込む麻貴奈の姿があった。何か聞こうと思ったが、愛ヶ崎が目を覚ましたことを確認すると、隣のコフィンへと移動してしまった。


 そうだ。自分は麻貴奈の父親が作ったというゲームをプレイしていたのだ。……いや、その記憶は確かだった。食い違っているのはその後だ。ゲーム内のダイヤが現実ではとてつもない価値になるという話を聞いて、そのダイヤが消失したのだ。結局犯人は見つかったが、その後のことは宙に浮いたままのはずだった。


「あ、あの、麻貴奈ちゃん!」


「はい、天使先輩。このゲームはお楽しみいただけたでしょうか」


「お楽しみって言うか、その、ダイヤがっ」


 要領を得ない愛ヶ崎の言葉に、麻貴奈は首をかしげる。そして、得心がいったように首に提げたネックレスを手に取った。


「このネックレスですか。実は、ダイヤのように見える類似石なんです。父が、高見えするからと言って、お客様とお会いするときは着けさせられているんです」


「そ、そうなんだ」


 本当のダイヤモンドでなかったことには少しだけがっかりしたが、聞きたかったことはネックレスのことではない。


「じゃなくて——」


「お、天使ちゃんも起きてるぞ」


「わ、ワンコ先輩! その、ダイヤは結局どうなったんですか⁉」


 愛ヶ崎の問いに、三峰は心当たりがないように首を傾げた。


「ダイヤ? 天使ちゃん、()()()()()()()()姿()()()()()()と思ったら、ダイヤを探してたのか?絶対まったりしてる方が楽しかったぞ。せっかくの仮想現実なんだし」


 話がかみ合わず、愛ヶ崎は悶々とする。さっきまで自分が見ていたものは何だったのだろうか。


 何を質問するべきかを迷っているうちに、全員がコフィンから起き上がっていた。コフィンの中で上体だけを起こした五人の前で、英晴が話し始める。


「いやあ、どうだったかな。今回は五時間パックだったのだが、こちらとしてもなかなか興味深いデータが取れたよ。特に天使くんの世界は実に興味深い。単体で映像作品にしてもいいね」


「私の世界……?」


 そう言えば、ログインしてすぐのときも、麻貴奈が似たようなことを言っていた気がする。


「そう言えば、結局天使先輩には説明をするタイミングがありませんでしたね。申し訳ありません。先輩の世界はかなり複雑だったというか、事情を説明しなくても良さそうでしたので」


「……今更かもだけど、説明してもらってもいいかな」


 愛ヶ崎が控えめにそう聞くと、麻貴奈はわずかにほほ笑んだ。


「かしこまりました。このゲームは、プレイヤーの皆さんの脳波を読み取り、その時々に最適な、プレイヤーの方が()()()()()()()を構築します。根本的な仕様やグラフィックといったところは大きく変化しませんが、ゲームの内容が変化するのです。例えば、ワンコ先輩は南国でのシミュレーションゲーム、天使先輩はオープンワールドのアクションゲームといった形ですね。今回のような試験を通して、様々なゲームのデータを集めることで、今後は選択して特定の形式の世界で遊べるようにする予定なのです」


「えっと、つまり……?」


「天使くんの言いたいことは分かるよ。先ほどの体験のどこまでが現実でどこからが虚構か、ということだろう。その疑問に答えるならば、()()()()()()()()()()()だ。今のところ、このゲームはソロ専用だからね」


「ソロ専用って……パルさん、もしかして天使ちゃんのとこのゲーム、他のプレイヤーが出てきたのか⁉」


 英晴の言葉に、リックが驚いたように尋ねる。


「出てきたどころか、ねぇ? 今度映像で見ようか。素晴らしい体験だったね」


「や、やめてくださ~い!」


 愛ヶ崎は、ゲーム内で出会った四人がNPCであったことを理解し、途端に恥ずかしくなってしまう。リックが犯人であったことも、自分が深層意識で「何となくリックさんって犯人っぽいよなぁ」と思っていたからということになってしまう。あの世界での出来事、そしてそれぞれの一挙手一投足は、自分のイメージに基づいているのだ。


「はは、そこまで言うなら公開は控えることにしよう。しかし、素晴らしい世界を構築してくれたのは事実だ。みんな、五時間の没入は疲れたろう。ささやかだが会食の準備をしているから、麻貴奈に着いて行ってくれたまえ」


 英晴が手で示すと、麻貴奈が五人を入り口の方へと導いた。





 それから、麻貴奈と英晴を加えた七人は、お互いに世界の体験や感想を話しながら、ささやかと言いながらかなり豪華な会食を楽しんだ。愛ヶ崎は、ゲームに没入していてすっかり忘れていた、薄いジャージを着ていたことを思い出し、少しだけ気恥しく思いながら立食を楽しむのであった。


 自分が犯人になっていたことを聞いても爽やかに笑い飛ばしたリックや、イメージ通りアクションゲームが大好きだったテレン、単に犬好きなだけだった正乱と話すうち、愛ヶ崎は、やはり現実ではそうそう事件なんて起きないのだと穏やかな気持ちになっていった。


 事件なんて、()()()()()()()()()()()。他の世界の話を聞いて、愛ヶ崎はそんな気持ちをずっと強めた。けれど心のどこかで、今度は容疑者ではなく探偵として、きっちり事件を解決したいと思う愛ヶ崎なのであった。



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